本文へ移動

あの人 この人

あの人

アングラの時代

2020-12-03
【20th Century Chronicle 1967年(s42)】
◎アングラ劇団が次々と誕生
*1967.4.18/ 寺山修司らによって、前衛演劇グループ「天井桟敷」が結成され、旗揚げ公演を行う。
*1967.8.5/ 唐十郎主催のアングラ劇団「状況劇場」が、新宿花園神社で紅テント公演をする。
 カウンターカルチャーとしてのアンダーグラウンド文化は、アメリカではヒッピー文化とも相まって、音楽、映画、現代美術を中心に大きな影響を及ぼした。そのような流れに沿って、日本では特に「アングラ劇団」なるものが特徴的に花開いた。常設の演劇場をもたずに、都会の空き地などを利用してテント劇場など、ゲリラ的に活動する小劇団が幾つも生れた。なかでも、演劇関係者以外の一般世間でも話題を振り撒いたのは、寺山修司の「天井桟敷」や唐十郎の「状況劇場」だった。
 「多芸の鬼才」「サブ・カルチャーの旗手」などの異名をとった寺山修司は、「書を捨てよ、街へ出よう」などの著作で、若者たちが家・学校・会社などからドロップアウトして街中で自己表現することを煽動した。そして1967(s42)年4月18日、アングラ劇団「天井桟敷」を旗揚げし、その劇団員募集広告では、「怪優奇優侏儒巨人美少女等募集」とするなど話題を提供した。
 一方の唐十郎は、明治大学文学部演劇学科卒業という経歴をもち、 暗黒舞踏の土方巽に弟子入りするなど、演劇における役者の肉体性に注目していた。のちに妻とする李礼仙(李麗仙)と共に「金粉ショー」などをしながらキャバレーを巡り、芝居の資金や紅テントの購入費用を調達し、1967(s42)年8月5日、新宿・花園神社境内に紅テントを建て旗揚げ、「腰巻お仙 -義理人情いろはにほへと篇」を上演する。
 アングラ劇は、かつての見世物小屋や大道芸などと関連が深く、テント興行など観客に身近で、その観客席に乱入したり、観衆を劇中に巻き込んだりと、観客と一体化した演劇を目指した。その延長線上に市中劇・市街劇として、猥雑な都会の街なかをそのまま舞台にしてしまったりする。新宿花園神社や新宿西口公園にゲリラ的に紅テントを建てて公演した状況劇場、警察当局の許可なしに市街劇「ノック」を敢行した天井桟敷など、話題に事欠かなかった。
 寺山修司の「天井桟敷」と唐十郎の「状況劇場」は、意図的に互いのライバル意識を喚起し合っており、とうとう1969年12月12日には、劇団員同士の乱闘騒ぎまで起こすことになる。経緯は、天井桟敷の旗揚げ公演時に、唐十郎側がパチンコ店の使い古し花輪を贈った。その意趣返しで、状況劇場の開幕祝いとして葬儀用の花輪を寺山側が贈ったとか。そして天井桟敷の劇場へ状況劇場団員が殴りこんで乱闘騒ぎに。もちろん、シャレや話題つくりの意識もあったと思われる。
カルメンマキ「時には母のない子のように」 https://www.youtube.com/watch?v=Iyf3Qy9Ro5I
「少女仮面」2016公演告知  https://www.youtube.com/watch?v=ujM3mSGkIak
(この年の出来事)
*1967.2.15/ 羽田空港ビルで時限爆弾による殺人未遂事件が起こる。以後、東京駅・新幹線・山陽電鉄などで同様の爆弾事件が続発する。 
*1967.6.5/ イスラエルがアラブ連合などに攻撃を開始、「第3次中東戦争」が勃発する。
*1967.8.3/ 「公害対策基本法」が公布・施行される。
*1967.8.8/ 「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が結成される。
*1967.9.1/ 「四日市ぜんそく」の患者9人が、慰謝料請求訴訟をおこす。

(昭和49年) 前年に荒井注さんが脱退を電撃発表。脱退までの数ヶ月間は見習いの志村さんを加えた6人体制で活動したドリフターズ。

2020-12-03
◾️6人ドリフ、後に志村さんが覚醒してあれだけの存在になるなんて、想像も出来なかったあの頃。
注さんがドリフからいなくなってしまう事が寂しくて、

映画ファン 昭和33年6月号  浅丘ルリ子さんの思い出のお写真

2020-12-03
Facebook永井由紀夫さんの投稿

テケ、テケ、、テケ、テケ・・・

2020-12-02
ザ・ベンチャーズ
世界の大御所といえば、ビートルズ

天辺には、ジュリーがいました。

2020-12-02
*1967.2.5/ グループサウンズのザ・タイガースが、この日発売のシングル「僕のマリー」でデビューする。
そういう時期に颯爽と登場したのがザ・タイガースで、1967年2月に「僕のマリー」が発売されデビュー、当時テレビ音楽界を席巻していた渡辺プロに所属すると、テレビの露出でまたたく間に代表的な人気GSとなった。彼らは京都でアマチュアバンドとして結成されたが、上京後にはレコード会社やタレントプロダクションなどによるプロデュースで、いわゆる「作られたGS」としてプロデビューした。
ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」 https://www.youtube.com/watch?v=J6Ps9kFsPxA
TOPへ戻る