ファイトの系譜
【 オールラウンド編 含TOKYO2020の記録】
小平「自分なりにやり遂げることできた」
そして、連覇が期待されたここまでの道のりについて「年が明けてから一度、絶望的な状況に陥ってしまい、この大会に間に合うか心配だったが、少しでも希望を見ることができた。痛みとかやるせなさとか、じわじわと体からにじみ出てくるようなことも、そのつど飲み込んで自分なりに乗り越えてきた。前に進むために多くの皆さんに支えてもらい、感謝の気持ちを持って滑ることができた」と時折、ことばを詰まらせながら話していました。
髙木美帆 悲願の金メダル 五輪新記録 | スピードスケート女子1000m決勝
北京冬季オリンピック第14日は17日、スピードスケート女子1000メートルが国家スピードスケート館であり、高木美帆(27)=日体大職=が1分13秒19の五輪新記録で金メダルを獲得した。今大会は5種目に出場し、1500メートル、500メートル、団体追い抜きの銀に続き、4個目のメダル。日本女子最多を更新する通算7個目で、個人種目では自身初の金メダルとなった。
北海道出身。2010年バンクーバー五輪に日本スピードスケート史上最年少の15歳で初出場。1500メートルは1分49秒83の世界記録保持者。
北京冬季オリンピック第14日は17日、スピードスケート女子1000メートルが国家スピードスケート館であり、高木美帆(27)=日体大職=が金メダルを獲得した。今大会は5種目に出場し、1500メートル、500メートル、団体追い抜きの銀に続き、4個目のメダル。日本女子最多を更新する通算7個目、個人種目で自身初の金メダルとなった。
希代のオールラウンダーの挑戦は、今大会5種目め、通算7レース目にして金色の輝きを放った。悲願の金メダルに輝いた高木美は「すべてを出し切ることができた。正直、体は限界。疲労感より内臓がぎりぎりだったが、無事に走り切れて良かった」と興奮が冷めやらなかった。
時に冷静に、時に熱く。高木美には、恩師と呼べるほど信頼を寄せるコーチがいた。北京五輪では、16日までに中長距離で4個の金メダルを獲得したスケート大国・オランダ出身のヨハン・デビット・ヘッドコーチ(HC、42歳)だ。
15秒間。金メダルが決まって固く抱き合った抱擁の長さが2人の絆を物語っていた。
女子パシュートで波乱…
北京冬季五輪第12日の15日、スピードスケート女子団体パシュート決勝が行われ、連覇を狙う日本はカナダと対戦。2大会連続の金は逃し、銀メダルとなった。
日本は高木美帆(27)=日体大職、高木菜那(29)=日本電産サンキョー、佐藤綾乃(25)=ANA=の布陣で臨み、世界一美しいと言われる隊列で序盤からカナダをリード。残り半周の時点でカナダを0.32秒リードしていたが、ゴール目前のカーブで菜那が転倒した。
レース後、美帆がゆっくりと迎えに行くと、肩を抱かれた姉・菜那は涙。その後もコース脇に腰を掛けて肩を震わせながら落涙し、美帆は無言のままずっと寄り添った。菜那はレース後のテレビインタビューで「最後転ばなかったら優勝できたかもしれないタイムだったので、やっぱり悔しいです」と言葉を絞り出した。
波乱の展開にネット上では「最後声出てしまった」「これは……余りにもつらい……」「団体パシュート…まさかの展開だった…これがオリンピック!!!」などの声が殺到。一方、3選手が一丸となった見事なレース運びに「選手たちめちゃめちゃ悔しいだろうけど、手に汗握る素晴らしいレースだった!!」「一生懸命やった結果の紙一重のところだよね!銀メダルおめでとう!」「惜しかったけど素晴らしかった…!」などとたたえる声が相次いだ。
レース後、それぞれが涙を流しながら肩を抱き合う姿に「責める気持ちなんて全くないし、むしろ苦しさ伝わってきて涙でそう」「言葉はかけず寄り添ってるね。おつかれさま」「つられて泣けてしまう」とのコメントが続々。「高木菜那選手気にしないで。めっちゃかっこよかった」「泣かないで。怪我しないでよかった」などと、菜那の気持ちを慮ったコメントも相次いだ。
姉を気遣う美帆に関する書き込みも目立ち、「泣き崩れる姉に黙って寄り添う妹の高木美帆が男前すぎる こんな時、言葉かける方もかけられる方も辛い」「高木美帆さんがかっこよすぎる。おねえさん大丈夫だから泣かないで~(泣)」といった声も。美帆にまだメダル獲得の可能性があることから、「これはもう高木美帆が1000mで金メダルとって、姉 菜那にメダルかけてあげる未来予想図」との希望を書き込む人も見受けられた。
4失点後に保った心の平静 カーリング・吉田知「あそこから2点取ったのがチームの力」
「北京五輪・カーリング女子・1次リーグ、日本10-7米国」(16日、国家水泳センター)
日本は前半で4点のリードを奪いながら、第7エンドで大量4失点を喫した。だが、はた目には難しく見える状況で、後攻の第8エンドで立て直して2得点し勝ち越し。再び主導権を握って、勝利につなげた。
勝敗を分けた場面だった。同点で第8エンドを迎えるということは、ここで得点すれば、第9エンドは先攻、そこで相手に1点を取らせれば最終エンドで後攻、という状況と考えることもできた。
