闘いの歴史
闘いの記録 (戦争と人間)
クアッド会合出席の意向 豪野党勝利、政権交代へ
【シドニー共同】オーストラリアで21日行われた下院総選挙で、アルバニージー氏が率いる最大野党、労働党がモリソン首相の与党、保守連合を破り勝利した。2013年以来約9年ぶりの政権交代となり労働党は第1党となることが確定したが、単独で首相を選出できる過半数の76議席を確保できるかどうかは不明だ。22日も開票作業が続いた。
労働党党首のアルバニージー氏は23日朝に首相に就任し、24日に東京で行われる日米豪印4カ国の協力枠組み「クアッド」首脳会合に出席したい意向だ。
選挙では、地球温暖化対策を訴える女性中心の環境連合「ティール無所属」が躍進した。
キューバ危機と呼ばれた13日間
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
私はカモメ・・・。
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
総理就任後、初めて
Facebook 首相官邸さん曰く
◎ガガーリン少佐 人類最初の宇宙飛行
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
闘いの転機(戦いの前と後)
トリニティサイト(トリニティ実験)
トリニティ実験(トリニティじっけん、英語: Trinity)とは、1945年7月16日にアメリカ合衆国で行なわれた人類最初の核実験である。
この実験はアメリカ・ニューメキシコ州ソコロの南東48km(北緯33.675度、西経106.475度)の地点で行なわれた。実験場は現在ではアラモゴードに本部を持つアメリカ陸軍ホワイトサンズ・ミサイル実験場の一部となっている。トリニティ実験は爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、同型の爆弾『ファットマン』が、後に日本の長崎県長崎市に投下された。この実験による核爆発は、約20ktのTNTの爆発と同規模のもので、この核実験を以ってしばしば「核の時代」の幕開けとされる。
1945年7月16日、5時29分45分、.m「千の太陽より明るい」光が谷を埋め尽くしました。今ではおなじみのキノコ雲が空に上がるにつれて、オッペンハイマーはヒンズー教の聖典、バガヴァッド・ギータから「今、私は死、世界の駆逐艦になる」と引用しました。世界は核時代に入っていた。
テスト直後、シャーマンM-4戦車は、独自の空気供給を装備し、鉛の2インチが並んで、サイトを探索するために出て行きました。鉛の裏地はタンクの重量に12トンを加えたが、地上ゼロでの放射線レベルから乗員を保護するために必要であった。タンクの乗客は、100フィートの鉄塔が事実上消え、4本の脚の金属とコンクリートの切り株だけが残っていることを発見しました。周囲の地面ゼロは、約2,400フィートのクレーターで、深さ約10フィートの場所でした。塔の周りの砂漠の砂は、爆風の激しい熱によって、現在はトリニテとして知られているヒスイ色のガラスに融合していました。
ファットマン(英語: Fat Man、「太った男」の意味)は、第二次世界大戦末期にアメリカ合衆国で開発された原子爆弾である。
アメリカ軍の分類番号はMk.3であり、大戦後も製造が継続された。人類史上初の核実験であるトリニティ実験に使用されたガジェットとほぼ同型。
ファットマンはマンハッタン計画の一部としてロスアラモス国立研究所で作られた核兵器である。リトルボーイ(Mark 1)が高濃縮ウランを用いたガンバレル型の原子爆弾であるのに対して、ファットマンはプルトニウムを用いたインプロージョン方式の原子爆弾である。
1945年8月9日に実戦使用されており、長崎県長崎市の北部(現在の松山町)の上空550メートルで炸裂した。長崎市への原子爆弾投下を行ったのは、B-29ボックスカー(機長:チャールズ・スウィーニー少佐)である。爆弾の威力は8月6日に広島県広島市に投下されたリトルボーイより若干威力が高いが、長崎市は起伏に富んだ地形で、平坦な広島市に比べて威力が減殺された。破壊の度合いは広島市に比べると小さいものの、死者約7万3,900人、負傷者約7万4,900人、被害面積6.7 km2、全焼全壊計約1万2,900棟という甚大な被害をもたらした。核出力はTNT換算で、21キロトン(不確かさは10%)、すなわち 8.8×1013 J = 88 テラジュールである。
