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公務:鴨場接待
「家族葬」や「直葬」といった葬儀の簡略化が一般に進んでいる。なぜ、皇族の葬儀の一連の儀式はその方向に向かわないのか。
宮内庁のホームページが16年ぶりにリニューアルされることになった。デザインを一新するとともに、スマホの画面に対応した表示ができるようになるようだ。
どのようにリニューアルされるか注目されるところだが、皇室のことについて記事を書く上で、宮内庁のホームページが参考になることが少なくない。なにしろ天皇皇后をはじめ、各皇族の日頃の活動ぶりがそこからわかるからである。
当然、愛子内親王がどういった日程をこなしているのかも、そこから知ることができる。それを見ると、昨年の終わりの時期にかなり多忙だったことがうかがえる。
それは、三笠宮百合子妃が2024年11月15日の朝に101歳で薨去(こうきょ)されたからである。その当日、天皇皇后と愛子内親王は弔問のため三笠宮邸を訪れている。
天皇や皇族の場合、明治に時代がかわるまで、葬儀は仏教式で営まれていた。江戸時代には、皇室の菩提寺である京都の泉涌(せんにゅう)寺で葬儀が営まれ、遺体は境内にある月輪陵に土葬された。
ところが、明治政府は、王政復古ということで、それまでの体制を改め、神道と仏教を分ける「神仏分離」を行った。それに伴って皇室からも仏教の信仰は一掃されることとなったのである。
明治天皇の父親である孝明天皇については、泉涌寺で仏教式で葬儀が営まれたものの、山階宮晃(やましなのみやあきら)親王が明治31(1898)年に83歳で亡くなった際、「かねて帰依の仏式にて葬儀を営みくれよ」と遺言していたにもかかわらず、当時の宮内省はそれを認めなかった。
晃親王は、江戸時代に門跡寺院である京都山科の勧修寺を継ぐため一旦は出家した。幕末に還俗しているが、明治になっても仏教信仰を持ち続けていた。ただ、宮内省は認めなかったものの、古式に則って葬儀が行われた後、密かに仏教式の葬儀も営まれている。遺言はかなえられたのである。
果たして今も、こうした煩瑣(はんさ)な葬送儀礼をくり返すことは必要なことなのだろうか。
宮内庁としては、それで予算を確保できるのかもしれない。役人はいかに予算を確保するかに力を注ぐ。
だが、皇室喪儀令をモデルとした葬送儀礼を続けることは、天皇や皇族に大きな負担を強いることになる。皇族の数が減り、公務の負担がその分大きくなっているなかで、葬送儀礼の簡略化は是非とも必要なことではないだろうか。
現在の上皇の意向で、土葬を火葬にするとともに、御陵(ごりょう)(天皇の墓)が縮小されることになったのは、まだ天皇に在位していた2013年のことだった。葬送儀礼の簡略化は、そうした上皇の意向に沿うものであるはずである。
皇室喪儀令は廃止されてしまったわけで、天皇や皇族の葬送儀礼は法律によって定められたものではない。政府が決定すれば、すぐに実現される。
首相の決断が、今や求められているのである。
---------- 島田 裕巳(しまだ・ひろみ) 宗教学者、作家 放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。 ----------












