ファイトの系譜
【 オールラウンド編 含TOKYO2020の記録】
女子フリースタイル53kg級、向田真優が金メダル「最後は神頼みする気持ち」
女子フリースタイル53kg級、向田真優が金メダル「最後は神頼みする気持ち」
女子フリースタイル53kg級決勝、向田真優は龐倩玉(中国)を下し、金メダルを獲得した。
向田は第1ピリオドで0-4とリードされるも、第2ピリオドで向田は積極的にタックルを仕掛け、背後を取って2ポイント返す。残り1分42秒、さらにタックルから背後を取って4-4に追いつく。残り15秒、両者の攻め合いから向田が場外ポイント。5-4の逆転で勝利を収めた。
向田真優 最後は神頼みする気持ち
ここに来るまで、たくさんの人に鍛えていける環境を作っていただき、本当に感謝している。最後は神頼みする気持ち。絶対勝つという気持ちを切らさずやった。自分のレスリングはできていなかったが、気持ちで戦った。
(目標にしてきた吉田沙保里さんと同じメダルを獲得して)沙保里さんは何連覇もしていて比べ物にならないが、今回、自分が出させてもらえたので絶対に金メダル取ろうと思っていた。
(志土地コーチについて)自分より苦しいこともあったと思うが、いつも励ましてもらい、この大会で優勝することを目標にやってきたので本当にうれしい。
スポーツクライミング女子、野中生萌が銀、野口啓代が銅
スポーツクライミング女子、野中生萌が銀、野口啓代が銅
スポーツクライミング女子複合決勝に臨んだ日本勢は、スピード、ボルダリング、リードの3種目を終えて、野中生萌が2位、野口啓代は3位で見事に揃っての表彰台を掴んだ。
銀メダルの野中はスピード3位、ボルダリング3位、リード5位の45点。銅メダルの野口はスピード4位、ボルダリング4位、リード4位で64点。パワーや瞬発力が持ち味の野中と、日本女子の第一人者として長く活躍した野口は、どの種目も1位はなかったが安定した成績を重ねた。金メダルはヤンヤ・ガルンブレト(スロベニア)で3種目の総合ポイントはわずか5点だった。
野中生萌 諦めずにすべて乗り越えてきてよかった
想定していたよりも悪い流れだったので、なかなか楽しめなかったのは悔しいが、最終的に(野口)啓代ちゃんと一緒にメダルを取れてうれしく思う。予選はちょっと痛みに耐えられない部分があったが、ファイナルは痛みを無視してガンガンとテクニックを出していったし、痛みに耐えられたと思う。
まだ本当に(メダルを)取った感じがしない。じっくり味わいたい。個人的なパフォーマンスもそうだが、(野口とメダルを)一緒に取りたいと思ってきた。それが実現して、本当にうれしいの一言に尽きる。諦めずにすべて乗り越えてきてよかったなと本当に思う。
野口啓代 心が折れそうだったが最後まで諦めずに登れた
ボルダリングが登れず本当に心が折れそうだったが、最後まで諦めずに登れたので良かった。やはりこの五輪で、どうしてもメダルを取りたい気持ちでずっと頑張ってきた。金メダルには届かなかったが、すごく良かったと思う。いいクライミングをお見せしたかったが、ただ何か、今はそれ以上にうれしい気持ちの方が大きい。(野中と)一緒に長く頑張ってきた。一緒に表彰台に乗れてうれしい。
日本、53年ぶりの銅メダルならず 吉田麻也「これで終わりじゃない。サッカー人生は続く」
日本、53年ぶりの銅メダルならず 吉田麻也「これで終わりじゃない。サッカー人生は続く」
日本とメキシコの銅メダルをかけた3位決定戦は、1-3で日本が敗れ、メダル獲得はならなかった。
日本は序盤にPKで失点すると、22分にセットプレーで追加点を許した。2点を追う後半は相手が負傷者を出してプレーが止まった直後、集中が途切れがちなタイミングでのCKで失点。3点を追うことになった。その後、リスクを冒して前に出ると、途中出場の三苫らがアクセントになって1点を返したが、反撃はここまで。チーム一丸で戦った東京五輪だが、53年ぶりのメダルには届かなかった。
吉田麻也 メダルで恩返ししたかった
完敗。これで終わりじゃない。サッカー人生は続く。9月からワールドカップの最終予選がある。またフル代表で戦える準備をしたい。たくさんの方が応援してくれた。メダルで恩返ししたかった。
久保建英 こんな悔しいことない
気の緩みがあったのかもしれないし、ちょっとこの試合の重みが自分たちで理解できなかったのかなと思う。今までサッカーをやってきて、こんな悔しいことない。この気持ちを忘れないようにやっていきたい。
