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あの人 この人

あの時、この時

墜落

2022-05-27

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1966(s41)年】-1
◎大型旅客機の大事故 続く
*1966.2.4/ ボーイング727 全日空機が東京湾羽田沖に墜落する。
*1966.3.4/ ダグラスDC-8 カナダ太平洋航空機が着陸失敗、羽田空港防波堤に激突し炎上する。
*1966.3.5/ ボーイング707 BOAC機が、富士山上空で空中分解し墜落する。
 なんとひと月ほどの間に、3件の航空機大事故がひき続いて起きた。原因はそれぞれだが、DC8機事故の生存者8名を除き、乗員乗客のほぼ全員が死亡するという惨事であった。
<全日空機 羽田沖墜落事故>
 1966(s41)年2月4日、全日本空輸60便(ボーイング727)は札幌千歳飛行場を出発し、目的地である羽田空港へ向かっていたが、羽田空港に向けて着陸進入中の19時00分20秒の交信を最後に、突如通信を絶った。墜落時に起きたと思われる炎を東京湾上で目撃されていたことから、羽田沖の海上の捜索が行われた。
 深夜になってから、木更津北方7海里付近において残骸が見つかり、寒風吹きすさぶ荒れ模様の海で懸命の遺体回収が行われ、4月14日までに乗員乗客132名の遺体が発見され、残り1遺体も後日に横須賀方面の岸壁で見つかった。
 導入されてまだ間もない最新鋭機ボーイング727で、日本における初の大型ジェット旅客機の事故だったことや、乗客乗員の合計133人全員が死亡するという、単独機として当時世界最悪の事故だったことなどで、世界からも注目を集めた。原因は、操縦ミス説と機体原因説があり、最終的に不明とされた。
<カナダ太平洋航空機 羽田空港防波堤激突事故>
 全日空機事故の1ヵ月後の1966(s41)年3月4日、香港発東京経由バンクーバー行きのカナダ太平洋航空402便(ダグラスDC-8)が、羽田空港への着陸直前に墜落した。当日の夕方、羽田は視界不良だったが、少しの視界回復の隙間を縫って、20時過ぎに管制誘導による主導着陸を試みたが、機首を下げ過ぎたため空港岸壁に激突して大破、乗員乗客64名が死亡し、乗客8名のみが救出された。
<BOAC機 空中分解事故>
 カナダ太平洋航空機事故のすぐ翌日、1966(s41)年3月5日、英国海外航空(BOAC)911便(ボーイング707)が、サンフランシスコを起点に、ホノルル、羽田空港を経由して香港に向かう計画予定だが、悪天候のため1日遅れたこの日の13時58分に、羽田空港から香港に向けて離陸した。
 羽田空港を離陸し上昇中の14時15分ごろ、静岡県御殿場市上空付近で乱気流に遭遇し、機体は空中分解、富士山麓に落下した。富士山特有の強力な乱気流に取り込まれ、設計荷重を大幅に超える圧力がかかったせいで空中分解したとされた。
 提出済みのフライト計画では、羽田空港から伊豆大島経由で海上を香港に向かう計器飛行方式(IFR)だったが、機長が富士山上空へ直行する有視界飛行方式(VFR)への変更を要求し受理されていた。予定より20時間以上遅れていたため時間カットを意図したという説と、アメリカからの大口団体観光客に富士山を見せるためにコースを変えたという説とがある。
 余談だが、映画「007は二度死ぬ ”You Only Live Twice”」が当時日本で撮影中で、監督はじめ制作スタッフがこの911便に搭乗予定だったが、予定変更があって急遽キャンセルして助かったという。数時間後に遭難の知らせを受けた一行は青ざめ、「これが二度目の命だ ”We Live Twice"」と胸を撫で下ろしたという、笑えない偶然もあったとか。
(この年の出来事)
*1966.4.20/ 日産自動車とプリンス自動車工業が合併、自動車業界の再編成が始まる。
*1966.9.3/ 荒船清十郎運輸相が、自分の選挙区に急行を停車させるように国鉄に指示したとして、国会で追及され辞任に追い込まれる。
*1966.11.13/ 全日空のYS11型機が、愛媛県松山空港への着陸に失敗して海上に墜落、50名が死亡する。(戦後初の国産機事故)
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