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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

その典拠は・・・。

2022-07-28
国葬の内容を克明に記した「故吉田茂国葬儀記録」=国立公文書館所蔵
安倍氏の前例、吉田茂氏国葬も根拠法なく 「ある葬儀」を参考に 毎日新聞 2022/7/26 11:00(最終更新 7/26 11:31

Facebook 毎日新聞 さん曰く


55年前の吉田茂元首相以来で、戦後2例目となる安倍晋三元首相の国葬。国葬令は戦後、現行憲法の施行で政教分離の観点から廃止されました。
吉田氏の国葬に関する公文書を読み解くと、当時から「法的根拠」への問題意識があったことが分かりました。


政府は、安倍晋三元首相の国葬を9月27日に行うことを閣議決定した。首相経験者の国葬は戦後2例目で、55年前の吉田茂元首相以来となる。吉田氏の国葬は今回の重要な前例となる。公文書をひもとくと、根拠法がない中で急いで開催にこぎつけた様子がうかがえる。葬儀当日は午後に仕事や学校を休み、「弔意」を表すよう国民に求めていた。そして、実は過去のある葬儀を参考にしていた。

日本武道館です。

2022-07-27

Facebook 時事通信社さん曰く


参院選の遊説中に銃撃され、亡くなった故安倍晋三元首相の国葬まで27日であと2カ月となりました。
銃撃事件は警備体制に問題があったとされ、警察当局による検証・見直しが進みます。国葬には内外の大勢の要人参列が見込まれており、総力を挙げて警備に臨む警視庁の幹部は「注目度も高い。失敗は許されない」と気を引き締めます。

統一教会の“広告塔”となったが… 家族の説得で脱会を果たした芸能人たち

2022-07-24

 容疑者が明かした犯行動機は統一教会への「恨み」、そして安倍晋三元首相と教団の「つながり」だった。銃撃事件を機に政治家と宗教団体の不適切な関係が問題視されているが、芸能界では30年以上前から芸能人が“広告塔”に利用されることが社会問題化していた。

 連日のように続報が伝えられる安倍晋三元首相(享年67)の銃撃事件。殺人容疑で送検された山上徹也容疑者(41才)の供述が明らかになるにつれ、ある宗教団体との関連に注目が集まった。統一教会(2015年に世界平和統一家庭連合に改称。本稿では統一教会と記述する)である。

 統一教会の名が広く一般に知られるようになったのは1992年頃。有名女優やスポーツ選手が相次いで入信を表明し、ワイドショーや週刊誌がこぞって教会の問題を取り上げた。とりわけ日本中を驚かせたのは、女優として一線で活躍していた桜田淳子(64才)の告白だ。韓国で行われる“合同結婚式”への参加を会見で表明し、見ず知らずの男性と結婚することも『価値観が一緒で人生の目的が同じ人が集まるのだから、不安はありません』と言い切った。桜田桜田は現在も脱会しておらず、夫婦仲も変わっていないという。

 桜田と同じく1992年の合同結婚式に参加したのが元新体操選手の山崎浩子(62才)。鹿児島県出身の山崎は高校時代に新体操を始め1984年にロス五輪に出場。個人総合8位に入賞し、選手引退後は指導者、タレントとして活動していた。

「1988年のソウル五輪ではリポーターとしても活躍していましたが翌年、友人のすすめで教会のビデオ学習を受けたのを機に入信。交際相手と別れ、たびたび韓国を訪れるようになり、1992年に合同結婚式が行われることを知ると自ら参加を望んだといいます」(前出・芸能関係者)

 心配した姉や、キリスト教の牧師による説得は46日間にもおよび、山崎は脱会を決意した。2004年から指導者として現場に復帰して、昨年の東京五輪でも新体操チームを率いた。現在は東京とモスクワを拠点に指導を続ける山崎の心の支えは“推し活”だという。

「アイドルが好きで特にKis-My-Ft2の大ファン。ツイッターでも頻繁に“推し活”について、楽しそうに綴っています」(新体操関係者)

 山崎が代表を務める会社を訪ねたが、マネジャーらしき女性が「ここには来ません」、「(統一教会の)取材は受けません」と繰り返すばかりだった。

広告塔芸能人には被害の実態が見えない

 キャスターとしても活動するタレントの飯星景子(59才)は、脱会を巡って父で作家の故・飯干晃一さんと壮絶なバトルを繰り広げたことで知られる。入信のきっかけは、統一教会のイベントで司会を務めたこと。友人のすすめで統一教会の勉強会に参加した飯星は、教義より信者の人間関係に魅力を感じたといい、後にワイドショーでこう語っている。