第二次世界大戦終結後も製造が続けられ、Mark 2(ThinMan) というガンバレル型プルトニウム型爆弾は開発中止され、インプロージョン型原爆であるファットマンへと移行し、1940年代のアメリカ軍の核戦力を担った。
長崎市への原子爆弾投下(ながさきしへのげんしばくだんとうか)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月9日(木曜日)午前11時02分に、連合国のアメリカ合衆国が枢軸国の日本の長崎に対して原子爆弾「ファットマン」(以下原爆と記す)を投下した出来事であり、この原子爆弾が人類史上において2回目かつ実戦で使用された最後の核兵器である。
原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊した。。
長崎県、長崎市を指す「長崎」が「ナガサキ」と片仮名表記される場合は、長崎市への原子爆弾投下に関する言及である。原爆は一瞬にして地獄とした。
空自小松F-15墜落事故、操縦士2名の遺体収容
Facebook Shinya Kojimaさん曰く
空幕によれば、2名の操縦者のうち1名は2月11日に、もう1名は2月13日にそれぞれ発見・収容し、小松基地に搬送した上で墜落機の操縦者であることを確認したという。
B-52 Stratofortress Scramble
防空のプライド高く 搭乗の田中1等空佐、52歳「現役最年長」精鋭に何が
今なお、パイロット2人の行方は分かっていません。
F15戦闘機は離陸からわずか数分後に消息を絶ちました。
精鋭部隊に所属し、豊富な飛行経験を持つパイロットがなぜ墜落に至ったのか。航空自衛隊の元空将に考えられる事故原因を詳しく聞きました。
航空自衛隊小松基地のF15戦闘機が墜落してから1週間以上が経過しました。
搭乗していた2人のパイロットの行方は、今なお、分かっていません。
1月31日、午後5時半ごろ、小松基地を離陸した数分後、F15戦闘機は、消息を絶ちました。
この間、何が起きていたのか。
元パイロットの証言から、F15戦闘機墜落の原因に迫りました。
行方が分からなくなっている機体は、小松基地・飛行教導群、通称「アグレッサー部隊」に所属するF15戦闘機でした。
1年を通じて全国の戦闘機部隊などを回って「敵役」を演じ、関係部隊の指導も任務とする精 鋭部隊です。
敵・味方の区別をしやすくするため、独特な塗装が施され、今回、行方不明となっ ている機体はトラ柄でした。
1月31日、夕方5時30分ごろ、F15戦闘機は、小松基地を離陸しました。
しかし、わずか数分後、機体は小松基地の西北西5キロの海上で、レーダーから消えました。
管制官は、オレンジ色の光を確認し、当該機に無線で呼び掛けましたが、応答はありませんでした。
異常を知らせる救難信号も出ていませんでした。
そして、付近の住民が、海から上がる火柱や、煙を目撃していました。
元航空自衛隊の空将で、小松基地の飛行群司令も務めた永岩俊道さん。
パイロットとして30年以上の経験があり、飛行時間は4000時間にも及びます。
管制官が目撃したオレンジ色の光について、考えられることを聞きました。
永岩さんは、ベテランのパイロットが交信なく、墜落に至っていることから、事故原因の可能性の一つに、バーティゴ、「空間識失調」を挙げます。
空間識失調とは、パイロットが、操縦している航空機の姿勢や位置、方向・回転などを客観的に把握できなくなった状態を指します。
2019年4月、航空自衛隊三沢基地のステルス戦闘機、F35Aが青森県沖に墜落した事故が起きました。
この事故について、航空自衛隊は、パイロットが「空間識失調」に陥ったことが原因とする調査結果をまとめています。
今回のF15戦闘機が、離陸するときの映像を永岩さんに見てもらいましたが、映像で見える範囲では異常は見当たらないと言います。
機体に鳥が衝突する「バードストライク」や、エンジンの故障の可能性について、永岩さんに聞きましたが、その可能性は低いと指摘します。
永岩さんは、航空機の事故は、複数のヒューマンエラーが重なったときに起きると指摘し、あらゆる角度から、事故の原因を究明し、再発防止を図ることが大切になると話します。
[小松☆最高] 何度見ても凄すぎる!!!
データベース(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)
ちょうど400年前の今日、イエズス会士・カミロ・コンスタンツォ神父が宇久島で捕らえられました。
Facebook 日本二十六聖人記念館さん曰く
ゼレンスキー大統領の妻であるオレーナ・ゼレンシカが、
ゼレンスキー大統領の名演説を手がけるスピーチライターは誰なのか?
