ファイトの系譜
【 オールラウンド編 含TOKYO2020の記録】
井上尚弥「誰もたどりつけなかった場所」日本人初PFP1位!米誌ザ・リングが世界最強1位発表
<ザ・リング選定のPFPランキング>
<1>井上尚弥(日本)
<2>オレクサンドル・ウシク(ウクライナ)
<3>テレンス・クロフォード(米国)
<4>エロール・スペンスJr.(米国)
<5>ファン・フランシスコ。エストラーダ(メキシコ)
<6>サウル・アルバレス(メキシコ)
<7>ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)
<8>ドミトリー・ビボル(ロシア)
<9>ジョシュ・テイラー(英国)
<10>ジャーメル・チャーロ(米国)
◆ザ・リング 米国で1922年の創刊当初からボクシングを基本線に扱う月刊専門誌。毎月、独自の基準でランキングを選定し、最も歴史と権威ある雑誌とされ「ボクシングのバイブル(聖書)」と呼ばれる。同誌編集委員会に各国記者らを加えた構成で毎月独自に各階級とパウンド・フォー・パウンドのランキングを世界10位まで発表。設立当初から独自認定した王者にベルトも授与し、02年より本格的に各階級ごとにもベルト授与している。また年間最優秀選手などの表彰も行っている。
映画『東京2020オリンピック SIDE:A/SIDE:B』公式サイト
Donaire vs Inoue Fight 2022
衝撃の264秒勝利で「井上尚弥」世界トレンド1位
プロボクシングの世界バンタム級3団体王座統一戦は7日、さいたまスーパーアリーナで行われ、WBAスーパー&IBF同級王者の井上尚弥(29=大橋)がWBC同級王者ノニト・ドネア(39=フィリピン)に2回1分24秒TKO勝ちし、日本人初の3団体統一王者となった。
衝撃の264秒にツイッターでは「井上尚弥」が世界トレンド1位まで浮上。ネットからは「井上尚弥つよすぎて震える」「井上尚弥バケモン強くて草」「井上尚弥強すぎwwリアル60億分の1じゃん」「井上尚弥強すぎワロタwwww。2時間半待って4分24秒で終わったの草」「やば!!!!井上尚弥やっぱモンスターや!強すぎや!圧倒的やんか!やば!興奮して寝れねーな」など絶賛の嵐。
さらに直前にはプロ野球でDeNAの今永投手がノーヒットノーランを達成したこともあり「ファイターズは今永にノーノー食らったけど、井上はドネア相手に完全試合。ちょっと桁が違う強さだった」「井上尚弥は完全試合みたいなもんやん」「井上完全試合お疲れ。これは金払って見る価値あるわ」「これこそ完全試合でしょ」と大盛り上がり。
なかには「ディープインパクト以来の衝撃」「井上尚弥選手これはディープインパクトの若駒Sより衝撃的かも」「井上尚弥選手はもう国宝です」「井上尚弥すごい!こんな凄いものが地上波で流れないなんて…」「井上尚弥=ディープインパクト。これは間違いない」など歴史的名馬の名前も飛び出すなど、あまりの衝撃KOに様々な声が上がった。
プロボクシングの世界バンタム級3団体王座統一戦は7日、さいたまスーパーアリーナで行われ、WBAスーパー&IBF同級王者の井上尚弥(29=大橋)がWBC同級王者ノニト・ドネア(39=フィリピン)に2回1分24秒TKO勝ちし、日本人初の3団体統一王者となった。19年11月以来2年7カ月ぶりの再戦で返り討ちにし、WBA王座7度目、IBF王座5度目の防衛にも成功。WBO同級王者ポール・バトラー(30=英国)との4団体王座統一戦へ前進した。
試合後にライブ配信された「Amazon プライム・ビデオ」のブースで井上は「凄いプレッシャーもあったし夢みたいです」と開口一番。ドネアは前に出てくるのは予想していたが開始早々の左フックは意表を突かれた。「ガードの隙間を割ってきたのでこれは立て直さないとまずいと思って出たんですけどそれが上手く当てはまったなと思いました」と話した。
