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あの人 この人

あの人

(昭和49年) 前年に荒井注さんが脱退を電撃発表。脱退までの数ヶ月間は見習いの志村さんを加えた6人体制で活動したドリフターズ。

2020-12-03
◾️6人ドリフ、後に志村さんが覚醒してあれだけの存在になるなんて、想像も出来なかったあの頃。
注さんがドリフからいなくなってしまう事が寂しくて、

映画ファン 昭和33年6月号  浅丘ルリ子さんの思い出のお写真

2020-12-03
Facebook永井由紀夫さんの投稿

テケ、テケ、、テケ、テケ・・・

2020-12-02
ザ・ベンチャーズ
世界の大御所といえば、ビートルズ

天辺には、ジュリーがいました。

2020-12-02
*1967.2.5/ グループサウンズのザ・タイガースが、この日発売のシングル「僕のマリー」でデビューする。
そういう時期に颯爽と登場したのがザ・タイガースで、1967年2月に「僕のマリー」が発売されデビュー、当時テレビ音楽界を席巻していた渡辺プロに所属すると、テレビの露出でまたたく間に代表的な人気GSとなった。彼らは京都でアマチュアバンドとして結成されたが、上京後にはレコード会社やタレントプロダクションなどによるプロデュースで、いわゆる「作られたGS」としてプロデビューした。
ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」 https://www.youtube.com/watch?v=J6Ps9kFsPxA

頂点へ

2020-12-02
ショーケン登場
1967年ごろのGS最盛期をリードしたのは、ジュリーこと沢田研二をボーカルとした「ザ・タイガース」と、ショーケンこと萩原健一を擁した「ザ・テンプターズ」だろう。これらグループもまた、それぞれ京都や埼玉の土地の若者がグループを組んで、ダンスホールや音楽喫茶(まだライブハウスなど無かった)などで演奏していたのだが、レコードレーベルやタレントプロダクションに目を付けられ、メジャーデビューすることになる。
ザ・テンプターズ「エメラルドの伝説」 https://www.youtube.com/watch?v=DfSzKWWWgZM
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