決断の時
闘いの記録 (戦争と人間)
とびきりの笑顔
2024-07-27
先週、バイデン大統領が、選挙戦に撤退を表明し
ハリス副大統領を次期大統領候補者に指名した後、
彼女がどう言うパフォーマンスを
するか気にしていたところ、
トランプ大統領の傲慢な態度に怒りと失望を感じていた
アメリカ国民の心を、
とびきりの笑顔と抑制された礼儀正しさで、受諾した。
しかも、
“I will win “と言わずに、既に民主党に候補者として選ばれたかのような表現で、”We will win “
と表現して
民主党候補者には私が最も相応しいと言う表現で以て、国民に、訴えた。
これは、自分こそ大統領として最も必要な「自信confidence)」を
持っていると言う表れだと思う。
そして、彼女は、その溢れる笑顔で
アメリカ国民に、大統領選挙に勝ってみせるというと言う強い意志を
示した。
ハリス副大統領を次期大統領候補者に指名した後、
彼女がどう言うパフォーマンスを
するか気にしていたところ、
トランプ大統領の傲慢な態度に怒りと失望を感じていた
アメリカ国民の心を、
とびきりの笑顔と抑制された礼儀正しさで、受諾した。
しかも、
“I will win “と言わずに、既に民主党に候補者として選ばれたかのような表現で、”We will win “
と表現して
民主党候補者には私が最も相応しいと言う表現で以て、国民に、訴えた。
これは、自分こそ大統領として最も必要な「自信confidence)」を
持っていると言う表れだと思う。
そして、彼女は、その溢れる笑顔で
アメリカ国民に、大統領選挙に勝ってみせるというと言う強い意志を
示した。
So, friends, we have 105 days until Election Day. And in that time, we’ve got some work to do. But we’re not afraid of hard work. We like hard work, don’t we? (Applause.) And we will win this election. (Applause.) Yes, we will.
さあ、皆さん、我々は、大統領選挙まで後105日ある。
それまでに、我々にはやらなければいけない仕事がある。
でも、我々は、困難な仕事は恐れないでしょう?だって、
我々は、困難な仕事が好きだから!!
そして(私はではなくて)我々は、この選挙に勝つんです!必ず!
短いフレーズを繰り返し、We と言って呼びかけ、
必ず勝つと言う強い意志を表明している。
とびきりの笑顔で、女性としての慎みをこめながらも、
短いフレーズを観衆に向かって、
ゆっくりと、力強く語りかけた。
久しぶりにアメリカらしいアメリカを見た。
私は、ハリス副大統領が、この大統領選挙に勝つ(勝って欲しい)と思うが、
女性が大統領になると言うのは、
物凄く今のアメリカが制御不能に陥っていると
言うことを意味するんじゃないかと思っている。
逆に言うと、トランプが大統領に返り咲くとなると、
アメリカの没落や疲弊は、まだ底をついていないような気がする。
それだけに、ハリス副大統領が大統領になった時のアメリカは、
ロシア、中国、中東問題、ウクライナ問題について
男性の手には負えない重要な判断を迫られる可能性があるかもしれない。
今になっての候補者変更!!
2024-07-24
【アメリカ大統領選】ハリス副大統領 世論調査でトランプ前大統領をリード
【アメリカ大統領選挙】バイデン大統領…撤退表明 後継候補にハリス副大統領指名
アメリカ軍 イラクとシリアで親イラン武装勢力への報復攻撃を開始(2024年2月3日)
2024-02-03
ヘンリー・キッシンジャー氏が決して理解しなかったこと
2023-12-05
(CNN) 彼の送った生涯は、ありそうにないものだったと同様に、重要な結果を社会へもたらした。ヘンリー・キッシンジャー氏は、ドイツの小さな町フュルトにある小規模なゲットー(強制居住区)で生まれた。祖父母はナチスに殺害されたが、同氏は何とか逃げ延びた。本人と両親、弟は1938年後半に米ニューヨークへ移住した。ドイツを出たいなどとは全く思わなかったが、一家に選択の余地はなかった。
他の多くの避難民と同様、一家には新しい暮らしへの備えがなかった。華奢(きゃしゃ)な体つきだった15歳のヘンリー少年は英語が一言も話せず、将来への期待もほとんど持てずにいた。マンハッタンの公立高校に通い、夜は働いて家計を助けた。同時に会計士になるための準備も進めていた。それはニューヨークに住むユダヤ人移民としての無理のない目標だった。
最期の切り札は最悪の選択、もう引き返せなっていました。
2023-10-19
第177号 学徒出陣
1943年(昭和18年)10月27日 秋雨煙る明治神宮外苑競技場。
全日本学徒が多年(音声中断)、武技を練り、(音声中断)技を競ったこの聖域に、10月21日朝まだき、出陣学徒壮行の式典、厳かに挙行(音声中断)。 大君に召されて戦いの庭に出で立つ若人。今日こそは省みなくてはるかに宮城を遙拝(ようはい)し奉る。 「東條内閣総理大臣閣下に対して敬礼、頭、中、直れ。」
〈東條内閣総理大臣〉 「御国の若人たる諸君が勇躍学窓より、征途に就き、祖先の遺風を昂揚し、仇なす敵を撃滅をして皇運を扶翼し奉るの日は今日(こんにち)来たのであります。大東亜十億の民を、道義に基づいてその本然の姿に復帰せしむるために壮途に上るの日は今日(こんにち)来たのであります。私は衷心より諸君のこの門出を御祝い申し上げる次第であります。もとよリ、敵米英におきましても、諸君と同じく幾多の若き学徒が戦場に立っておるのであります。諸君は彼等と戦場に相対(あいたい)し、気魄(きはく)においても戦闘力においても必ずや彼等を圧倒すべきことを私は深く信じて疑わんのであります。」
〈学生〉 「学徒出陣の勅令、公布せらる。予(か)ねて愛国の衷情を僅かに学園の内外にのみ、迸(ほとば)しめ得たりし生(せい)らは、ここに優渥(ゆうあく)なる聖旨を奉体して、勇躍軍務に従うを得るに至れるなり。豈(あに)、感奮興起せざらんや。生ら今や、見敵必殺の銃剣をひっ提げ、積年忍苦の精進研鑚を挙げて悉(ことごと)くこの光栄ある重任に捧げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生らもとより生還を期せず。誓って皇恩の万一に報い奉り、必ず各位の御期待に背かざらんとす。決意の一端を開陳し、以て答辞となす。昭和18年10月21日、出陣学徒代表。」
〈東條内閣総理大臣〉 「諸君のめでたき征途にのぼれるところの第一歩にあたりまして、諸君とともに聖上の万歳を心の底から三唱いたしたいと思います。天皇陛下、万歳、万歳、万歳。」
【4Kカラー】学徒出陣 "出陣学徒壮行会"
第二次世界大戦終盤の1943年に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。
日本国内の学生だけでなく、当時日本国籍であった台湾人や朝鮮人、満州国や日本軍占領地、日系二世の学生も対象とされた。
学徒動員と表記されることもある。
第1回学徒兵入隊を前にした1943年10月21日、東京の明治神宮外苑競技場では文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれ、東條英機首相、岡部長景文相らの出席のもと関東地方の入隊学生を中心に7万人が集まった。