堂安律 持てる力全てを出したと思う
持てる力全てを出したと思う。今、冷静に何が足りないか分析できないが、ベスト8に入ってから2試合連続ノーゴールは攻撃陣を引っ張る身として申し訳ない。自分にこの1、2年、隙や甘さがあったのかを考えたい。
酒井宏樹 勝負弱いと言われるのも仕方ない
悔しかった。結局、勝負弱いと言われるのも仕方ない。これから覆すには、いい意味で裏切るような戦いを見せないといけない。これから。
上田綺世 どんな舞台でも点を取れるFWに
世界で戦うことを目指す以上は、どんな相手でもGKでも、1本のチャンスで決めなければいけない。悔しい。どんな舞台でも点を取れるFWになれるよう準備をしていきたい。
前田大然 悔しいがここがゴールではない
悔しいがここがゴールではない。次はフル代表しかない。このメンバーでできるのは最後だったが、全員がフル代表に入る気持ちで、まずは(所属)チームで結果を残すことが一番だと思う。
森保一監督 監督として結果に結び付けてあげられなくて残念
選手たちはこの五輪に向けて育成年代からずっと頑張ってくれていた。監督として選手の頑張りを結果に結び付けてあげられなくて残念。期待してくれた方々に喜んでもらえる結果を出せなくて残念。選手の五輪への努力は1ミリたりとも疑う余地はない。きょう勝てなかったということは、成長しなければいけないということ。この悔しさを糧に彼らには成長してほしい。
【 オールラウンド編 】(アーカイブス)
橋本真也vs.小川直也から20年。
視聴率67%を記録した、熊殺しウィリーvs燃える闘魂 猪木の伝説の一戦!
キャメル・チーム・ロータス・ホンダ
Facebook 徳田新之助さん曰く
黄色のキャメルカラーに大胆に変身。
チャンピオンを獲得するのも時間の問題と評される26歳の天才ブラジリアン、
アイルトン・セナにも大きな期待が寄せられる。
【 プロレス編】
ジャンボ鶴田を評して
ジャンボ鶴田は、これて天辺に上り詰めました。
WWE 2K19 2代目タイガーマスク vs ジャンボ鶴田 - Tiger Mask II vs Jumbo Tsuruta
鶴田、AWAベルト戴冠の試合です。
相手は、御大です。
ジャイアント馬場 対 ジャンボ鶴田
Giant Baba VS Jumbo Tsuruta.
<30分1本勝負>
昭和51年5月1日
世代交代の頃
ジャイアント馬場vs.フリッツ・フォン・エリック(JWA・1966年12月3日)
【 ボクシング編 】
伝説は、ここから始まった・・・。
2団体王者井上尚が防衛 谷口はミニマム級新王座に
ボクシングのダブル世界タイトルマッチ各12回戦は14日、東京・両国国技館で行われ、世界ボクシング協会(WBA)、国際ボクシング連盟(IBF)バンタム級チャンピオンの井上尚弥(大橋)がIBF5位のアラン・ディパエン(タイ)と対戦し、8回TKO勝ちした。2年ぶりの国内試合でスーパー王座のWBAは6度目、IBFは4度目の防衛となった。
世界ボクシング機構(WBO)ミニマム級1位の谷口将隆(ワタナベ)は王者ウィルフレド・メンデス(プエルトリコ)に11回TKO勝ちし、新王者になった。谷口は2度目の世界挑戦だった。
◇WBO世界ミニマム級タイトルマッチ12回戦 〇谷口将隆 TKO11回1分8秒 ●ウィルフレド・メンデス(2021年12月14日 両国国技館)
WBO世界ミニマム級タイトル戦は同級1位の谷口将隆が王者のウィルフレド・メンデスを11回1分8秒TKOで破り、王座奪取に成功した。
「まだ夢見心地ですね。2年前の自分よりずっと強くなったと、ようやく自信が持てた」。会心のTKO勝ちが信じられないかのように、ベルトを巻いた谷口が興奮気味につぶやいた。
「挑戦者らしく」がテーマ。それを貫いた。判定で敗れた19年2月の初の世界挑戦。気負って力を発揮できなかった反省が原点にあった。いかにして相手の中に入って接近戦に持ち込むか――。インサイドワークという王者の持ち味を消す作戦を徹底的に練った陣営の執念が実った。序盤から決して下がらず前に前にと圧力をかけ、2回に左フックでダウンを奪うと、中盤以降も果敢に前へ出る。11回。左の振り下ろしで相手の動きを止め、コーナーに追い詰めて畳みかけるとレフェリーが試合を止めた。
