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【アーカイブ】】作戦・闘いへの導線の巻

【アーカイブス】作戦の記録

石井部隊の足跡が・・・

2025-08-26
西日本新聞 2025年08月26日 朝刊

チビチリガマ

2025-08-15
facebook 平野 喜之さん曰く
今年の3月11日に家族でここを訪れました。
以下、8月15日の浄専寺全戦没者追弔法会の法話の資料として碑文を文字起こししました。
それをここに掲載します。
「チビチリガマから世界へ平和の祈りを
一九四五年四月一日、米軍はこの読谷村の西海岸から沖縄本島へ上陸した。
それは、住民を巻き込んだ悲惨な沖縄戦・地上戦であった。
その日のうちに、 米兵はチビリガマ一帯に迫っていた。
翌ニ日、チビチリガマへ避難していた住民約一四〇名中、八十三名が「集団自決」をした。
尊い命を喪った。
あれから三十八年後、やっと真相が明らかになった。 
その結果、八十三名のうち約六割が十八歳以下の子供たちであった。
その他、二名が米兵の手によって犠牲になった。
「集団自決」とは、「国家のために命を捧げよ」「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ 」といった皇民化教育、軍国主義教育に よる強制された死のことである。
遺族は、チビチリガマから世界へ平和の祈りを、と「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を彫刻家金城實氏と住民の協力のもとに制作した。
しかし、像の完成から七カ月後、十一月八日、心なき者らにより像は無残にも破壊された。
住民は怒り、遺族は嘆いた。
全国の平和を願う人はそのことを憤り、励ましと多大なカンパを寄せた。
あれから七年余が経過し平和の像の再建が実現した。
チビチリガマの犠牲者への追悼と平和を愛するすべての人々の思いを込め、沖縄戦終結50周年にあたり、ふたたび国家の名において戦争への道を歩まさないことを決意し、ここにこの碑を建立する。
一九九五年四月二日
チビチリガマ遺族会」

ガマが消える前に 埋もれゆく戦争の記憶

2025-08-21
お天道様に顔を向けて ~社会復帰の伴走者~
8月17日(日)深夜のNNNドキュメント’25は 
 ガマが消える前に 埋もれゆく戦争の記憶
沖縄の自然洞窟「ガマ」には、手榴弾や生活用品などが80年前の姿のまま、沖縄戦の記憶を残している。そのガマを独自に調査している鳥取県鳥取市に住む清水章宏さん。近年感じているのが、ガマの劣化や崩落により立ち入ることさえ困難な場所も増え、戦争の記憶が埋もれてしまうのではないかという危機感。証言者が少なくなっていくなか、「物言わぬ語り部」と言われるガマを、戦争の記憶をどのように残していけばいいのか。
予告動画は下記です。 
番組Xでもご覧頂けます。 
放 送:8月17日(日)24:55〜25:25〜日本テレビ系列 
ナレーター:貫地谷しほり
制 作:日本海テレビ
再放送:8月24日(日)8:00~BS日テレ 
8月24日(日)5:00/24:00〜日テレNEWS24(CSなど)

沖 縄 戦 忘 れ さ せ な い

2025-07-09
西日本新聞 2025年6月21日朝刊 14~15面 令和と戦後80年より

島を守る日本人駐屯所21,000人のうち、捕虜になったのはわずか215人。

2025-08-21
facebook War History Onlineさん曰く、1945年2月、硫黄島の戦い中に捕らえられた日本人初の捕虜集団。
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