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あの人 この人

あの人

世界へ 『Get Back! 50's / 1953年(s28)』の快挙です。

2020-10-19
Facebook佐々木信雄さんの投稿

(ミス・ユニバース 伊藤絹子3位入賞)

○7.16 [東京] ミス・ユニバース世界大会で、ファッションモデルの伊藤絹子が日本人初の3位に入賞。「八頭身」が流行語となる。

 

 1953年、米ロングビーチで開催のミス・ユニバース・コンテストで、日本代表伊東絹子(19歳)が3位に入賞。世界の三大コンテストで日本代表が入賞したのは初めてで、話題を呼んだ。伊東は戦後初のファッションモデルの一人で、頭が身長の8分の1という、いわゆる「八頭身」という言葉が話題になった。日本女性の体形が国際水準に近づいたなどと言われたが、一般的にはまだまだであった。そもそもここで言う「国際水準」とは、欧米の白人女性並みということでしかなかった。

 

 ミス・ユニバースはミス・ワールド、ミス・インターナショナルと並んで世界三大ミスコンテストなどと呼ばれるが、いずれも戦後の '50年代に次々と始められたに過ぎない。1959年(昭和34年)のミス・ユニバースで、日本代表児島明子が日本初の優勝者となった時は、大きく報じられて私も知っている。このとき、かつての伊藤絹子や山本富士子が話題に上がった。ちなみに山本は、1950年開催された第1回ミス日本の優勝者であって、このときまだ世界の大手ミス・コンテスト始まっていない。

 このころ、ミスコンテスト関係の話題が多く聞かれた。1960年、第一回ミス・インターナショナルの日本代表に選ばれたのは、自宅の並びにある商店の娘さんだった。新聞雑誌テレビなど報道陣が殺到し店を閉めるありさまで、隣の民家まで借りて対応していたのを憶えている。

1960(s35)ミスコン日本代表 https://www.youtube.com/watch?v=_R7PDMx7R8E&feature=youtu.be

 

 最近の多様化の時代になると、そもそも何でミスコンなんだ、ミセスはいかんのか、ミスターもやれとその時代錯誤ぶりが際立ってしまう。ましてや BLGT の問題も射程に入れれば、もはやミスコンなどやってていいんか? となってしまう(笑)

 

*この年

1934年以来の大凶作/街頭テレビが大人気/蛍光灯が家庭に普及/映画「君の名は」空前の大ヒットでストールの真知子巻きが流行/うたごえ運動盛ん/テレビの流れ作業生産が始まる

【事物】森永スープ/噴流式の電気洗濯機/無線タクシー

【流行語】さんずい(汚職の隠語)/さいざんす/むちゃくちゃでござりまするがな

【歌】雪の降るまちを(高秀男)/君の名は(織井茂子)

【映画】ひめゆりの塔(今井正)/十代の性典(島耕二)/シェーン(米)/禁じられた遊び(仏)

【本】伊藤整「火の鳥」/山岡宗八「徳川家康」/ボーボワール「第二の性」

ポピュラー・ヒット年代史 1964年の作品から イパネマの娘 抱きしめたい ビートルズ

2020-10-19
Facebook永井由紀夫さんの投稿より

☆への一作です。

2020-10-19
1960年の映画「太陽がいっぱい」を見ました。
Facebook浅野 徹さんの投稿より
監督はルネ・クレマン、出演はアラン・ドロン、マリー・ラフォレ、モーリス・ロネなど、音楽はニーノ・ロータです。

 フィリップ(モーリス・ロネ)には交際相手で婚約者のパリ娘マルジュ(マリー・ラフォレ)がおり、イタリアではナポリに近い漁村モンジベッロにマルジュと過ごすための愛の巣を所有し、その近くのマリーナには立派なクルーザーも所有している。 自由奔放なフィリップは、マルジュをほったらかしにして、トム(アラン・ドロン)と二人きりでローマに遊びに来たのだったが・・・

 初めは緩やかな話の展開だが、トムが犯行を犯してからの展開は面白かった。 途中のサインのくだりも後からポイントとなっていて、場当たり的な犯行が運よく最後まで進んでいくのだが、それを大逆転するラストシーンが見事である。 これを当時若手だったアラン・ドロンやマリー・ラフォレが見事に演じている。 それらもやはり禁じられた遊びなどを手掛けた巨匠ルネ・クレマン監督の手腕が発揮され、そこにニーノ・ロータの印象的な音楽が彩を加えるフランス・イタリア映画の名作となっている!

名犬ラッシー

2020-10-17
Facebook佐々木信雄さんの投稿

コマキストということ

2020-10-16
栗原小巻です。
Facebook浅見俊彦さんの投稿より
『ふたりの世界』・・・?
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