巨人軍のリジェンド達
巨人軍のリジェンド
川上さんがやめる。球団が後継者は長嶋だと決めている。
"球界のご意見番"廣岡達朗さんが選ぶベストナイン!
現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(69)が31日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。大好評対談企画「博満の部屋」の第4回目として、現役時代は巨人の遊撃手として活躍、監督としてヤクルト、西武をそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた広岡達朗氏(91)をゲストに招いて対談を行った。
原爆体験から、早大、巨人時代、そして川上哲治氏との関係性など、さまざまな興味深い話を落合氏とともに振り返ってきた広岡氏。球界のご意見番としてプロ野球界を見続けてきた91歳レジェンドのベストナインとは――。
落合氏が「現役の時でも、西武時代、ヤクルト時代でもベストナインを挙げるとしたら誰ですか?」と質問。すると「ああ~、神経細かかったのはセカンド千葉(茂)さんだね。川(上哲治)さん、ファーストいいな」とスラスラと名前を挙げ始めた。
ここで落合氏が「捕らなくても?」と正面に投げない限り「捕ってくれなかった」という秘話を広岡氏が語っていた川上氏の名前が挙がったことに驚きの表情。それに対して広岡氏は「うん、あれ捕るように放りゃいいんだから」と一言。続けて「サードの宇野(光雄)さんはすぐトレードで国鉄行ったけどね。あの人もよかったで。キャッチャーはね、ハワイのカーリー広田(順)。藤尾(茂)は打てて、なんとかあって、森昌彦(祇晶)がなったけど、森は頭はいいけどインチキ」と、ここで広岡節。それでも「森の頭脳は買いたい。見る目はしっかりしてる」と選出した。
続けて「ショートは…」と広岡氏が思案したところで、落合氏が「広岡さんでしょ」とツッコミ。「えへへ」と笑いながら広岡氏が「俺は自分で言えないから」と遠慮気味に言うと落合氏が「それは広岡さんですよ」ともう一押しして決定した。
「センターはウォーリー(与那嶺要)、ライトは南村(侑広)さん…」「(ピッチャーで)やっぱり、速かったのは金田(正一)。やっぱり、400勝いうのは」とあまり悩むことなく、広岡氏の現役時代のベストナインが選定された。
捕 手・広田順、藤尾茂、森昌彦
一塁手・川上哲治
二塁手・千葉茂
三塁手・宇野光雄
遊撃手・広岡達朗
外野手・与那嶺要、南村侑広、銭村健四、田宮謙次郎
79年ドラフト3位でロッテオリオンズ入団。81年打率.326で首位打者になり、以後83年まで3年連続首位打者。82年史上最年少28歳で三冠王を獲得、85年には打率.367、52本塁打、146打点という驚異的な成績で2度目の三冠王とパ・リーグの最優秀選手(MVP)に輝いた。86年には史上初の3度目、2年連続の三冠王を獲得。その後、中日ドラゴンズ(87~93年)、読売ジャイアンツ(94~96年)、日本ハムファイターズ(97、98年)に所属。98年現役を引退。通算成績は2236試合、7627打数2371安打、510本塁打、1564打点、65盗塁、打率.311。
現役引退後は野球解説者、指導者として活動し、2004年から中日の監督に就任、いきなりリーグ優勝を果たした。07年にはチームを53年ぶりの日本一に導く。11年は球団史上初の2年連続リーグ優勝。任期8年間すべての年でAクラス入りを果たし、リーグ優勝4回、日本一1回の「常勝チーム」を作り上げた。13年10月から17年1月は中日で球団初のゼネラルマネジャー(GM)を務めた。
07年、プロ野球の発展に大きく貢献した人物に贈られる正力松太郎賞を受賞。11年には競技者として野球殿堂入りを果たした。
「無理だ」と片付けずに日本に持ち帰った。 川上哲治。当時30代。
Facebook 松崎 督さん曰く
別所 毅彦(べっしょ たけひこ)
一リーグ時の南海再度の優勝の立役者となる。
現役引退後もコーチ、監督を歴任し後進の育成、指導に献身した。