【アーカイブス】一線を越えた闘い
【アーカイブス 核兵器:一線を越えた兵器 広島・長崎への投下】
The Atomic Bombings of Hiroshima And Nagasaki
【アーカイブス 特攻:一線を越えてしまった兵器】
『君が為 唯一筋に 空を征く 心の笑顔 誰か知るらむ』
軍神と記者 特攻 封じられた本心
裏千家十五代家元の千玄室さん死去
戦争経験を踏まえて 一碗(いちわん) の茶に平和への願いを込める「一碗からピースフルネスを」の理念を提唱。茶道文化の紹介とともに世界平和の実現を訴えて70か国以上を300回以上歴訪し、「空飛ぶ家元」と呼ばれた。
各地の大学などに茶道講座を開設、茶室や茶庭を作り、節目の年に平和祈念献茶式を開催。2000年と10年、15年、23年には米・ニューヨークの国連本部で事務総長や各国代表らを前に、11年にはハワイ・真珠湾で、旧日本軍の攻撃で沈没した戦艦アリゾナの記念館に日米関係者を招き茶を 点(た) てた。
裏千家の海外拠点は2024年1月現在で38か国・地域に113か所。1970年に茶道留学制度を設け、40か国以上の500人余りが京都の裏千家を訪れて茶と日本文化を学んだ。
ユネスコ親善大使、日本・国連親善大使、日本国観光親善大使を委嘱され、97年には茶道界初の文化勲章を受けている。
2002年、長男に家元を譲り、大宗匠、千玄室を名乗った後も海外訪問を続けていた。
08年には韓国・中央大学校で文学博士号を取得。25年の大阪・関西万博の誘致特使も務めた。
晩年は戦争体験を基に平和や防衛問題での発信を強め、沖縄や地元の京都などで講演活動を行っていた。
今年4月に102歳を迎えた後も外務省参与など100以上の公職、役職を持ち、1時間以上の講演をこなすなど精力的に活動していた。
茶道の国際化と普及に努めた茶道裏千家十五代家元で文化勲章受章者の千玄室(せん・げんしつ)さんが亡くなったことが14日、わかった。102歳。
1923年、十四代家元淡々斎碩叟宗室の長男として誕生、幼名は政興(まさおき)。46年、同志社大法学部卒業後、ハワイ大に留学。49年、京都・大徳寺で得度して鵬雲斎の号を受けた。64年、父の急逝により十五代千宗室を襲名した。
51年、茶道文化紹介のため渡米。以後、一碗(いちわん)を飲み合うことで人の輪を作り、平和を生み出そうという意味のキャッチフレーズ「一碗からピースフルネスを」を掲げて世界62カ国以上を歴訪、「茶の湯外交」に積極的に取り組み、茶道の海外への紹介と国際文化交流に貢献した。
この功績が認められ98年、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受けたのをはじめ数々の勲章を授与され、国際茶人としての立場を確立。分かりやすい入門書などを多数著し、茶道の普及に努めた。国内では73年藍綬褒章、80年紫綬褒章を受章し、。89年に文化功労者。94年勲二等旭日重光章、97年には茶道界で初めて文化勲章を受章した。
日本青年会議所会頭、国語審議会委員、国際青年会議所副会頭、中央教育審議会委員など要職を歴任。馬術で国体に2度の出場経験があり、日本馬術連盟会長、アジア馬術連盟名誉会長、日本オリンピック委員会(JOC)名誉委員などを務めた。94年の平安建都1200年の際には、記念協会会長として行事のけん引役を務めた。
若宗匠宗之さん(現十六代家元宗室)が83年、三笠宮崇仁親王殿下の次女容子さんと結婚、皇族とも姻戚関係を結んだ。「冠婚葬祭入門」がベストセラーになった塩月弥栄子さんは実姉。学徒出陣で海軍に入隊したころから俳優の故西村晃さんと親友だった。「茶の精神」「茶の心」「茶のすがた」「お茶をどうぞ」「お茶の道しるべ」など著書多数。































