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中井貴恵 女優
久保田アナに桑子アナ…ブラタモリの歴代担当アナウンサー一覧
漫画家、藤子不二雄A(本名・安孫子素雄=あびこ・もとお)さんが亡くなった。
Facebook 毎日新聞映像グループさん曰く
恵俊彰 早大大学院入学 早稲田カラーで「緊張と不安と、ほとんどは楽しみ」
お笑いコンビ・ホンジャマカの恵俊彰(57)が1日、東京・新宿の大隈記念講堂で、早大大学院の入学式に出席した。
早稲田カラーのネクタイ、マスクを着用した恵は「緊張と不安と、ほとんどは楽しみ。通うことも含めて不安もいっぱいありますけど、気持ちを新たに」と新たな門出に胸を高鳴らせた。この日は、学生証が付与され「映画も学割でいけるし、コンピューターも学割で買える。これは非常に楽しみですね」と早くも“学生の特権”に目を輝かせていた。
MCを務めるTBS系情報番組「ひるおび」(月~金、前10・25)など多忙な中、大学院ではメディアにおけるスポーツの伝え方を研究。同じスポーツ科学研究科には、ラグビー元日本代表の五郎丸歩氏(36)らも入学し、「スポーツを伝えるにあたって一流の方がそばにいるというのは、本当にぜいたく」と意欲を見せた。
恵は大学受験に失敗し、3浪した末に進学を断念。コロナ禍で人生観を見つめ直す中で、再度の挑戦を決意したという。
NHK和久田麻由子アナ『ニュースウォッチ9』卒業
NHKの和久田麻由子アナウンサー(33)が1日、『ニュースウォッチ9』(月~金 後9:00)に生出演し、この日をもって2年間務めた同番組メインキャスターを卒業した。
和久田アナは「2年間ありがとうございました。今、皆さんが本当に知りたいニュースは何なのか、どうすれば皆さんが抱えている社会への不安や疑問に少しでもお応えできるのか、放送を通して考え続ける経験ができたこと、アナウンサーとして非常に大きな糧になりました。どうもありがとうございました」と感謝を伝えた。自身の今後については触れなかった。
2011年にNHKに入局した和久田アナは、14年に東京アナウンス室所属となり、同年から『おはよう日本』のメインキャスターを務め、20年4月からは『ニュースウォッチ9』メインキャスターとして“夜の顔”を担ってきた。
また『NHK紅白歌合戦では、19年に総合司会、21年に司会を務め、『東京五輪』開会式の中継アナウンサーも担当。プライベートでは、19年2月に一般男性と結婚を発表している。
“NHKのエース”として人気の和久田麻由子アナウンサー(33)が第1子を妊娠していることが31日、分かった。局関係者によると、現在安定期に入り、出産予定は今夏。局内をはじめ、仕事関係者には既におめでたを報告。関係者は「お世話になった人たちにあいさつを兼ね、幸せいっぱいの表情でママになることを伝えています」と話した。1日にキャスターを務める「ニュースウオッチ9」に最後の出演をする予定。
今年2月、21年度での同番組の降板と、4月以降は特集番組やナレーションのみの出演が発表されていた。看板アナが「レギュラーゼロ」となる理由について、さまざまな臆測が飛び交っていた。
昨夏は東京五輪の開会式やパラリンピック閉会式の中継を担当し、抜群の安定感を発揮。大みそかには大泉洋(48)、川口春奈(27)とともに紅白歌合戦の司会を務め、絶妙に合いの手を入れながら円滑に進行していった。レギュラーがなくなる4月からは“わくまゆロス”などと言われ、「フリー転身説やNHKならではの世代交代説、はたまた先輩アナに根回しされて降板に至ったなど、いろいろなことが報道されていた」(局関係者)。だが、実際は幸せな理由での降板だった。局関係者は「アナウンス力だけでなく、人柄も良い。そんな和久田アナだけに局内は祝福ムードです」と語る。
2019年に早大時代に箱根駅伝で活躍した同世代の会社員と結婚。「元々昨年の大役を終えた後で子供を持ちたいと思っていたようです。退局は考えていないと聞いています」(テレビ関係者)。今後は体調を見ながら産休に入り、出産後の落ち着いた時期に仕事復帰するとみられる。ママになった和久田アナの活躍も楽しみだ。
◇和久田 麻由子(わくだ・まゆこ)1988年(昭63)11月25日生まれ、神奈川県出身の33歳。幼少期を米ヒューストンで過ごす。女子学院高から東大経済学部へ進学。2011年にNHK入局。14年岡山放送局から東京アナウンス室へ異動。同年「おはよう日本」のメインキャスターに抜てきされ、知的で華があるアナウンサーとして人気に。趣味はミュージカル鑑賞、洋裁。
この人(縁の下の力持ち的存在・・・)
時機相応について 時代と人
『まんが日本昔ばなし』 常田富士男さん市原悦子さん
番宣CM 1983 まんが日本昔ばなし 市原悦子 常田富士男
番宣CM 1983 まんが日本昔ばなし 市原悦子 常田富士男
市原悦子さん まんが日本昔話 花咲か爺さん
常田富士男さん まんが日本昔ばなし 「としがみさま」
