巨人軍のリジェンド達
巨人軍のリジェンド
「ナベツネの最大の功績は...」
2025-02-10
広岡達朗が語った渡邉恒雄との知られざる縁
1996年、渡邉は正力亨を名誉オーナーにし、自ら巨人軍オーナーに就任する。
「ナベツネからの手紙をきっかけにちょくちょくやりとりをし、毎年、盆と暮れには贈り物も届いていた。でもオレが、巨人批判やコミッショナーの機能不全について厳しく指摘すると、贈り物も来なくなったよ。
でもナベツネの最大の功績は、1992年のオフに長嶋を巨人の監督に復帰させたことだ。Jリーグが発足し、プロ野球人気を考えての英断だった。務臺さんが存命の間は長嶋の復帰は絶望的だったから、ナベツネが読売新聞社の社長になったことで実現したというわけだ。巨人の監督は"読売新聞社の権力の鏡"とも言われていたから、ナベツネの影響力がいかに大きかったかがわかる」
現役時代に三遊間を組んだ長嶋の監督復帰は、広岡にとっても大きな刺激となった。実際、長嶋の監督復帰の2年後、ロッテのGMに就任している。
「ひとつの大きな星が動けば、周りも動く」
広岡はそう語りながら、遠くを見つめていた。
文中敬称略
桑田真澄
2025-02-09
【昭和61年】中日 vs 巨人【桑田真澄・プロ初登板】
PL学園 桑田真澄投手のトリプルプレー
1984 桑田真澄 甲子園 夏 高校時代、最も速い球を投げたと言われる試合
1992 桑田真澄 8 完封&自らホームラン打つ
1994 桑田真澄 3 11奪三振完投 東尾氏直伝フォーム?
1994 桑田真澄 7 max150km 速球走る
1994 桑田真澄 8 セリーグ最多奪三振16個で完封
マジで精密機械!!!桑田真澄が凄過ぎる。。。
1997年4月6日 巨人-ヤクルト3回戦 桑田復活登板! 清原移籍後初HR!
これぞ!桑田真澄!ピッチングがエグすぎる!!
【豪華すぎるスターたち】伝説の江川卓8者連続奪三振【1984プロ野球オールスター】
2025-02-09
1984 江川卓 8連続三振 オールスター
1985 江川卓
1983 江川卓 4 高めのつり球
1982 江川卓 8 完封14奪三振 ホップしてる? 再UP版
【読売巨人軍の伝説】江川卓、全盛期のピッチング
1982 江川卓 5 スピードガンとスピード感の大いなる違い
1981.11 江川卓 日米野球
1981 江川卓 1 日本シリーズ
1980 江川卓
【ON】プロ野球が旋風を巻き起こしたV9時代を振り返る
2025-02-09
藤田元司
2025-01-30
悲運の名投手が
「藤田元司ー悲運の名投手が」
読売巨人軍の大功労者になりました!
愛媛の西条高校では甲子園に行けず進学した慶応では通算31勝をあげたが優勝は一年春だけの悲運、六大学(1952-1955)同学年には明治の秋山がいて立教の長嶋&杉浦は(1954-1957)の活躍!1956社会人日本石油にはいり都市対抗で即優勝し橋戸賞を受賞!
1957慶応OB水原監督に誘われ巨人いりしすぐエースになる、
1957は17勝新人王、1958は29勝1959は27勝で最多勝2年連続MVP
惜しかったのは1957&1958は強打の西鉄1959は南海の杉浦の前に敗れ日本一に成れなかったこと!現役は1957-1964で通算119勝だったが1965-1973と厳しい川上監督の下で重要な一軍投手コーチをして信頼を勝ち取る、大投手が名投手コーチというのは珍しいのでは!
そのあとNHK解説者をしたりしてしていたときにあの「長嶋解任」の世間を揺るがす出来事に巨人が指名したのは藤田監督だった、1981就任後リーグ優勝日本一、1982は2位1983は優勝という成績なのに地位にこだわらないのか勇退、その王が成績不振で解任されると再び読売の実力者の務台社長に請われ巨人監督に復帰し再び藤田マジックなのか1989優勝日本一、1990優勝、1991は4位、1992は2位で体調が悪いので勇退する!
川上監督に信頼され、ドラフトでくじを当てた原辰徳から慕われ
慶応OBで大投手だつたのに人間性が素晴らしくこういう人はなかなかいないのでは!読売巨人軍の大功労者だと思います!