Facebook Courrier Japon / クーリエ・ジャポン さん曰く
ついに英紙「オブザーバー」がその正体に迫った。
ルイス・フロイスが記録したキリシタン時代の復活祭
Facebook 日本二十六聖人記念館さん曰く
日本国自衛隊
*1960.1.19
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
共同訓練を実施しました。
自衛隊の装備品等を米軍機によりウクライナに届ける準備を進めています。
Facebook 防衛省(Japan Ministry of Defense) さん曰く
Facebook 防衛省(Japan Ministry of Defense)さん曰く
闘いすんで 陽が暮れて・・・
硫黄島からの帰還です。
この度、ご帰還された英霊は14柱。
帰路の自衛隊機には14人分の席を用意されました。
英霊にとっては77年ぶりのご帰還。
安らかに帰れるようにと自衛隊員達は隣の席の骨箱に、優しい手付きでシートベルトを着けました。
米軍の火炎放射器等で塞がれた地下壕で発見された英霊は、家族から届いた手紙の束を握りしめたままの方々もいます。
『お父さんお元気ですか。僕も元気で毎日学校に行ってべんきょうしています…………』
日本です。新婚旅行です。ディマジオがいっしょでした。
マリリン・モンロー ジョー・ディマジオ来日(新婚旅行)の日程
1954年(昭和29) 2月1日 午後5時35分 羽田着
夫のジョー・ディマジオ サンディエゴ・パドレス監督の
フランク・オドウル氏らとともにオープンカーをつらねて帝国ホテルへ。
2月2日 記者会見
ディマジオの為の記者会見だったが、質問はすべてマリリン
へのものだった。
2月8日 午後7時30分 板付着
那珂川河畔の国際ホテル(現在の城山ホテル跡)へ
ホテルを500人あまりのファンが取り巻く。
マリリンは2階の窓辺に現れ、カーネーション の花びらを
ファンにばらまいて、投げキッスをふりまいた。
滞在中は、1人で、西戸崎へ米軍キャンプの慰問、
ドライブなどを楽しむ。
ディマジオ、オドウル監督らは、香椎球場で日本プロ野球選手の
技術指導を行う。
夕食はお忍びで、ホテルの通りをはさんだ向かいのレストラン
ロイヤル(旧花の木)で食事を楽しむが、店をファンに埋め尽くされる一幕も。
2月11日 午前9時10分 岩国市の米軍基地へ
ディマジオ・マリリン一行は、自動車で宮島の一茶苑に向かったが、
ファンが殺到しMPが出動する騒ぎだった。
2月14日 岩国から大阪へ
2月16日から19日まで
マリリンは、朝鮮の国連軍慰問(10ヵ所以上の駐屯地を訪問)し、カゼを引く
ディマジオは、大阪・奈良などを訪問し、野球指導を行う。
2月25日 午後2時7分 羽田からサンフランシスコへ帰国
真宗大谷派の取り組みについて
「全戦没者追弔法会」の和讃
【4/2全戦没者追弔法会】
【春の法要ライブ配信】全戦没者追弔法会(4月2日10時10分~)
政局について
「若手政治家」の登竜門
Facebook 時事通信社さん曰く
「政界Web」最新記事はこちら⇒https://www.jiji.com/jc/v8?id=20220318seikaiweb
ロシアのウクライナ侵略は、日本にも考えさせられることが多いようです。
Facebook 伊吹 文明さん曰く
国民に安心安全で幸せな日常を担保する理念・統治の仕組は、国により様々です。自由と市場経済の国、統制や計画経済の国、国民主権の民主制の国、世襲の君主制の国、民主制の衣を纏っていても反対の価値観や意見を抑えこむ独裁国家も。そのなかで各国は国益をかけ動くのが国際社会の現実です。
この現実のなかで、国際秩序・平和を護る大原則は、軍事力等力で現状を変えない、他国の主権を犯さないとの国際法や国連憲章の基本原則です。
だからこそ各国は防衛力を整備し、相互に助け合う同盟関係や安全保障条約を締結しています。
日本国憲法の前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意…」は、冷徹な国際社会の力の現実であるウクライナ侵略、北朝鮮の核とミサイル開発、尖閣問題、竹島や北方四島の現状からは、どう考えれば良いのでしょう。
しかし、プーチン大統領の言い分の理解と暴挙への理解は違うのです。