今日はルキノ・ヴィスコンティの命日らしい。
Faceboo永井資久さん曰く
アナから弁護士になってさらに早大院修了 菊間千乃、学び続けた早稲田愛(2019年公開)
Facebook 早稲田ウィークリーさん曰く
伝説の石原軍団 社長・裕次郎さんが倒れたことでより強まった結束力
大スター・石原裕次郎が芸能界で作った伝説のひとつが、今なお語り継がれる「石原軍団」の鉄の結束であろう。国民的スターとなった石原裕次郎が1962年に石原プロモーションを旗揚げしてからしばらくは、『黒部の太陽』(1968年)や『栄光への5000キロ』(1969年)の大ヒットで景気がよかったが、1970年代に入ると映画産業の斜陽化とともに大きな負債を抱え、倒産寸前に追い込まれていた。だが、テレビドラマに進出した石原プロは、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系、1972~1986年)や『大都会』(日本テレビ系、1976年)など、ド派手なアクション路線で人気を博し、苦境を脱する。そして『西部警察』(テレビ朝日系、1979年)で、その人気は頂点を極めた。裕次郎演じる西部警察署の捜査課長・木暮謙三と渡演じる刑事のリーダー・大門圭介を中心に繰り広げられる人間ドラマと爆破やカーチェイスに、視聴者は釘付けになった。「使用した火薬4.8トン」「壊した車両4680台」「飛ばしたヘリコプター600機」「始末書45枚」という数々の伝説を生んだ。PARTIの途中から最終話まで刑事ジョー役で出演した御木裕氏が語る。「もともと石原慎太郎さんと知り合いだった縁で、20歳で石原プロに入って右も左も分からぬまま『西部警察』で役者デビューしました。撮影現場では、渡さんが来ると良い意味で現場の空気がピリッと引き締まり、裕次郎さんが現われるとみんながイキイキと動き出す。渡さんがロケの宿泊先でみんなを集めて『正座しろ』みたいなこともあったけど、そういう体育会系なところもみんなで楽しんでいました。裕次郎さんと渡さんを中心とする結束の固さが、作品の魅力を生み出したんだと思う」だが、『西部警察』のロケ中だった1981年4月に大事件が発生する。裕次郎が解離性大動脈瘤で倒れ、緊急入院したのだ。「もし、最悪の事態になったら、私も連れていってもらいたい。石原に殉じたい気持ちです」ワイドショーに出演した渡は涙ながらにそう語った。その後、裕次郎は奇跡の復活を遂げるが、病気で倒れたことをきっかけに石原プロは新たなステージへと突入した。良純が語る。「もともと石原プロは太陽のような存在だった石原裕次郎を慕って集まった男たちの集団だったけど、社長が倒れたことで親分の夢を受け継いで作品を作っていこうと決意した。『社長のために』という一つの方向性を持つ男たちの結束力が、より強まっていったんですよね。酒はあまり飲まないほうだった渡さんが、ロケ後の夜や休みに若い連中を集めて、ワイワイと楽しむようになった。『社長の代わりに、俺がやらなきゃいけない』との責任感があったんだと思う」渡を中心に団結を深めた石原プロは「石原軍団」と呼ばれるようになり、熱い男たちの集まりとのイメージが世間に定着していった。(文中一部敬称略)
※週刊ポスト2022年2月18・25日号
かしまし娘(昭和31年頃) 3人とも20歳代でお若い。
かしまし娘
かしまし娘
かしまし娘「21年ぶりのTVステージ」
ちょっと気になる歌・唄・音
寺内タケシとブルージーンズ&バニーズ ♪津軽じょんから節
1:03 / 6:12 いきものがかり 『YELL』
アンジェラ・アキの名曲「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」が主題歌の 映画「くちびるに歌を」の映像を使用したミュージック・ビデオを公開!
「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」が主題歌になっている、2月28日公開の映画「くちびるに歌を」(主演:新垣結衣)の映画の映像で構成されたミュージック・ビデオが完成した。
映画の予告編等にも使用されていない貴重な未公開映像を含むミュージックビデオで、映画本編と同じく三木孝浩監督が編集。
新垣結衣が演じる合唱部の顧問教師と離島の生徒が奏でる最高の「合唱(うた)」。15歳だったすべての人へー。
生涯忘れない涙の感動作。
あの時、この時
「何でボンボン~~というのか?」
リクライニングの調節が上手く出来ずに
お借りした写真の傾きにしたいけどまっ平らになってしまったり。
夏休みのお気に入りだった記憶があります。
なんともホンワカな答えをされてる方がおられて、
思わずへぇー
ボタンがあったら連打するやろうの感じでした
墜落
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
作 手塚治虫
1975~1976年にかけて開催された沖縄国際海洋博覧会にて建設された ”アクアポリス”。
プロデューサーはなんと手塚治虫氏だったのですね