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往時の名車達

国産車の世界

「いつかはクラウン」を国民の初夢に? 元旦に生まれた初代クラウン 初の純国産 切り開いた道

2023-01-02

戦後、自動車メーカーが海外メーカーと提携することで産業を軌道に戻そうしている最中、独自路線をとり純国産開発にこだわる企業がありました。それがトヨタで、1955年1月、後に同社のフラッグシップを担うクラウンが誕生します。

歴史に名を残すトヨタのフラッグシップ

 68年前の1955年1月1日、トヨタ自動車工業(現:トヨタ自動車)が日本初の純国産設計車である初代トヨペット・クラウンが誕生しました。この日、同社の挙母工場(現在の本社工場)にて、関係者に祝福されながら初出荷されたのです。

 戦後直後、日本を占領していたGHQの命令で、トラックを生産していたトヨタでしたが、1947年6月30日に乗用車の生産が許可された後、1948年に社内技術者の中村健也が乗用車を作るための建議書を上層部に提出しました。

 当初、乗用車開発のための設備や資材を揃える経費があまりに高額ということで、社内では無理だという声が多かったようです。しかし、トヨタの実質的な創業者である豊田喜一郎は、国産乗用車の生産という戦前から悲願を成し遂げるべく、トヨタ単独による生産に向けて動き出し始めます。

 1950年代、日本は戦後復興の最中にあり、自動車産業も活気づいていましたが、国内の自動車メーカーは国外メーカーと提携することでクルマ産業を軌道に戻そうしていました。トヨタはその中で純国産乗用車にこだわる独自路線をとり、1952年から開発に着手。当時の日本の環境に合わせ、悪路にも十分に耐えうる耐久性や、乗り心地のよい運転性などを研究した他、当時の大口顧客であるタクシー業界へ聞き取り調査を行いました。

「クラウン」と命名したのは、喜一郎でしたが、開発に取りかかった矢先の1952年3月27日に突然亡くなってしまったため、残念ながら完成を見ることはありませんでした。

 初代クラウンは、後席の乗り降りを考慮した観音開きのドアが特徴で、乗車定員は6名でした。キャッチコピーは「軽快・堅牢なシャシー、広くて快適な車室」で、後に同社のフラッグシップを担うモデルにまで成長。日本の自動車産業が世界に打って出る歴史は、ここから始まったといっても過言ではありません。

【了】


『気がつかないふりをする』

2023-03-03
facebook 北原照久さん曰く
1950年代のパトカーのオモチャです。
今日の言葉は『気がつかないふりをする』
1950年代のパトカーのオモチャです。
ひとには必ずウィークポイントや、言われたくないこともあるものです。その時にこの言葉を思い出して下さい。何でもかんでも白黒をはっきりつけない方がいい時もありますね。知っていても知らないふりをして、話題にしない。それが大人です。気づかないふりをする優しさは、あとで知った時に感動します。
【YouTube北原コレクションチャンネルVol.342】で、ご紹介しています。合わせてぜひご覧ください。

ホンダエスシリーズ

2022-06-17
Facebook 山田 俊英  さん曰く

ヨタハチを出したからにはライバルのホンダエスシリーズを取り上げないといけませんね。
エスシリーズ第一弾は1963年登場のS500。第二弾は1964年登場のS600。第三弾は1966年登場のS800でした。
S500はオープンカーのみですが、S600と800はオープンカーのほかにクーペが用意されていました。
ヨタハチは非力なパブリカエンジンのシャーシに空気抵抗の少ない流線形でかつ超軽量のボディーを載せて、スピードを稼いでました。
これに対し、ホンダエスシリーズは小さなボディーにパワフルエンジン!…といいたいところですが、実はとんでもないヤツでした。
なんと、後輪チェーン駆動です。
実は四輪バイクだったか⁈
試作車では普通のギアを使ってみたものの、後輪の挙動が不安定すぎる。
ホンダエスシリーズの発売を既に予告していたから、今更ギアを一から作り直せない。
でも、ホンダは1949年にドリーム号D型って100cc小型バイク出したし、1952年に自転車に取り付けて原付に出来るエンジンは出していたし、配達用のスーパーカブをやっていたし、元がバイク屋。
四輪で立ち上がったトヨタとは違います。バイクの既存技術ならいくらでもありました。
そこで本田宗一郎のアイディアで後輪の駆動系にバイクパーツを使ってみた。
それが大成功して、S800まで四輪バイクにしてしまいました。
ブリキのクルマは出ませんでしたが、トミカが1980年にS800を出してます。
プラモだと田宮とフジミで1/24、LSで1/32、童友社で1/12がありました。
プラモがエラく充実してます。
子供より大人にウケるクルマだったみたい!