「神様を通じてわかり合えるような、普通の友人関係とは違う、強烈で独特なものがあった」

 霊感商法に関する悪い噂も耳にしたが、「見たくないと思って目をつぶっていた」という飯星。その目を必死に開かせたのが父だった。もともと統一教会に疑念を抱いていた飯干氏は娘が教会のスタッフと共にニューヨークに渡ったことを知ると「絶対に取り戻す」と宣言。統一教会に“宣戦布告”した。

「教会側から『お父さんをなんとかしてほしい』と言われた飯星さんは、新約・旧約聖書を読んで理論武装した父との対話に臨んだそうです。当初は頑なな姿勢を崩さなかった飯星さんですが、いままで見たことのない父親の『弱々しい姿』に心を動かされ、深入りする前に立ち止まることができたといいます」(ワイドショー関係者)

 以来、統一教会とは縁を切り、当時のことを振り返る機会もほとんどなくなった。


『TIME〛誌の表紙

2022-07-23

Facebook 西村 幸祐さん曰く

現在、アマゾンで品切れ、ベストセラー1位になっている最新号の米誌「TIME」。
イアン・ブレマーの記事の見出しは《安倍晋三の遺産は日本を超えて》。
右ページのアミー・グミアの記事の見出しは《安倍の死は、彼が果たせなかった変化の実現につながるかもしれない》となっている。日本のメディアより遥かに事実を捉えているのだが、日本メディアは〈見えない東京の壁〉の東側からの情報統制下にあるか、朝日のウイルスで脳がやられているのだろう。

伊藤野枝という生き方

2022-07-22
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
【文学】09.伊藤野枝という破天荒な女
 幸徳秋水の大逆事件を調べていたら、関東大震災直後のどさくさに、アナーキスト「大杉栄」らが虐殺された甘粕事件につながって、その時いっしょに謀殺された妻の「伊藤野枝」の名が出てきた。さらに、野枝に大杉を寝取られた前妻「神近市子」が、日陰茶屋事件で大杉を刺す事件とか、野枝が捨てた前夫がダダイスト詩人「辻潤」であったとか、訳の分からぬ人脈が連なってきた。
 その辻潤が一緒になったウワバミのキヨこと「小島キヨ」が入り浸った、「南天堂書房」二階のレストランがアナーキスト、ダダイストの溜まり場で、「林芙美子」、「平林たい子」、伊藤野枝、そして小島キヨら「自由恋愛主義」の女らが出入り、林芙美子など、テーブルの上にひっくり返って「さぁ、どうともしてくれ」と啖呵を切るとかで、「ハレンチ南天堂時代」だったとか。
 ともあれ、男遍歴を肥やしに作家となった林芙美子や瀬戸内晴美(現寂聴)なども、足元にも及ばないほどぶっ飛んだ女が「伊藤野枝」だった。野枝は「平塚らいてう」の「青鞜社」に通い始め、当時の錚々たる「新しい女」達、与謝野晶子・長谷川時雨・岡本かの子・神近市子らと親交を深めて強い刺激を受けた。
 平塚は、雑誌「青鞜」を発刊し、女性解放運動の嚆矢となったが、母性保護を国家に求めるなど、女性の自立を主張する与謝野晶子らから批判を浴びた。後年、伊藤野枝が「青鞜」の編集・発行を受けつぐと「無主義、無規則、無方針」をモットーにエリート女性だけでなく一般女性にも誌面を解放。情熱的に創作・評論・編集に活躍し、「青鞜」を文芸雑誌から女性評論誌、あるいは女性論争誌と呼ぶべきものに変えていった。
 必然的に平塚と伊藤の間に確執が発生し、伊藤が大杉栄の下に去ると「青鞜」は休刊となった。平塚らいてうが「原始、女性は実に太陽であつた」と謳ったのと対照的に、野枝は「吹けよ、あれよ、風よ、嵐よ」と謳っている。伊藤野枝の個人主義を平塚らいてうは終生受け入れられず、伊藤を、思想面よりも、その人格や行動に対する情緒的な批判しかできなかった。
 平塚は伊藤を全否定するかのように、「人格的の訓練を欠いた一種の自然人」と書いている。これは、ある意味、的を得ているともいえる。ただし、平塚はやんわり「自然人」と書いているが、むしろ「野人」ないし「野獣」と書きたかったのではないか。
 野枝は「わがまま。学ぶことに、食べることに、恋に、性に、生きることすべてに、わがままであった」とされる。女に対してだらしのなかったアナーキスト、ダダの詩人で前夫の辻潤も、甘粕事件で共に扼殺される大杉栄も、その「わがままさ」というより凶暴さには、さすがにビビっていた気配がうかがえる(笑)
 伊藤野枝は、生涯7人の子をもうけ、28歳で逝った。その思想は、アナーキスト、ダダイストの極北を行き、女権思想の最先端を行っていたともいえる。しかし、残念ながらそれを思想的に深めるだけの余地はなく、その後継者も現われなかった。若くして逝ったゆえか、それとも女性固有の情緒性ゆえなのかは、誰にも分らない。
 伊藤野枝伝としては「村に火をつけ,白痴になれ」(2016/栗原康著)が刊行されている。https://www.iwanami.co.jp/book/b263941.html
 「読みたい、書きたい、食べたい、セックスがしたい、子どもがほしい。ふつう、ひとはなにかをやるためには、なにかをあきらめなくてはいけないとおもいこまされている。生きるためにとかいって、まずカネのことを考えさせられるからだ。たとえば、家庭をもつようになったら、カネにもならないのに夢をおいかけたら、わがままだといわれてしまう。でも、伊藤野枝はちがっていた。やりたいことがあったら。なにがなんでもやってしまう。ひとつじゃない、全部だ」(著者からのメッセージ)
 なお、映画では『エロス+虐殺』や『華の乱』などで、大杉栄と伊藤野枝が描かれている。
(追記)
 瀬戸内晴美は、伊藤野枝をモデルに「美は乱調にあり」「諧調は偽りなり」という前後編を書いている。これは、「美はただ乱調にある。諧調は偽りである」という大杉栄の言葉から採ったという。
 伊藤野枝のほかにも、大逆事件に連座した菅野須賀子、第二の大逆事件で縊死した金子文子、平塚らいてう、高群逸枝、田村俊子、岡本かの子等々、錚々たる女権拡張論者かつスキャンダラス女人達の伝記ないしモデル小説を書いている。
 スキャンダラス女の生涯をモデルに、数多くの男を肥やしに、女として世界を味わいつくした後、今や頭を丸