1回開始1分ぐらいの相手の動きを見てドネアの調子はいいと感じたという。「ドネアは当日の計量であまり体重を戻してなかったのでスピード勝負にきているのかなと思いましたけどかなり良い仕上がりだなと感じました」と話した。1回終了間際に右ストレートでダウンを奪い、ラウンド間にセコンドへ「2Rはいかないよ」と伝えていた事を明かした。「自分の性格上、出てしまうと思ったので自分を冷静にさせるためにもセコンドには“いかないよ”と言ってましたね」と語り、2回の最初は様子を見て戦おうと思ったがドネアの足がフラついた時点で前に出ると決断したようだ。
キーになったパンチについて番組MCのくりぃむしちゅーの上田晋也から質問されると「1Rにあのタイミングでダウンを奪えるパンチを出せたのが一番のポイントかなと思います」と振り返った。
早実高、ラグビー発祥校から生誕200年記念大会へ招待
ラグビー生誕200年となる来年、競技発祥の地である英国のパブリックスクール「ラグビー校」で計画されている18歳以下のチームによる国際記念大会に早稲田実業高校(東京)が招かれていることが3日、分かった。同高ラグビー部の大谷寛(かん)ヘッドコーチは「大変光栄なこと。しっかり結果を出すとともに、いろいろな人たちと交流し、全世界に友情を広げたい」と意気込んでいる。(橋本謙太郎)
ラグビーは1823年、イングランド中部ウォリックシャーにある名門ラグビー校で、フットボールをしていたウェブ・エリス少年が、ボールを持って走ったことが起源といわれる。
競技生誕200年を記念し、来年3月にラグビー校で18歳以下の選手による7人制の国際大会が計画されたという。オーストラリア▽カナダ▽日本▽ニュージーランド▽南アフリカ▽イングランド▽スコットランド▽アイルランド▽ウェールズなどのチームが出場する見通しで、日本からは早実高が招待された。
早稲田大教育・総合科学学術院の藁谷(わらがい)友紀(ともき)教授が早実の校長を務めていた2016年、国際交流のさらなる充実を目的にラグビー校と学術交流協定を締結。2017年度からラグビー校に中学生らが留学するようになった。また、2019年3月には早実高ラグビー部が英国に遠征し、ラグビー校とも対戦。そうした交流もあり、大会への招待につながったとみられる。
早実高ラグビー部では、競技の歴史を学ぶなど今回の機会を最大限に生かして遠征に臨む方針。藁谷教授は「多様性の尊重がこれからの社会ではさらに求められる。自分たちの知らない社会や文化があり、そこに自分たちと同じような若い人がいることを実感し、そのことを学ぶ機会にしてほしい」と話している。
【 オールラウンド編 】(アーカイブス)
ローラーゲームを覚えておられますか?
橋本真也vs小川直也
名横綱、そして名理事長でした。
横綱に昇進し、奉納土俵入りで初の雲竜型手数入りを奉納する佐田の山(右)=1965年1月29日、東京・渋谷区の明治神宮【時事通信社】
大相撲の元横綱佐田の山で引退後は日本相撲協会理事長も務めた市川晋松(いちかわ・しんまつ)さんが2017年4月27日午前3時15分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳だった。葬儀は家族葬で済ませた。
長崎県新上五島町出身で旧姓佐々田。1956年初場所、出羽海部屋から初土俵を踏み、60年春場所新十両、61年初場所新入幕。幕内3場所目の夏場所、平幕優勝を遂げて注目された。
62年春場所で2度目の優勝を果たし、大関に。65年初場所、3度目の優勝をして横綱に昇進した。名門出羽海部屋の猛稽古で鍛え、突っ張りからの右四つ、寄りが得意。人気は大鵬、柏戸に及ばなかったが、誠実で闘志あふれる取り口は横綱の名にふさわしく、優勝6回は柏戸を上回る。
病気などで不調の時期を経て67年九州、68年初場所と連続優勝して復活を印象づけたが、翌春場所6日目に突如引退を表明し、ファンを驚かせた。潔い散り際として語り草になっている。
師匠の長女と結婚して市川姓となり、引退後は年寄出羽海として部屋を継承。92年には日本相撲協会理事長に就任した。