昭和36年頃のパトカー

2021-09-18
Facebook 香取三夫さん曰く

マツダ

2022-06-02

マツダ/Mazda Japan

 さん曰く



【「ペコマガ」掲載のご紹介】
今月リニューアルオープンしたマツダミュージアムを広島のタウン情報ウェブマガジン「ペコマガ」にて取り上げていただきました。
記事内ではリニューアルした館内の様子や見どころポイントをご紹介いただいています。
さらに通常見学の際には撮影不可である「工場見学エリア」の写真も特別に公開しています。
実際に見学いただいた「ペコマガ」編集長、市川梅さんの「生の声」もたくさんございますので、ぜひご覧ください。
また、6月4日(土)正午からRCCラジオ「マツダミュージックドライブFEAT.ペコマガ」にてマツダミュージアム見学の様子をご紹介いただきます。
詳しくはこちらをご覧ください。

外車の世界

世界で2台しか作られなかった!

2025-02-15
オークションに登場した1957年式「シボレー・コルベットSS プロジェクトXP-64」
shooterz.biz(c)2024 Courtesy of RM Sotheby's
70年前の希少な「シボレー・コルベット」

 1953年1月、ニューヨークで開催されたゼネラルモーターズ(以下、GM)のショーで、初代「コルベット」プロトタイプが世界初公開されました。

 コルベットは、GMの「シボレー」ブランドが初めて送り出したスポーツカーでした。

 初代コルベットは爆発的な人気モデルとなりました。レースにも参戦しましたが、成績は今ひとつでした。

 そこでシボレーは、レースでフェラーリやジャガー、マセラティ、アストンマーティンなどと対等に戦える、専用のレーシングカーの開発を始めます。

オークションに登場した1957年式「シボレー・コルベットSS プロジェクトXP-64」shooterz.biz(c)2024 Courtesy of RM Sotheby's

スティングレイ

2024-12-03
©Getty Images
1963年、シボレーはコルベット・スティングレイを発表し、コルベットクーペのデビューを飾った。
このモデルは、独特の傾斜したリアデッキ、隠されたヘッドランプ、機能しないボンネットベント、独立したリアサスペンションが特徴的だった。
シボレー・コルベットの歴史と魅力

シボレー・コルベットは、これまでに生産された中で最も象徴的なクルマのひとつとして広く認知されている。
1953年に初めて米国で発売されて以来、7世代にわたるデザインの変遷を経て、現在は8世代目だ。
どのモデルも、革新的なエンジニアリングと美的特徴をベースに開発され、アメリカの人気車種としての地位を確固たるものにしている。

シートベルトを締めて、その製造の歴史に思いを馳せてみませんか?シボレー・コルベットの物語における重要なマイルストーンを巡る旅に出かけましょう。ギャラリーをクリックして詳細をご覧ください!

ランボルギーニ・ミウラ

2025-02-11
時速270km超の火の玉、超高速

メルセデス・ベンツW111

2025-02-11
1959年8月に正式に発表された。 ©Getty Images

究極の後席VIPのために…… 天皇御料車も存在したメルセデス・ベンツを代表する歴代超高級モデルたち

2024-09-24

メルセデス自らが誇る特別なモデル

 ドイツの自動車メーカー「メルセデス(ベンツ)」は「高級乗用車に秘められた顧客満足度を高める仕掛け」を常に盛り込んでクルマを世に送り出してきた。安全対策やモノ作りへのこだわりの現れであるメルセデス・ベンツ車だが、なかでも「メルセデスが誇る歴代の特別モデル」があるので紹介しよう。

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