同じジムには同学年のWBA世界ライトフライ級スーパー王者、京口紘人がいる。アマチュア時代からのライバルに先を越されたが、ようやく同じ「世界」の称号を手にした。青コーナーで励まし続けた盟友は「申し分ない内容。これから2人で引っ張っていこう」と激励。これに谷口も「勝利の女神ならぬ、男の神様」と感謝した。
「僕は(メインイベントの)井上君のおまけ」と控えめに話していたモンスターの“前座”が、存在感を十分に見せつけた。27歳の新王者は「来年は谷口の試合を見にこようと言われるボクサーになりたい」とさらなる成長を約束していた。
◇谷口 将隆(たにぐち・まさたか)1994年(平6)1月19日生まれ、神戸市出身の27歳。中1でボクシングを始め、神戸第一高ではインターハイ8強入り。龍谷大ではボクシング部主将を務め、国体で2度準優勝。アマ戦績は74戦55勝16KO19敗。16年4月プロデビュー。18年11月にWBOアジアパシフィック・ミニマム級王座、20年12月に日本同級王座を獲得。身長1メートル62、リーチ1メートル64の左ボクサーファイター。
【 ボクシング編 】(アーカイブス)
「エディ・最後の挑戦~老トレーナーと19歳の世界チャンピオン~」
日本で6人の世界チャンピオンを育てた名ボクシングトレーナー、エディ・タウンゼント。病魔と闘いながら19歳の若者に夢を託す、老トレーナーの最後の挑戦を追う。
エディ・タウンゼントは、1962年にハワイから来日して以来、四半世紀にわたってチャンピオンを世に送り出すことで、日本の少年たちに夢と勇気を与え続けてきた。彼が最後に育てたのは、19歳で世界チャンピオンとなった井岡弘樹。その初防衛戦に向けて、エディは大病を患いながら車いすで指導、試合の日は担架に乗って会場へ向かった。井岡は激闘の末、最終ラウンドで逆転勝利。最後まで情熱を燃やし続けるエディの姿を描く。
【出演】エディ・タウンゼント,井岡弘樹,藤猛,ガッツ石松,海老原博幸,友利正,柴田国明,田辺清,【語り】千田正穂
Facebook 井岡 弘樹さん曰く
ボクシング レジェンド王者伝説 畑山隆則 編【vs 坂本戦、鮮烈KO 6連発】
大場政夫
1973年1月25日、3週間ほど前に逆転KOで5度目の防衛を果たしたばかりの大場は、首都高速5号線でカーブを曲がり切れずに中央分離帯を乗りこえ対向車のトラックと正面衝突。 愛車のシボレー・コルベットと共にチャンピオン・ベルトを巻いたままあの世へと旅立ちました。23歳でした。
永遠のチャンプ
私が最も敬愛するボクサーです。
1949年10月21日東京都足立区生まれ。
実父がギャンブル好きで、幼少期の暮らしは相当に貧しか
その実父がボクシングファンだった影響から、なんと小学
その後も決意はブレることなく、1965年の中学卒業と
翌年には、渡辺和喜に1回KO勝ちでプロデビュー。
以降は、持ち前の負けん気と豊富な練習量で頭角を現し、
そして、プロ28戦(25勝2敗1分8KO)で、念願の
1970年10月22日、タイのベルクレック・チャルバ
この時、大場は21歳。
プロキャリア4年で小学生の頃抱いていた夢を叶えました
その後、2年半足らずで王座を4度防衛。
そして1973年1月2日、WBA世界フライ級5度目の
相手は「稲妻小僧」の異名を持つ元WBC世界フライ級チ
大場は1Rにチオノイの豪快な右フックを食いダウン。
その際に右足首を捻挫し、以降は足を引きずりながらのフ
しかし、大場は驚異的な粘りで劣勢を挽回、8Rからは優
前半は打ちつ打たれつでしたが、中盤に機を見て大場が猛
ロープ際で連打を浴びせられたチオノイは、遂に崩れ落ち
その後、チオノイは半ば戦意喪失状態になり、最後はレフ
1月2日のゴールデン枠に、人気ボクサーの世界戦生中継
終盤は皆が「大場〜っ!」と絶叫するほどの大熱戦でした
小学校3年生だった私も、感動で泣きそうになりました。
決して器用ではなく、打たれて強いわけでもなく、スピー
猛練習で培った旺盛なスタミナと折れない心で、ただ愚直
いつまでも、いつまでも、相手が倒れるまで繰り出す。
その闘志を前面に押し出したボクシングスタイルは、観る
この試合の23日後、1973年1月25日。
大場は愛車シボレー・コルベット・スティングレーで首都
現役世界チャンピオンのままこの世を去りました。
大場は3度目の防衛戦後に、それまでで得たファイトマネ
また、実弟の高校までの学費も全額支払い終えていました
中学卒業後、ボクシングに総てを賭けてきた大場が、4度
大場政夫
プロボクシング生涯戦績
38戦35勝16KO2敗1分
第25代WBA世界フライ級王座5度防衛