スタジアム編
神宮
全日本大学野球選手権大会の歴代優勝回数ランキング
大学野球日本一を決める第72回全日本大学野球選手権大会は、6月11日に明治神宮野球場で決勝が行われ、青山学院大(東都)が18年ぶり5回目の優勝を果たした。全国各地域の春季リーグ優勝チームが戦う大学野球最高峰のタイトル。1952年に行われた第1回大会以降、歴代優勝回数ランキングの上位校を紹介する。
歴代最多の優勝8回を数えるのが法政大学(東京六大学)。初優勝は第9回大会(1960年)で、延長14回の末、同志社大学を2-1で下した。 その後も大学球界の雄として活躍し、2009年に8度目の優勝を飾った。
歴史のある法政大学はプロ野球に多くの人材を輩出。「法政三羽烏」と呼ばれた田淵幸一氏、山本浩二氏、富田勝氏は1968年の全日本選手権で優勝し、3選手とも同年ドラフト1位でプロ入りした。また、東京六大学最多の48勝を挙げた山中正竹氏、歴代2位の47勝を挙げた江川卓氏は、いずれも法政大学だった。
慶大・渡辺憩 初打席代打サヨナラ弾!
◇東京六大学野球・第3週最終日 慶大2―1法大(2024年4月29日 神宮)
新人がリーグ史上初の快挙で劇勝を呼んだ。慶大・渡辺憩捕手(1年)が29日、法大戦の1―1の延長12回1死走者なしから代打出場し、左越えソロ。100年目を迎えたリーグ戦では史上初の「初打席代打サヨナラ本塁打」となった。昨夏の甲子園では、慶応(神奈川)の捕手として107年ぶりの優勝に貢献。1年生の華々しい神宮デビューにより2―1で勝利したチームは、2勝1敗で勝ち点を2とした。
「KEIO」が107年ぶりに甲子園を制した夏から250日。渡辺憩が再び歴史の扉を開いた。引き分け寸前だった延長12回1死走者なしから代打で初出場。カウント3―1から外角高め直球を捉えると、左翼手は一歩も動くことなく頭上の打球を見送った。白い歯を光らせダイヤモンドを一周。本塁付近で仲間からの手荒な祝福が待っていた。
引退の斎藤佑樹氏 学生野球の指導に意欲
春の椿事
東大・井手峻監督 プロでは「1勝、1本塁打」コーチ、フロント、球団代表も務めた苦労人…うれしい母校での勝利
落合打撃かもらヒント!落合打撃からもヒント!
甲子園
高校野球応援に吹奏楽部はいらないと言う人へ
なぜ習志野や慶応の応援に心を奪われるのだろうか。
きっと本気を見せられているからだ。本気でプレーする野球部に本気で感情移入し、本気で演奏し、本気で叫ぶ。吹奏楽部にとって野球部は高い目標を共有できる仲間であり、同じ熱量を持ったライバルなのだ。近年、ブラックだ、時代錯誤だと悪役として叩かれる「部活」だが、そんな貴重な体験ができる希少な場所でもある。
この夏、本気で汗を流し、声を枯らした部活生は習志野や慶応だけじゃない。野球部、吹奏楽部に限らず全国にたくさんいる。
慶応の応援が相手に圧を与えている?それだけの熱を持てるのはグラウンドの仲間と連帯している証。嫌々駆り出されては本気になれない。高校野球に吹奏楽部の応援はいらないと言う人がいるらしい。
大きなお世話としか返しようがない。彼らの部活動だ。熱い、熱い本気の青春を黙ってうらやましがっていればいい。(専門委員)
慶應義塾高等学校 野球部
私たちについて
現在の夏の甲子園、「全国中等学校優勝野球大会」は1915年に始まる。東京代表は「都下中学優勝戦」を制した早稲田実業が選出され、慶應は涙をのんだ。そして迎えた第2回大会。慶應は快進撃を続け、決勝で大阪代表の市岡中に6-2で勝利して全国制覇を成し遂げた。ちなみに大会全4本のホームランのうち2本が慶應。また当時は豊中球場(大阪)で行われていた。
慶応義塾高校 応援
慶應義塾高 塾歌
慶應・清原勝児選手支えた母・亜希さん「野球弁当」のすごさ
清原選手をずっと支えてきたのが、母・亜希さん。
亜希さんの著書『亜希のことば 私を笑顔にしてくれるヒト・コト・モノ』には、野球の練習を支えてきた「野球メシ」のレシピも多く掲載されています。同著からの抜粋で、亜希さんが息子さんたちの成長を願って日々作っているごはんのレシピを一部ご紹介します。