決断の時
闘いの記録 (戦争と人間)
「大和」長官との縁 集い再び 大牟田で墓前祭
太平洋戦争末期の1945年4月、沖縄海上特攻に出撃した戦艦大和が鹿児島県沖で撃沈され、7日で80年になった。特攻作戦を指揮し、戦死した伊藤整一・第2艦隊司令長官を弔う大牟田市岬の墓園では、コロナ禍などで途絶えていた墓前祭が再開され、乗組員の遺族、自衛隊関係者ら約60人が全国から集った。
1890年(明治23年)7月26日、福岡県三池郡高田町(現・みやま市)に父・梅太郎の長男として生まれる。1911年(明治44年)7月海軍兵学校39期を15番で卒業。海軍兵学校同期に遠藤喜一、高木武雄、山県正郷、岡敬純、角田覚治、原忠一などがいる。
山本五十六大将に見せていた「思いがけない姿」
太平洋戦争時の連合艦隊司令長官山本五十六大将を天皇はどう見ていたかにも、わたくしは興味津々であった。
十六年十二月三日、対米開戦と決して山本が、いよいよ出陣の挨拶に宮中に参内する。勅語をいただき山本が、連合艦隊の将兵は粉骨砕身、誓って出師の目的を貫徹する旨の奉答文を奉呈する。
天皇は、奉答文を一度御朗読の後、三度ほど繰り返し熟読される。翌四日、連合艦隊司令長官の出発に際し、侍従武官鮫島具重を海軍省に差し遣わし、「今回ハ真ニ重大ナル任務ニテ御苦労ニ思フ、充分成功シテ無事凱旋ヲ祈ル」との御沙汰を特に伝達せしめられる。
奉答文をみずから一回朗読し三回も熟読する。天皇の山本にたいする信頼と期待とが十分に察せられるであろう。山本と新潟県立長岡中学校同窓の後輩としてありがたく思えたことであった。
JFK暗殺
御前会議
ジミー・カーター元大統領の国葬が、現地時間1月9日、首都ワシントンで執り行われました。
ジミー・カーター (USS Jimmy Carter, SSN-23) は、
アメリカ海軍のシーウルフ級原子力潜水艦の3番艦。
艦名は第39代アメリカ合衆国大統領ジミー・カーターに因んで命名された。
彼は潜水艦勤務経験のある唯一の大統領である。
船底に水中からROV(遠隔操作型無人潜水機)、
ダイバーが乗り降りできるムーンウェルが装備されていることが軍事アナリストやメディアに指摘され、
特殊工作用の潜水艦と目されている。