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【アーカイブ】】作戦・闘いへの導線の巻

【アーカイブス】作戦の記録

Dive Bombers Attack The Japanese Aircraft Carriers Scene

2025-07-07
MIDWAY (2019) Movie CLIP HD
急降下爆撃機が空母を沈めたミッドウェー海戦

義烈空挺部隊(昭和20年5月24日)

2025-06-15
義烈空挺隊 ~元隊員と同行記者が語る隊の素顔~
義号作戦 玉砕覚悟の敵地奇襲 奥山道郎大尉(大佐)ひきいる義烈空挺隊 AIカラー化 白黒写真をカラーに
義烈空挺隊 奥山隊長訓辞

バルチック艦隊 なぜ勝てた

2025-03-11

バルチック艦隊は、日露戦争の戦局において、ロシア帝国の重要な海軍部隊として注目を集めました。
しかし、結果として対馬海戦で敗北を喫しました。
それにもかかわらず、一部の作戦では一定の成功を収め、「バルチック艦隊はなぜ勝利できたのか」という議論が残されています。本記事では、彼らが勝利した要因や戦略的な強みについて分析します。

バルチック艦隊が教えてくれるもの

バルチック艦隊の歴史は、戦術的な勝利が戦略的な勝利に結びつくわけではないことを示しています。また、成功は単なる装備や戦術だけでなく、リーダーシップや計画の精密さに依存しているのです。

哲学的考察:勝利とは何か

勝利とは単に戦闘に勝つことではなく、目的を達成することでしょう。バルチック艦隊の奮闘は、全体的な敗北の中にも人間の勇気と努力の光を見せてくれます。歴史から学ぶべきことは、成功も失敗も同時に受け入れ、それを未来に生かすことではないでしょうか。

日露戦争

2025-03-11
27日午後3時10分過ぎ、同航戦の末撃沈される「オスラービア」(『幕末・明治・大正回顧八十年史 第13輯』国立国会図書館蔵)
勝敗を分けた「丁字戦法」と「密封命令」の真実

バルチック艦隊殲滅が至上命題

 最も議論があるのは、東郷がとった「 てい (英語では ティー 字)戦法」がどこまで連合艦隊の勝利につながったのかという点だ。2列になって北上するバルチック艦隊を見た東郷は取りかじを指示して「東郷ターン」と呼ばれる敵前での艦隊大回頭を敢行し、敵艦隊の進路前方を横切る形にして敵の先頭艦「スワロフ」と「オスラービア」に砲火を集中させつつ、敵艦隊と並走する「同航戦」に持ち込んでいる。

バルチック艦隊撃破!日本海海戦【5月27日】
27日午後2時8分、旗艦「三笠」艦橋(『幕末・明治・大正回顧八十年史 第13輯』国立国会図書館蔵)

日本軍海軍参謀の秋山真之は、バルチック艦隊を迎え撃つにあたりT字戦法という戦略を立てました。 
 T字になることで、敵の先頭艦を常に圧迫するように進行することができ、そのため、指揮官が乗っている先頭艦を集中攻撃でき、敵の艦隊の命令系統を混乱におとしいれることができるのです。
 この戦法での決め手は、横腹を見せて多くの砲門から撃つ砲弾が、どれだけ縦列陣を敷いてくる敵戦艦に命中するかという命中率にかかっていました。仮に、敵の砲弾のほうが正確に日本艦隊を射抜けば、惨敗もありえるわけです。

ミッドウェー海戦ドキュメント『運命の五分間:帝国海軍機動部隊のいちばん長い日』

2022-01-24

1942年6月4日、連戦連勝の帝国海軍機動部隊は米領ミッドウェー諸島を攻撃。しかし、事前に情報を察知していた米軍の待ち伏せを受け、わずか1日の戦闘で壊滅的な敗北を喫した。 太平洋戦争の転換点となり、世界の海戦史上にも残るこの戦いを、開幕から終幕まで時系列で追った迫真の海空戦ドキュメント。(英語字幕付き) 

米航空隊の攻撃を回避する飛龍 その後撃沈される
正規空母>飛龍<昭和14年7月5日竣工。
新造時から大変実用性のある艦として完成し、以後の戦時計画艦の基本となった。太平洋戦争に参加。昭和17年6月5日、ミッドウェー海戦で米空母機の爆撃により大破。翌6日、駆逐艦「巻雲」により雷撃処分された。
昭和14年、南寧作戦に従事中の蒼龍と九十七式一号艦上攻撃機
 昭和12年12月29日竣工。全長に達する飛行甲板を初めて新造時から採用した。太平洋戦争に参加。緒戦期に飛龍と航空戦隊を組み大活躍したが昭和17年6月5日、ミッドウェー海戦で米空母機の爆撃により沈没した。
昭和11年、第二航空戦隊に編入時の加賀(改装後)
 大正6年、戦艦として計画。ワシントン軍縮条約により廃棄の予定であったが大正12年の関東大震災で空母改造予定の巡洋戦艦天城が大破。加賀がその代艦となり大正13年9月、空母改造に着手した。昭和3年3月31日に竣工。昭和9年6月より改装が行われ、昭和10年6月25日完成。太平洋戦争に参加。昭和17年6月5日、ミッドウェー海戦で米空母機の爆撃により沈没。
昭和16年、ハワイ作戦時の赤城
 大正6年、巡洋戦艦として計画されたが、ワシントン軍縮条約に基づいて大正12年に空母改造に着手した。昭和2年3月25日竣工。昭和10年10月より改装工事、昭和13年8月完成。太平洋戦争に参加。昭和17年6月5日、ミッドウェー海戦で米空母機の爆撃により大破。翌6月6日、雷撃処分。
現地時間5日早朝に空母「鳳翔」艦載機が撮影した炎上する「飛龍」。飛行甲板前部が大きく破壊されている。この数時間後に沈没したとみられる(画像:アメリカ海軍)。
映画『ミッドウェイ』本編映像|勝敗を左右する“情報戦”編
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