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【 TOKYO2020の記録】
車いすバスケットボール女子1次リーグA組で白星発進した日本
車いすバスケットボール女子1次リーグA組で白星発進した日本が、2018年世界選手権準優勝の英国を54-48で破って開幕2連勝とした。英国は2連敗。
ドイツはオーストラリアに77-58で勝って1勝。オーストラリアは2連敗となった。
日本は27日に2019年米大陸選手権覇者のカナダと顔を合わせる。
男子A組では、日本が初戦でコロンビアを63-56で下して白星発進した。27日の第2戦は韓国と戦う。(共同通信)
14歳山田、第1号メダル 競泳女子「銀」、最年少記録
卓球・岩渕幸洋が白星スタート 水泳・14歳の山田美幸が決勝へ
卓球・岩渕幸洋が白星スタート 水泳・14歳の山田美幸が決勝へ 結果速報中 (olympics.com)
男子シングルス予選C9グループDの岩渕幸洋は、英国のアシュリー・フェイシー トンプソンと対戦し、3-2で初戦を白星で飾った。開会式で日本選手団の旗手を務めた岩渕は、今大会のメダル候補。最終第5ゲームまでもつれる接戦となったが、きっちり勝利した。
会場に現れた岩渕は、自信と緊張感をたずさえながらも、笑顔を絶やさない。第1ゲームは、バックハンドからのサーブで相手のミスを誘い、11-6で先取した。点を取るたびに、声とガッツポーズも出て、気合十分。
第2、第3ゲームは、トンプソンの強打を前に、なかなか流れをモノに出来ない。トンプソンのロングサーブにつかまり、接戦までは持ち込んだものの2ゲーム連続で落とした。第4ゲーム、落ち着きを取り戻した岩渕は、再びバックハンドからのサーブや、緩急交えたラリーで相手のミスを誘う。スピードのあるラリーに捕まりかけるとタイムアウトを取り、気持ちを落ち着けた。トンプソンがバックハンドを嫌がっているのを見極め、変化をつけたラリーに持ち込むと、相手のミスを誘って11-9でゲームを制す。雄たけびをあげた。
2-2で迎えた最終ゲームは、流れは岩渕に。左右に振られるが、冷静に対応し、相手の追加点は許さない。10-7でマッチポイントを迎えると、サーブ前には息をゆっくりと吐いて深呼吸。緊張からか10-10に追いつかれるも、最後は12-10で第5ゲームを取った。勝利の瞬間、天井を見上げて叫ぶと、カメラマンに向かってガッツポーズも。ほっとした笑顔を見せた。
パラ車いすテニス女子の上地 聖火点灯は家族にも内緒だった
聖火に火をともした東京パラの“主役”の一人として、威風堂々の姿だった。車いすテニス女子の上地結衣(三井住友銀行、兵庫県明石市出身)が、シングルス1回戦をストレート勝ち。悲願の金メダルに向けて快調に滑り出した。
第1セットは、わずか18分で終わらせた。「正直、もう少しシーソーゲームを想定していた。ストロークやサーブでテンポ良くポイントを重ねられた」。第2セットはあえて長いラリーも交えながら、勝負どころでは鋭いリターンエースを放つなど危なげなかった。
5月頃に打診されたという開会式の聖火点灯者は、家族にも内緒にしていた。無事大役を終えた深夜、母芳美さんに電話で明かした。「『びっくりさせられるから良かったと思って』と言ったら、母も喜んでくれた」。大きなサプライズプレゼントを届けた上地は、いたずらっぽく笑った。
初戦は当初、27日の予定だったという。厳しい暑さのため、屋根のあるセンターコート以外の試合開始が大幅に遅れ、日程もずれ込んでいる。それでも、3大会連続出場となる女子のエースは動じない。「ダブルスでもしっかりコートの感覚をつかんで、準備していきたい」。28日が初陣となる大谷(かんぽ生命)とのダブルスでも、2冠への歩みを進める。(山本哲志)
第18回 オリンピアード
【1964】 Tokyo is prepared for the biggest Olympic Games l 東京オリンピック特別開催
記録映画
〔円谷幸吉〕円谷のメダルは、東京オリンピックでの日本陸上界唯一のメダルだった
「おれについてこい!」
「東洋の魔女」は、最初は「東洋の台風」だった
【 冬季オリンピックの巻】
冬季オリンピック 過去最多『14個目のメダル』獲得
FacebookTeam JAPANさん曰く
「日本チームを応援して下さっている全ての皆様」
【北京五輪】スキージャンプ女子の高梨沙羅が8日、自身のインスタグラムを更新。新種目スキージャンプ混合団体に出場し、スーツの規定違反により1回目の得点が無効となったことに触れ「日本チーム皆んなのメダルのチャンスを奪ってしまった」などと謝罪した。
高梨は「日本チームを応援して下さっている全ての皆様」と題し、真っ黒な画像を掲載。「今回、私の男女混合団体戦での失格で日本チーム皆んなのメダルのチャンスを奪ってしまったこと、そして、今までチームを応援してくださった皆様、そこに携わり支えて下さった皆様を深く失望させる結果となってしまった事、誠に申し訳ありませんでした」と謝罪し、「私の失格のせいで皆んなの人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です」と記した。
「謝ってもメダルは返ってくることはなく責任が取れるとも思っておりませんが今後の私の競技に関しては考える必要があります。それ程大変なことをしてしまった事深く反省しております」と心境を吐露。「私のせいでメダルを取れなかったにも関わらず、最後の最後まで支え続けてくれた有希さん、幸椰さん、陵侑、そして日本チームのメンバーの皆さま、スタッフの皆さまには感謝してもしてきません。こんな私を受け入れてくれて本当にありがとうございました。この度は本当に申し訳ありませんでした」とつづった。
この投稿に対し、「あなたは日本の誇りです」「謝ることなんて何一つないです」「胸を張って帰国してください」「本当に感動したし、ありがとうって伝えたいです」などと励ましのコメントが相次いで寄せられている。
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オリンピックの思い出
昭和100年へ ミュンヘン五輪、日本バレー初の「金」から53年
1972(昭和47)年夏に開催されたミュンヘン五輪。バレーボール男子決勝で日本が東ドイツに3-1で勝ち、初の金メダルを獲得した。64年の東京五輪後に就任した松平康隆監督(故人)のもとに集まった日本の精鋭は、世界の頂点を目指して「8年計画」で猛練習を繰り返し、新戦術も編み出した。当時のメンバーで〝ミスターバレーボール〟と呼ばれた森田淳悟氏(77)=日体大名誉教授=が、激闘の日々を振り返った。(取材構成・山下幸志朗、只木信昭)
日本バレーボール界で燦然と輝く、男子唯一の金メダル。1972年9月9日、ミュンヘン五輪決勝。第4セットの14-10から東ドイツのスパイクがラインを越える。センターの森田は両手を突き上げた。白地に赤のユニホームを身にまとった日本の選手たちに歓喜の輪ができた。