往時の名車達
国産車の世界
『どん底でも平気だ』
『平坦な道は歩いたことはないし、70歳を超えた今でも、坂道をあがり続けています』
藤田まことさんの言葉で
『平坦な道は歩いたことはないし、70歳を超えた今でも、坂道をあがり続けています』
ハイウェイバスの誕生
「いつかはクラウン」を国民の初夢に? 元旦に生まれた初代クラウン 初の純国産 切り開いた道
戦後、自動車メーカーが海外メーカーと提携することで産業を軌道に戻そうしている最中、独自路線をとり純国産開発にこだわる企業がありました。それがトヨタで、1955年1月、後に同社のフラッグシップを担うクラウンが誕生します。
歴史に名を残すトヨタのフラッグシップ
68年前の1955年1月1日、トヨタ自動車工業(現:トヨタ自動車)が日本初の純国産設計車である初代トヨペット・クラウンが誕生しました。この日、同社の挙母工場(現在の本社工場)にて、関係者に祝福されながら初出荷されたのです。
戦後直後、日本を占領していたGHQの命令で、トラックを生産していたトヨタでしたが、1947年6月30日に乗用車の生産が許可された後、1948年に社内技術者の中村健也が乗用車を作るための建議書を上層部に提出しました。
当初、乗用車開発のための設備や資材を揃える経費があまりに高額ということで、社内では無理だという声が多かったようです。しかし、トヨタの実質的な創業者である豊田喜一郎は、国産乗用車の生産という戦前から悲願を成し遂げるべく、トヨタ単独による生産に向けて動き出し始めます。
1950年代、日本は戦後復興の最中にあり、自動車産業も活気づいていましたが、国内の自動車メーカーは国外メーカーと提携することでクルマ産業を軌道に戻そうしていました。トヨタはその中で純国産乗用車にこだわる独自路線をとり、1952年から開発に着手。当時の日本の環境に合わせ、悪路にも十分に耐えうる耐久性や、乗り心地のよい運転性などを研究した他、当時の大口顧客であるタクシー業界へ聞き取り調査を行いました。
「クラウン」と命名したのは、喜一郎でしたが、開発に取りかかった矢先の1952年3月27日に突然亡くなってしまったため、残念ながら完成を見ることはありませんでした。
初代クラウンは、後席の乗り降りを考慮した観音開きのドアが特徴で、乗車定員は6名でした。キャッチコピーは「軽快・堅牢なシャシー、広くて快適な車室」で、後に同社のフラッグシップを担うモデルにまで成長。日本の自動車産業が世界に打って出る歴史は、ここから始まったといっても過言ではありません。
【了】
『気がつかないふりをする』
外車の世界
半世紀を経ても色褪せない名車! 銀メタルのポルシェ「911T タルガ」
1960年代末に登場したポルシェ「911T」は、クラシック911のなかでも独特の存在感を放つモデルです。当時の911シリーズにおけるエントリーモデルに位置付けられたといいます。
上級仕様の「911E」や「911S」と比べて出力は控えめながら、軽快なハンドリングと扱いやすさで評価され、日常で楽しめるスポーツカーとして人気を博しました。
なかでも、1973年から生産されたこのモデルは特別な存在とされています。
たとえば、従来のウェーバー製キャブレターに代わり、燃料噴射装置として「ボッシュKジェトロニック」を初めて採用。























