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あの人 この人

あの人

噂の二人です。

2020-12-02
サルトルとボーボアール
Facebook佐々木信雄さんの投稿
【20th Century Chronicle 1966年(s41)】
◎サルトルとボーヴォワール 来日
*1966.9.18/ フランスの実存主義哲学者サルトルとボーボワールが来日する。
 この時期、戦後の実存主義ブームも下火になり、構造主義からの批判にもさらされていた。そしてサルトルは、「アンガージュマン」(政治・社会 積極参加)を唱えて左傾化していた。しかし来日時には、そういう事情にうとい日本のインテリ層には大歓迎された。
 同伴者として来日したボーヴォワールは、代表作『第二の性』で「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と宣言し、昨今のジェンダー論の先駆ともされる。サルトルとは「契約結婚」という前衛的な関係を結んだが、その後もサルトルの死までの50年間「同伴者」として歩むことになる。
 若きサルトルはサン=ジェルマン=デ=プレのカフェで、ボーヴォワールに「このコップ一杯の水からも哲学ができるんだよ」といって、彼女のナンパに成功したという話が、私の頭の中にでき上っている。実質、サルトルはボーヴォワールを「都合のよい愛人」として扱っていたのではないかという疑念がある。そしてボーヴォワールも、思想的にはフェミニズムの旗手であるにも関わらず、サルトルには「女」として従っていたのではないかと思われる。
(この年の出来事)
*1966.4.4/ NHK朝の連続ドラマ「おはなはん」の放映が開始され、平均視聴率50%を記録する。
*1966.4.20/ 日産自動車とプリンス自動車工業が合併、自動車業界の再編成が始まる。
*1966.9.3/ 荒船清十郎運輸相が、自分の選挙区に急行を停車させるように国鉄に指示したとして、国会で追及され辞任に追い込まれる。
*1966.11.13/ 全日空のYS11型機が、愛媛県松山空港への着陸に失敗して海上に墜落、50名が死亡する。(戦後初の国産機事故)

ビートルズが来日し、公演しました。

2020-12-01
会場は、日本武道館です。
Facebook佐々木信雄さんの投稿

【20th Century Chronicle 1966年(s41)】

◎ビートルズ来日
*1966.6.29/ ザ・ビートルズが来日する。

 東京オリンピックの格闘技会場として造られた武道館は、このとき初めてコンサート会場として利用された。そのため音楽演奏はまったく前提とされていなくて、音響・録音システムなどは臨時構築された。ステージも急造でぶかぶか、スタンドマイクが演奏の震動で揺れて、向きを変えて逃げてゆく。ポールがギターの合間に、マイクをつかんで引き戻す様子なども見られた。
 

 前座は尾藤イサオ、内田裕也、ブルーコメッツ、ザ・ドリフターズなどが務めたが、前座の演奏など誰も聞く雰囲気などなく、「ウェルカム・ビートルズ」のコーラスでは、歌詞を忘れたのか、内田裕也など口パクで済ませている。

「武道館公演 ドリフほかの前座ステージ」 https://www.youtube.com/watch?v=Xrt8Ego2kvQ
 

 なお、日航機のタラップを降りるときのJALの名前入りのハッピは、JALが事前に用意して、スチワーデスに仕掛けさせたらしい。美形のスッチに、これをまとって降りると日本人が喜びますと言われて、全員ご機嫌でハッピーな姿で降りたようだ(笑)
 

 また、来日したメンバーを追いかける女子ファンを見れば分かるが、この時点ではまだだれ一人ミニスカートをはいていない。翌1967(s42)年10月のツィギー来日で、ミニがファッションとして認識された。そして1970(s45)年の大阪万博で、コンパニオンにミニの制服を身に着けさせたあたりから、ダイコン足のオバサンまで膝をだすようになった(笑)

「来日時TVニュース」 https://www.youtube.com/watch?v=JgehLBGkbJE
 

(この年の出来事)
*1966.4.4/ NHK朝の連続ドラマ「おはなはん」の放映が開始され、平均視聴率50%を記録する。
*1966.4.20/ 日産自動車とプリンス自動車工業が合併、自動車業界の再編成が始まる。
*1966.9.3/ 荒船清十郎運輸相が、自分の選挙区に急行を停車させるように国鉄に指示したとして、国会で追及され辞任に追い込まれる。
*1966.11.13/ 全日空のYS11型機が、愛媛県松山空港への着陸に失敗して海上に墜落、50名が死亡する。(戦後初の国産機事故)

バージル、ブレインズ、ジョン・・・。

2020-12-01
サンダーバード2号のコックピット内です。
Facebook本 まなみさんの投稿

二人娘、チエミはいない・・・。

2020-12-01
Facebook小林知茂さんの投稿

ボストンマラソンでの快挙!

2020-11-30
優勝は君原でした
Facebook佐々木信雄さんの投稿

【20th Century Chronicle 1966年(s41)】

◎ボストン・マラソン 日本選手上位独占
*1966.4.19/ ボストンマラソンで君原が優勝し、1位から4位まで日本人が独占した。

 世界の代表的なマラソンの一つボストンマラソンで、一位から四位までを日本人が占めた。1位君原、2位佐々木、3位寺沢、4位岡部、この時期日本マラソン陣は、世界を牽引する勢いであった。
 

 このときの優勝タイムは 2時間17分11秒。その後も日本人ランナーは世界のマラソンをリードしたが、近年のスピードマラソン化に付いてゆけず低迷することになる。
 

(この年の出来事)
*1966.4.4/ NHK朝の連続ドラマ「おはなはん」の放映が開始され、平均視聴率50%を記録する。
*1966.4.20/ 日産自動車とプリンス自動車工業が合併、自動車業界の再編成が始まる。
*1966.9.3/ 荒船清十郎運輸相が、自分の選挙区に急行を停車させるように国鉄に指示したとして、国会で追及され辞任に追い込まれる。
*1966.11.13/ 全日空のYS11型機が、愛媛県松山空港への着陸に失敗して海上に墜落、50名が死亡する。(戦後初の国産機事故

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