データベース(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)

ゼレンスキー大統領の妻であるオレーナ・ゼレンシカが、

2022-04-20
Facebook VOGUE JAPAN さん曰く、 『VOGUE』に侵攻直後の様子と母国の惨状、そして希望を語った。
オレーナ・ゼレンシカ、2021年撮影。 PHOTO: STEPHAN LISOWSKI FOR VOGUE UKRAINE

ゼレンスキー大統領の名演説を手がけるスピーチライターは誰なのか? 

2022-04-21
ウクライナ情報戦の立役者
国連安全保障理事会でオンライン演説したゼレンスキー大統領(4月5日)  Photo: John Lamparski / NurPhoto 画像ギャラリー
ゼレンスキーを支える“スピーチライター”の正体──誰があの名演説を書いているのか?
ウクライナ国民の士気を奮い立たせ、世界に対しては各国の歴史を踏まえたスピーチで心を揺さぶる──ゼレンスキー大統領の名演説を手がけるスピーチライターは誰なのか? 
ついに英紙「オブザーバー」がその正体に迫った。

ルイス・フロイスが記録したキリシタン時代の復活祭

2022-04-17

Facebook 日本二十六聖人記念館さん曰く


ルイス・フロイスが記録したキリシタン時代の復活祭
 「この布教に携ずさわっていた二名の司祭たちの中の一人が、(レオ)がいた地で復活祭を祝わった。
 この善良な老人(レオ)には非常な熱心さがあり、彼はいつかはその地全部が聖主なるキリストに従うのを見ようとしきりに願っていた。
 彼は復活の祝日に、いっしょに祝うために四百人のキリシタンたちにすばらしい饗宴をした。」
  「一五九六年度イエズス会日本報告書」(第一期第二巻) より。

「侵略戦争を悪と言えない大学なんて必要ない」

2022-04-16
河瀬直美監督の東大入学式での祝辞、国際政治学者から批判相次ぐ。
4月12日に開かれた東京大学入学式。来賓として参加した映画監督の河瀬直美さんの祝辞が波紋を呼んでいる。 

河瀬監督はウクライナ侵攻について「ロシアという国を悪者にすることは簡単」「悪を存在させることで安心していないだろうか?」と新入生に問いかけた。 この祝辞について、国際政治学者から批判の声が相次いでいる。

祝辞

東大の入学式が12日、東京都千代田区の日本武道館で行われ、映画監督の河瀬直美氏(52)が来賓として出席し「自由に生きることの苦悩と魅力を存分に楽しんでください」と祝辞を贈った。

河瀬氏は新型コロナ禍で厳しい受験を迎えた新入生に対し「今日という日を迎えられましたこと、大変喜ばしい時間を、今この瞬間かみしめておられるのではないでしょうか。今日は手放しにその喜びを全身に受けてお過ごし下さい」と呼び掛けた。 その上で「明日からの日々は喜ばしさにあぐらをかいてはいけません」と強調。河瀬氏は、97年にフランスのカンヌ国際映画祭で新人監督賞を受賞した時のことを引き合いに「フランス人の担当者が同じようなことを言ってくれた。『今日はこのトロフィーを掲げて喜んでいれば良い。明日からは0から出発する』。賞の上にあぐらをかいていては、それ以上の成長がないのだと理解した」と自分の経験をもとに語った。 