その後、部屋を元関脇鷲羽山に譲り、年寄名跡を境川に変更して理事長職に専念。年寄名跡改革などに取り組んだが、協会内の反発で断念し、98年に退任した。2003年に定年退職した。
【 プロレス編】
ファイトの足跡
【 ボクシング編 】
井上尚弥が防衛成功!ダスマリナスを3回TKO バンタム4団体統一へ前進
<ボクシング:WBAスーパー、IBF世界バンタム級タイトルマッチ12回戦>◇19日(日本時間20日)◇米ネバダ州ラスベガス
WBAスーパー、IBF世界バンタム級王者井上尚弥(28=大橋)が防衛(WBA5度目、IBF3度目)に成功した。
IBF同級1位マイケル・ダスマリナス(28=フィリピン)を3回TKOで倒し、日本人初となる2戦連続の「聖地」防衛に成功した。
WBC同級王者ノニト・ドネア(38=フィリピン)ら他団体の対抗王者が見守る中、ラスベガスのリングで実力をアピールした。目標に掲げるバンタム級4団体統一へ、大きなステップを踏んだ。
◇ ◇
全米生中継、ラスベガスでは自身初の有観客興行という舞台で、井上が白星をつかんだ。日本人初となる2戦連続「聖地」防衛に成功。「試合当日の自分がどのようなパフォーマンスをするのか、ラスベガスにどんな試合をみせられるのか。自分でも楽しみ」。神経質になり、緊張しても良い環境であっても、井上は愛称「モンスター」らしくファイトした。
昨年10月のジェーソン・モロニー(オーストラリア)戦で初めてラスベガスに進出した。米プロモート大手トップランク社と契約後初試合で7回KO勝ちを収めた試合内容は大きな評価を受けた。「間違いなく彼は世界で最高のファイター。誰もが彼のようにはなれない」と絶賛していた同社ボブ・アラムCEOが試合前会見でも「モンスターが米国に戻ってきた」と手放しで歓迎。試合1週間前からラスベガスの掲示板は井上-ダスマリナス戦のPRが増え、中継局の米ESPNでは連日、ゴールデンタイムに井上を特集番組が放送された。
井上は言う。「もうプロモーションを含め、かなり期待を感じるので、その期待を裏切らないように、出せるものすべて出して、しっかりと勝ちにつなげたいです」。所属ジムの大橋秀行会長(56)は「米国での対応、評判が前回に比べものにならないぐらい(高い)。本人も比較していて、良い意味でかなり気合が入っている」と口調を強めていた。期待を力に変え、海外オッズでも優位の井上が確実に「聖地」で勝利を手にした。
◆井上尚弥(いのうえ・なおや)1993年(平5)4月10日、神奈川・座間市生まれ。元アマ選手の父真吾さんの影響で小学1年から競技を開始。相模原青陵高時代にアマ7冠。12年7月にプロ転向。国内最速(当時)6戦目で世界王座(WBC世界ライトフライ級)奪取。14年12月にWBO世界スーパーフライ級王座を獲得し、史上最速(当時)の8戦目で2階級制覇。18年5月にWBA世界バンタム級王座を獲得し、国内最速(当時)の16戦目で3階級制覇。19年5月にWBA、IBF世界バンタム級王者に。同年11月、WBSSバンタム級トーナメント優勝。家族は夫人と1男2女。164・5センチの右ボクサーファイター。
◆世界主要4団体統一王者 過去6人誕生している。世界主要4団体となって以降、04年にバーナード・ホプキンズ(ミドル級)、05年にジャーメイン・テイラー(ミドル級)、17年にテレンス・クロフォード(スーパーライト級=すべて米国)、18年にオレクサンドル・ウシク(クルーザー級=ウクライナ)、20年にテオフィモ・ロペス(ライト級=米国)が達成。そして、階級最強トーナメントのWBSSスーパーライト級覇者ジョシュ・テイラー(英国)が5月23日、ホセ・カルロス・ラミレス(米国)との4団体統一戦を制し、史上6人目の統一王者になった。
井上尚弥・デビューからマロニー戦までの全ダウンシーン35連発
WBAスーパー・IBF世界バンタム級王者 井上尚弥(大橋)、ラスベガスデビュー
WBAスーパー・IBF世界バンタム級王者
井上尚弥(大橋)
VS
WBA2位、IBF4位、WBO1位
ジェイソン・マロニー(オーストラリア)
