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【アーカイブ】】作戦・闘いへの導線の巻

【アーカイブス】作戦の記録

 “戦争の生き証人”

2025-12-08
戦世から80年 “戦争の生き証人”沖縄陸軍病院南風原壕(沖縄テレビ)2024/10/16
79年前のまま残る地下壕…首里城地下に眠る“戦跡”【報道ステーション】(2024年6月21日)
【戦争を知る】首里城の地下に眠る第32軍司令部壕~日テレ戦争アーカイブス~
【生徒たちは戦場に行った・前編】沖縄決戦で散った少年兵たち…80年前に起きたこと『every.特集』
【生徒たちは戦場に行った・後編】沖縄決戦で散った少年兵たち…80年前の悲劇を伝えるために『every.特集』
【沖縄戦】半数以上が亡くなったひめゆり学徒隊「顔がつぶれた人のうめき声が絶えなかった」
地獄船に乗せられた戦争捕虜/沖縄テレビ(2017年)【沖縄戦を学ぶ】

ペリリュー島の戦い

2025-12-05
讀賣新聞 2025.12.05朝刊
ペリリュー島の戦いの実態!狂気と憎悪が渦巻いた戦場での『日本兵の生活』が地獄だった…
『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』本予告/12月5日(金)公開
【映画ペリリュー -楽園のゲルニカ-】これ見れば全てが分かる!
予告編から衝撃のストーリーを徹底考察/1万人中34人しか生還できなかった激戦/終戦80年・平和とは何か
『ペリリュー —楽園のゲルニカ―』主題歌 上白石萌音「奇跡のようなこと」コラボレーションMV
『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』キャラPV(島田・小杉・泉・片倉)/12月5日(金)公開

牛島満司令官の辞世の句、改変

2025-10-08
牛島満氏 © 共同通信
沖縄戦、軍部が戦意高揚図ったか

太平洋戦争末期の沖縄戦で、防衛に当たった日本陸軍第32軍の牛島満司令官が自決前に打電した辞世の句が、戦意高揚を図る内容に書き換えられた上で、当時の新聞各紙に掲載されていたことが8日までに分かった。確認した沖縄国際大の吉川由紀非常勤講師(沖縄戦研究)は「句を受け取った軍中央部が改変した可能性がある」との見方を示している。

 国立公文書館アジア歴史資料センターが公開している電報の資料や、沖縄県が編さんした県史の資料編によると、句は元々「秋ヲモ待タデ 枯レ行ク島ノ田草ハ 帰ル御国ノ春ヲ念ジツツ」と記されていた。送信は1945年6月18日だった。

 しかし、沖縄での日本軍の組織的戦闘が終わった後、26日以降の新聞には「秋を待たで 枯れゆく島の青草は 皇国の春に甦らなむ」との句が掲載された。

 吉川氏によると、元の句は「田草のような私は死んでいくが、日本が戦争に勝ち、安泰となることを願う」との意味。一方、新聞の句は臣民(青草)が「再び立ち上がってほしい」(皇国の春に甦らなむ)という内容になっている。




陸上自衛隊第15旅団のホームページに掲載されている牛島満司令官の辞世の句 © 共同通信

傀儡の地

2025-09-21
【全篇】『滿洲 序篇』 1932-1933年|「フィルムは記録する」より
帝都東京 / Tokyo, Empire of Japan 1938
東京(昭和10年): Tokyo, Japan(1935)9.5mm Pathe film

日本が行っていた「南方での新聞委託経営」の実態

2025-08-23

「状況芳しくなく、腹は決まっています」

「これが最後の通信になるかもしれません」

「足の悪い者や病人は濁流の中に呑まれて行く」

最前線、爆弾投下、連絡員の死、検閲……何が写され、何が写されなかったのか?

新刊『戦争特派員は見た――知られざる日本軍の現実』では、50点以上の秘蔵写真から兵士からは見えなかった〈もうひとつの戦場〉の実態に迫る。

(本記事は、貴志俊彦『戦争特派員は見た――知られざる日本軍の現実』の一部を抜粋・編集しています。秘蔵写真の数々は書籍でお楽しみいただけます)

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