ポジティブな発言が、試合中からもよく聞かれる吉田知は「あそこから2点とったのがチームの力」と振り返る通り、冷静に試合を進めたことが勝利に結びついた。
小松原 美里 / 小松 尊フィギュアスケート アイスダンス リズムダンス | 北京オリンピック
【 オールラウンド編 】(アーカイブス)
橋本真也vs小川直也
名横綱、そして名理事長でした。
横綱に昇進し、奉納土俵入りで初の雲竜型手数入りを奉納する佐田の山(右)=1965年1月29日、東京・渋谷区の明治神宮【時事通信社】
大相撲の元横綱佐田の山で引退後は日本相撲協会理事長も務めた市川晋松(いちかわ・しんまつ)さんが2017年4月27日午前3時15分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳だった。葬儀は家族葬で済ませた。
長崎県新上五島町出身で旧姓佐々田。1956年初場所、出羽海部屋から初土俵を踏み、60年春場所新十両、61年初場所新入幕。幕内3場所目の夏場所、平幕優勝を遂げて注目された。
62年春場所で2度目の優勝を果たし、大関に。65年初場所、3度目の優勝をして横綱に昇進した。名門出羽海部屋の猛稽古で鍛え、突っ張りからの右四つ、寄りが得意。人気は大鵬、柏戸に及ばなかったが、誠実で闘志あふれる取り口は横綱の名にふさわしく、優勝6回は柏戸を上回る。
病気などで不調の時期を経て67年九州、68年初場所と連続優勝して復活を印象づけたが、翌春場所6日目に突如引退を表明し、ファンを驚かせた。潔い散り際として語り草になっている。
師匠の長女と結婚して市川姓となり、引退後は年寄出羽海として部屋を継承。92年には日本相撲協会理事長に就任した。
その後、部屋を元関脇鷲羽山に譲り、年寄名跡を境川に変更して理事長職に専念。年寄名跡改革などに取り組んだが、協会内の反発で断念し、98年に退任した。2003年に定年退職した。
東京2020大会 迫力と感動の瞬間を世界に届ける、テクノロジーの進化が生む斬新な撮影
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【 プロレス編】
ファイトの足跡
【 ボクシング編 】
伝説は、ここから始まった・・・。
2団体王者井上尚が防衛 谷口はミニマム級新王座に
ボクシングのダブル世界タイトルマッチ各12回戦は14日、東京・両国国技館で行われ、世界ボクシング協会(WBA)、国際ボクシング連盟(IBF)バンタム級チャンピオンの井上尚弥(大橋)がIBF5位のアラン・ディパエン(タイ)と対戦し、8回TKO勝ちした。2年ぶりの国内試合でスーパー王座のWBAは6度目、IBFは4度目の防衛となった。
世界ボクシング機構(WBO)ミニマム級1位の谷口将隆(ワタナベ)は王者ウィルフレド・メンデス(プエルトリコ)に11回TKO勝ちし、新王者になった。谷口は2度目の世界挑戦だった。
◇WBO世界ミニマム級タイトルマッチ12回戦 〇谷口将隆 TKO11回1分8秒 ●ウィルフレド・メンデス(2021年12月14日 両国国技館)
WBO世界ミニマム級タイトル戦は同級1位の谷口将隆が王者のウィルフレド・メンデスを11回1分8秒TKOで破り、王座奪取に成功した。
「まだ夢見心地ですね。2年前の自分よりずっと強くなったと、ようやく自信が持てた」。会心のTKO勝ちが信じられないかのように、ベルトを巻いた谷口が興奮気味につぶやいた。
「挑戦者らしく」がテーマ。それを貫いた。判定で敗れた19年2月の初の世界挑戦。気負って力を発揮できなかった反省が原点にあった。いかにして相手の中に入って接近戦に持ち込むか――。インサイドワークという王者の持ち味を消す作戦を徹底的に練った陣営の執念が実った。序盤から決して下がらず前に前にと圧力をかけ、2回に左フックでダウンを奪うと、中盤以降も果敢に前へ出る。11回。左の振り下ろしで相手の動きを止め、コーナーに追い詰めて畳みかけるとレフェリーが試合を止めた。
同じジムには同学年のWBA世界ライトフライ級スーパー王者、京口紘人がいる。アマチュア時代からのライバルに先を越されたが、ようやく同じ「世界」の称号を手にした。青コーナーで励まし続けた盟友は「申し分ない内容。これから2人で引っ張っていこう」と激励。これに谷口も「勝利の女神ならぬ、男の神様」と感謝した。
「僕は(メインイベントの)井上君のおまけ」と控えめに話していたモンスターの“前座”が、存在感を十分に見せつけた。27歳の新王者は「来年は谷口の試合を見にこようと言われるボクサーになりたい」とさらなる成長を約束していた。
◇谷口 将隆(たにぐち・まさたか)1994年(平6)1月19日生まれ、神戸市出身の27歳。中1でボクシングを始め、神戸第一高ではインターハイ8強入り。龍谷大ではボクシング部主将を務め、国体で2度準優勝。アマ戦績は74戦55勝16KO19敗。16年4月プロデビュー。18年11月にWBOアジアパシフィック・ミニマム級王座、20年12月に日本同級王座を獲得。身長1メートル62、リーチ1メートル64の左ボクサーファイター。