試合結果は
井上尚弥の7RKO勝ち
バンタム級のWBAスーパー王座とIBF王座を持つ井上尚弥(27=大橋)が10月31日(日本時間11月1日)、
アメリカのネバダ州ラスベガスで両王座の防衛戦
挑戦者はWBA2位、IBF4位、WBO1位にランクされるジェイソン・マロニー(29=オーストラリア)。
19戦全勝(16KO)の井上に対し、マロニーも22戦21勝(18KO)1敗。
マロニー健闘も、7R右クロスカウンターで井上尚弥の7RKO勝ちです。
【 ボクシング編 】(アーカイブス)
「エディ・最後の挑戦~老トレーナーと19歳の世界チャンピオン~」
日本で6人の世界チャンピオンを育てた名ボクシングトレーナー、エディ・タウンゼント。病魔と闘いながら19歳の若者に夢を託す、老トレーナーの最後の挑戦を追う。
エディ・タウンゼントは、1962年にハワイから来日して以来、四半世紀にわたってチャンピオンを世に送り出すことで、日本の少年たちに夢と勇気を与え続けてきた。彼が最後に育てたのは、19歳で世界チャンピオンとなった井岡弘樹。その初防衛戦に向けて、エディは大病を患いながら車いすで指導、試合の日は担架に乗って会場へ向かった。井岡は激闘の末、最終ラウンドで逆転勝利。最後まで情熱を燃やし続けるエディの姿を描く。
【出演】エディ・タウンゼント,井岡弘樹,藤猛,ガッツ石松,海老原博幸,友利正,柴田国明,田辺清,【語り】千田正穂
Facebook 井岡 弘樹さん曰く
ボクシング レジェンド王者伝説 畑山隆則 編【vs 坂本戦、鮮烈KO 6連発】
大場政夫
1973年1月25日、3週間ほど前に逆転KOで5度目の防衛を果たしたばかりの大場は、首都高速5号線でカーブを曲がり切れずに中央分離帯を乗りこえ対向車のトラックと正面衝突。 愛車のシボレー・コルベットと共にチャンピオン・ベルトを巻いたままあの世へと旅立ちました。23歳でした。
永遠のチャンプ
私が最も敬愛するボクサーです。
1949年10月21日東京都足立区生まれ。
実父がギャンブル好きで、幼少期の暮らしは相当に貧しか
その実父がボクシングファンだった影響から、なんと小学
その後も決意はブレることなく、1965年の中学卒業と
翌年には、渡辺和喜に1回KO勝ちでプロデビュー。
以降は、持ち前の負けん気と豊富な練習量で頭角を現し、
そして、プロ28戦(25勝2敗1分8KO)で、念願の
1970年10月22日、タイのベルクレック・チャルバ
この時、大場は21歳。
プロキャリア4年で小学生の頃抱いていた夢を叶えました
その後、2年半足らずで王座を4度防衛。
そして1973年1月2日、WBA世界フライ級5度目の
相手は「稲妻小僧」の異名を持つ元WBC世界フライ級チ
大場は1Rにチオノイの豪快な右フックを食いダウン。
その際に右足首を捻挫し、以降は足を引きずりながらのフ
しかし、大場は驚異的な粘りで劣勢を挽回、8Rからは優
前半は打ちつ打たれつでしたが、中盤に機を見て大場が猛
ロープ際で連打を浴びせられたチオノイは、遂に崩れ落ち
その後、チオノイは半ば戦意喪失状態になり、最後はレフ
1月2日のゴールデン枠に、人気ボクサーの世界戦生中継
終盤は皆が「大場〜っ!」と絶叫するほどの大熱戦でした
小学校3年生だった私も、感動で泣きそうになりました。
決して器用ではなく、打たれて強いわけでもなく、スピー
猛練習で培った旺盛なスタミナと折れない心で、ただ愚直
いつまでも、いつまでも、相手が倒れるまで繰り出す。
その闘志を前面に押し出したボクシングスタイルは、観る
この試合の23日後、1973年1月25日。
大場は愛車シボレー・コルベット・スティングレーで首都
現役世界チャンピオンのままこの世を去りました。
大場は3度目の防衛戦後に、それまでで得たファイトマネ
また、実弟の高校までの学費も全額支払い終えていました
中学卒業後、ボクシングに総てを賭けてきた大場が、4度
大場政夫
プロボクシング生涯戦績
38戦35勝16KO2敗1分
第25代WBA世界フライ級王座5度防衛