 

 河瀬氏はロシアによるウクライナへの軍事侵攻についても触れた。 「ロシアという国を悪者にすることは簡単である」と切りだし「一方的な側からの意見に左右されて、本質を見誤っていないだろうか。誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか」と冷静に自問して問題提起した。 河瀬氏は「人間は弱い生きもの。だからこそつながりあって国家に属している。自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということ自覚する必要がある」と述べ、「自らの中に自制心を持って、拒否することを選択したい」と話した。

2022-04-06
4月3日は京都のレストラン・キエフでのコンサート。厳しい戦争の被害国となったウクライナへの思いの詰まった忘れ難いコンサートになりました。

Facebook 加藤登紀子さん曰く


<TOKIKO NOW>『 4月11日土の日ライブ、ゲストは石川さゆりさんです!』(2022.4.6up)
桜が満開から葉桜へ、劇的なこの季節。すごい3日間のコンサートが続きました。
4月3日は京都のレストラン・キエフでのコンサート。厳しい戦争の被害国となったウクライナへの思いの詰まった忘れ難いコンサートになりました。
一曲目は「そこには風が吹いていた」で静かに始まり、キエフならではの意味で、私の生まれ故郷のハルビンを歌った「遠い祖国」を歌いました。
父が1972年にレストラン・キエフを開いたのは、京都がキエフと1971年に姉妹都市になったからでした。
「ロシア人にとってキエフは京都や」と父が言っていたように、ロシアの歴史は、キエフ公国の誕生にそのルーツがあり、その後の帝政ロシア時代、革命後のソ連時代、ソ連解体後の時代へと変転してきました。
私の生まれた中国東北部のハルビンは、帝政ロシアの建設した町で、その時に西から強制移住させられたウクライナ人も多く、その後は革命で逃げてきた貴族やコサック人、スターリンの迫害を受けた芸術家など、無国籍の亡命者の街でした。
戦後、そのロシア人たちが日本にたくさん移住してきた頃、父は彼らの仕事場としてレストランを始めたのです。最初のコックさんはコサックの娘という陽気なおばちゃんでした。
お店にはいっぱいロシア人関係の人が集まって、いっつも大合唱になり、ダンスになり、ここが彼らの居場所になったのです。
その亡命ロシア人が歌い継いできた「悲しき天使」、ピートシーガーがコサックの子守唄を元に作った「花はどこへ行った」、そして解体したソ連の共和国を繋ぐ、決定的な歌になった「百万本のバラ」、、、
私の心を捉えて離さないのは「放浪の民の音楽」なのだ、とこの日ほど思えたことはありません。
 「キエフ」ではこの後に、同じように音楽を求めていくつもの音楽を辿ってモダンタンゴの世界にたどり着いたアストール・ピアソラの歌を2曲。「リベルタンゴ」「忘却」を歌い、その後に「無垢の砂」。これは「映像の世紀」のテーマに合わせた私の詩の朗読で、今の時代への深い思いを込めました。
翌日は桜満開の伊勢の五十鈴川のほとりの「おかげ横丁 野あそび棚」で、桜にライトアップをしたステージで少しゆったりとした「花物語」のライブを楽しみました。
「花」「琵琶湖周航の歌」「愛のくらし」と歌ったら、もう前の席の人が号泣しちゃって、私も泣きそうで大変でした。今年が、1972年の結婚から50年の年、夫の没後20年なので、振り返る思いもひとしお、弾き語りでは「檸檬」を歌いました。
本当に昼も夜も、夢のような桜満開の別世界。
後半は「さくらんぼの実る頃」「花はどこへ行った」「百万本のバラ」など、これも花いっぱいの濃い世界でした。
5日は東京上野のライブスポット「Qui」で、なんと「ひばりを歌う」コンサート。もちろん後半には登紀子レパートリーも。
全く違うアプローチを、3日間、クリアーしてくれたのは鬼武みゆきさん。本当にお疲れ様でした。
2022年の厳しい思いをどう歌で伝えていけるか、歌う場で切実に感じながらの日々。そんな中、作詞作曲して石川さゆりさんに贈った新曲「残雪」が、テレビやYouTubeで大好評のようです。今月の4月11日の「登紀子土の日ライブ」のゲストにお招きしています。「新曲『残雪』を語ろう」楽しみにしていて下さい。

【 Facebook闘いのページ】のページ、管理者は住職です。

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