ウクライナはNATO加盟国ではありませんが、ロシアの苛立ちがウクライナを戦場にし、ウクライナ国民に犠牲を背負わせています。
武器を含めた援助や各種制裁も大切ですが、ウクライナの平和と安全を保障する為、米国と欧州がロシアとの交渉の前面に直接出て、NATOとロシアの相互譲歩の交渉・合意は出来なかったのでしょうか。
ゼレンスキー大統領の姿勢、ウクライナ国民のけな気さが心を打つだけに、国際社会の冷徹な現実を感じます。
日本は世界三位の経済大国であり、日米安保条約による米国の同盟国ですが、それでも米バイデン大統領の今回の発言や米国世論を見ると、どうでしょう。
防衛力増強や核の共同管理(米国の核の国内配備と共同運用)について、観念的・感情的に主張、反対する前に、まず安穏な日常を当り前とせず、冷徹な国際社会のなかで祖国・日本がどうあるべきかの国民的議論の時だと思うのです。
揺らぐ自公連立 その裏で岸田首相の政敵・菅氏と創価学会とのパイプ復活
自民党と公明党の連立が大きく揺らぎ始めた。公明党の山口那津男・代表が2月6日放送のBSテレ東の報道番組で、夏の参院選での自公選挙協力について、「(自民党に)相互推薦をお願いしたが、現にない以上、自力で勝てるようにやらざるを得ない」と岸田自民に“最後通牒”を突きつけたのだ。
支持母体の創価学会も足並みを揃えている。創価学会は1月27日に国政選挙や地方選挙の方針を決める中央社会協議会を開催し、選挙の支援方針は「人物本位」で選び、「今後より一層、党派を問わず見極める」ことを申し合わせたことが報じられた。これからは自民党以外の候補者を支援することもあり得るという大きな方針転換だ。
学会の政治担当が“現場復帰”
さる2月5日、朝日新聞に小さな訂正記事が掲載された。
〈4日付総合4面「『相互推薦』自公あつれき」の記事で、創価学会の「佐藤浩元副会長」とあるのは「佐藤浩副会長」の誤りでした。佐藤氏は昨年学会職員を定年で退いた後も、引き続き副会長を務めています。確認が不十分でした〉
創価学会に朝日新聞が掲載した訂正文について聞くと、「事実と違うため指摘しました」(広報室)と回答。佐藤氏が現在も「副会長」という肩書きを持っていることに対しては「法人職員の退職と組織役職は無関係です」と答えた。
佐藤氏といえば、創価学会の政治担当責任者として安倍晋三・菅義偉両政権に太いパイプを持っていたことで知られる。特に菅氏とは官房長官時代から政治懸案があると水面下で交渉にあたったとされる人物だ。安保法制などタカ派路線の安倍政権時代に「平和と福祉」を掲げる公明党・創価学会との関係がうまくいっていたのは、「菅・佐藤の“ホットライン”で事前に入念にすりあわせしていたからだ」(官邸関係者)と言われる。
だが最近、佐藤氏の引退説が流れていた。『宗教問題』編集長の小川寛大氏が語る。
「佐藤氏が昨年2月に学会本部職員を定年退職したとき、引退との見方が流れた。公明党の遠山清彦・前代議士(貸金業法違反で起訴)がコロナ禍の銀座通いを批判されて議員辞職したタイミングだったため、学会の政治担当としてケジメをつけたのではないかと見られたわけです。だから朝日も『元』副会長と勘違いしたのでしょう」
しかし、佐藤氏は引退していなかったという。
「昨年10月の総選挙で、創価学会には選挙を仕切ることができる人材が少ないので、定年退職していた佐藤氏が力を必要とされて“現場復帰”した。佐藤氏の活躍で公明党は久しぶりに700万票を獲得した」(同前)
朝日の「元副会長ではなく現在も副会長」という訂正記事は、佐藤氏が創価学会内部で依然力を持っていることを内外に示す効果があった。
その佐藤氏の“現場復帰”に合わせたようなタイミングで自公関係が悪化したのは偶然だろうか。菅氏の側近の証言は重要だ。
「菅さんが総理の間は、佐藤副会長とはほとんど連絡を取っていなかった。官房長官と副会長なら釣り合うが、トップの総理と副会長が親しくし過ぎると、佐藤氏が創価学会内部でにらまれて立場が悪くなりかねないという配慮もあった。しかし、菅さんが総理を辞めてからは以前のように連絡を取り合っているようで、最近は創価学会の話をよくするようになった」
佐藤氏は菅氏とのパイプも復活していたというのである。
そこに自公の選挙協力問題が持ち上がり、公明党・創価学会が菅氏の政敵の岸田自民に“選挙協力破棄”を突きつけた。
