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小学校のとき先生が・・・

2024-03-21
facebook 魂を揺さぶる言葉たちさん曰く

宇津井健 (俳優) 1931-2014

2024-03-16
【#あの人から365の言葉】
宇津井健 (俳優)
1931-2014 命日3月14日
戦後日本を代表する俳優の一人、宇津井健。悪と闘う警備員を描いた「ザ・ガードマン」シリーズや、父親役を演じた「赤い」シリーズなどのテレビドラマで数多くの視聴者の心をとらえた。また、「悪役はやらない」と断言、生涯、悪役を演じることはなかった。
1931年東京・深川で生まれた宇津井は、4歳で父を亡くし祖父母に育てられる。祖母の影響で幼い頃から芸事に親しみ、高校時代は演劇部で活躍した。その後、早稲田大学第一文学部演劇専修へ進学するが、大学の馬術部に魅了され、のめり込んでいった。一方、演劇への情熱も捨てられず、大学在学中に俳優座養成所受験し合格、第4期生として入団した。その翌年の1953年に青春映画「思春の泉」の主役に抜擢され、銀幕デビューを果たす。裸馬を乗りこなす腕前を買われての採用であった。その後、日本初の特撮ヒーロー映画「スーパージャイアンツ」の主役など若手スターの一人として活躍。しかし所属していた映画会社が倒産し、テレビの世界へと活躍の場を移す。そこで宇津井が演じ続けたのは「正義の味方・よわき者の味方」であった。1965年から始まった主演ドラマ「ザ・ガードマン」は高視聴率番組となり、約7年にわたって放映。また、1974年から1980年にかけて放映されたドラマ「赤い」シリーズでは“山口百恵の父親役”として百恵と共に一世を風靡、「理想の父親」と呼ばれるようになる。キャリアを積む中で、「テレビの役者は私生活もイメージを壊してはならない」と厳しく生活を律し、演じる役に徹底的に向き合うようになる。
さらに年を重ねる中でその思いは強くなり、50代以降、大河ドラマなどで重厚な役どころを数多く演じ重みのあるセリフと向き合いながら、「役者は良い役者を目指すのではなく、良い社会人を目指すべきだ」と信念を見出した。「悪役はやらない」俳優・宇津井の、役柄と人生を重ね合わせたその思いを伝える。

今朝まで彼氏と一緒でした的な雰囲気が…

2024-03-16
大石静氏と有働由美子氏 ©文藝春秋 © 文春オンライン
「光る君へ」吉高由里子は

今年1月から放送されている大河ドラマ『光る君へ』は、『源氏物語』の作者として知られる紫式部の生涯に迫った作品だ。脚本を担当したのは、『セカンドバージン』をはじめ、数々の話題作を手掛けてきたベテラン・大石静さん。しかし、当初は舞台が平安時代ということもあり、引き受けることに若干の躊躇もあったという。制作発表の記者会見において、「セックス・アンド・バイオレンスを描きたい」と語った大石さんに、執筆の上での力点や、自身にとっての紫式部像など、有働由美子さんが訊いた。

「令和の今なら事件」

2024-03-12
67年、宮崎キャンプで長嶋(後方)に頭をなでられる(右は王) © スポーツ報知/報知新聞社

 巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の第3回は、V9時代の大エース・堀内恒夫さん(76)=スポーツ報知評論家=が回顧する野球人生の喜怒哀楽だ。破竹の開幕13連勝を飾ったルーキーイヤーから、ONを差し置いてシーズンMVPを獲得した絶頂期、そして試練の監督時代…。「悪太郎」と呼ばれ、強烈な個性も魅力だった天才投手が語る「巨人」とは。

(取材・構成=湯浅 佳典、太田 倫)

 令和の今なら事件だろうけど、王さんに殴られたことがあった。3年目(68年)の6月、名古屋の宿舎でのことだった。チームは7連敗中で、門限は夜の11時だった。

遺族に笑顔戻る

2024-03-06
能登地震「おくりびと」の思いと技 「おかんやん!」遺族に笑顔戻る (msn.com)
能登地震「おくりびと」の思いと技 「おかんやん!」遺族に笑顔戻る (msn.com)

 少しでも生前の姿に――。元日に最大震度7を観測した能登半島地震は、多くの尊い命を奪った。直後は火葬場も被災し、荼毘(だび)に付されるのを待つ遺体の傷みが進んだ。そんな中、各地から駆け付けた納棺師が、犠牲者と遺族に向き合った。化粧などで遺体を整え納棺する「おくりびと」たちに、遺族から感謝の声が届いている。
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