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「国葬儀」問題再考 業績後付け説明で混乱
前回、当コラムで私は、安倍晋三元首相の「国葬儀(国葬儀とは、政府が国の「儀式」として行う葬儀のこと)」問題を取り上げ、それがいわゆる政府による「公共宗教」的なるものの構築に繋がる危惧を書き留めた。
先日(12月22日)、政府が選んだ「有識者」への意見聴取の結果がまとめられ、それが「故安倍晋三国葬儀に関する意見聴取結果と論点の整理」と題された報告書として内閣府から公表された。今回はこの報告書をざっと眺め、もう一度この「国葬儀」の問題を考えてみたい。
この意見聴取は、主に法学(憲法、行政法)や政治学、外交史などを専攻する学識経験者、報道機関の論説委員ら21人を対象に10月中旬から12月にかけて対面で行われたとのことである。「追悼儀礼」という宗教的行為に関するヒアリングなら、宗教研究者にももう少し話を聞いて欲しかったところだが、政府としては法的問題と政治的効果の分析がやはり念頭にあったのだろう(もしかしたら、政府から打診があったが断った研究者もいたかも知れないので、人選に関し断定的なことは言えないのだが)。
意見聴取の論点として「法的根拠と憲法との関係」「実施の意義」「国会との関係」「国民の理解」「(国葬儀の)対象者」「経費や規模の妥当性」「その他」の7点にまとめられている。
百家争鳴とまではいかないが、それぞれの論点で相反する意見が提出され、今回政府としてもそれを無理矢理まとめたりはせず、国葬儀の是非や意義などについての「結論」は出してはいない。例えば「国葬儀の法律上の根拠は必要ない」という意見もあれば「このような重要事項はやはり国会で審議されるべき」という意見も併記され、「追悼の強制は憲法上許されないが、国民にお願いするくらいなら良かったのではないか」とする論者がいる一方で「国民全体で弔意を示す国葬儀は時代錯誤」という意見も並べられていた。賛成にせよ、反対にせよ、今回の国葬儀は国民を「分断」してしまったとの意識は有識者で共有されており、「逆説的だが、賛否両論を喚起したのは日本の民主主義の健全さを明らかにした」という意見すらあった。
この報告書で興味深かったのは、ほとんどの論者が「国葬儀の対象者を決める基準は作れるか」という問いには否定的な回答をしていることである。内政、外交上の業績、在任期間などが今回は強調されたが、それとてあくまでその時の政府の主観的な基準に過ぎない。まとめるなら今回の国葬儀は、「ある人物の業績を評価して、国葬儀の対象に選んだ」というより「拙速に国葬儀の対象に選んだ後、その人物の業績を後付けで説明した」という印象が強い。
別言すれば国葬に値する人物であったことを、その実績ではなく、「実際に国葬を行うこと」で証明しようとしたのが今回の政府の動きだろう。要するに順序が逆なのである。古諺に「棺を蓋いて事定まる」というが、その後に様々な問題が噴出したせいで、その蓋も覆うことができなくなった末の混乱であったと思う。