岸田首相の政治路線は「ハト派リベラル」とされ、政策的には公明党と親和性が高いはずだが、岸田政権には公明・創価学会指導部との人脈がほとんどないとされる。そのことが、公明党を制御できない政治的弱点だ。政治ジャーナリスト・野上忠興氏が指摘する。
「安倍・菅政権時代は、官邸では菅氏が創価学会とパイプを持ち、党では当時の二階俊博・幹事長が公明党と良好な人間関係を築いていた。しかし、岸田首相には学会中枢とのパイプがないし、茂木幹事長も公明党との関係が良くない。ホットラインがないから重要な選挙協力をまとめられない。
岸田政権はハト派とはいえ、これから憲法改正や自衛隊の敵基地攻撃能力保有問題など創価学会にとってナーバスなテーマに取り組まなければならない。
公明党にすれば、政権中枢に人脈的なしがらみがない分、安保政策では本来の平和主義の主張を声高に叫んで野党的な立場に回り、岸田首相を攻めることができる。そのほうが学会員にアピールでき、選挙で票も取れるという計算がある。岸田氏に引きずり下ろされた菅氏も、公明党が岸田政権を揺さぶってくれるのは都合がいい」
公明党が菅氏と手を組んで連立にいながら“岸田野党”の立場を鮮明にしているとの見方だ。
※週刊ポスト2022年3月11日号
自公協力に亀裂、公明党は自民に長年の不満「我々は使い走りではない」の思いも
感染第6波の出口が未だ見えない中、国政では自民党と公明党の連立が大きく揺らぎ始めた。公明党の山口那津男・代表が2月6日放送のBSテレ東の報道番組で、夏の参院選での自公選挙協力について、「(自民党に)相互推薦をお願いしたが、現にない以上、自力で勝てるようにやらざるを得ない」と岸田自民に“最後通牒”を突きつけたのだ。
支持母体の創価学会も足並みを揃えている。創価学会は1月27日に国政選挙や地方選挙の方針を決める中央社会協議会を開催し、選挙の支援方針は「人物本位」で選び、「今後より一層、党派を問わず見極める」ことを申し合わせたことが報じられた。自公両党は小渕恵三内閣の1999年に連立を組んで以来、野党時代を含めてこれまで23年間、国政選挙で選挙協力をしてきたが、これからは自民党以外の候補者を支援することもあり得るという大きな方針転換だ。
そうなると、自民党の政権基盤が揺らぐ。政治ジャーナリスト・野上忠興氏が指摘する。
「公明党・創価学会が選挙で自民党に票を出して当選を支援し、代わりに自民党は公明党に大臣や副大臣、政務官ポストを与えて国政に参加させる。それが自公連立の根幹をなしている構造です。選挙協力が白紙になれば連立の基盤そのものが危うくなるのは間違いない」
まさに自公の“熟年離婚危機”と言っていい。発端は今夏の参院選をめぐる自公協議が“破談”になったことだ。前々回の2013年参院選以来、公明党が候補者を立てない1人区(32県)で自民党候補を支援する見返りに、自公の候補がぶつかる埼玉、神奈川、愛知、兵庫、福岡の5選挙区では互いの候補を推薦し合う「相互推薦」という仕組みをとってきた。
しかし、前回参院選は相互推薦の結果、兵庫では自民候補の票が公明党に食われて最下位当選となったことから、自民党の地方組織が抵抗して協議が難航し、茂木敏充・自民党幹事長は「上(党本部)から言うことを聞けという形は取りにくい」と協定を結ばない可能性に言及した。これに公明・学会サイドが怒った。
公明党の強硬姿勢に驚いた岸田文雄・首相は事態収拾のため2月8日に官邸で山口氏と会談したが、山口氏は会談後、相互推薦見送りの方針は「繰り返し述べてきた通り、変わらない」と断言。
元公明党副委員長の二見伸明・元運輸相は「公明党や創価学会には長年の不満がある」と語る。
「自民党の中には、公明党を低く見る議員がいる。特に、安倍政権の高支持率を追い風に当選してきた4回生以下は公明党・創価学会の支援は当たり前と思っているんでしょう。それに対して公明党には『我々は使い走りではない』という思いがあるはずです。
また、ここに来て政界では自民党が日本維新の会や予算案に賛成した国民民主党と連立に動くのではないかという観測が強まっている。そんな動きを公明党は『どうぞ』とは言えない。維新や国民民主には創価学会のような票はありません。自民党がそのつもりなら、公明党・創価学会はこれまでどれだけ自民党に票を与えてきたか、この機会に力を示して思い知らせようということでしょう」
※週刊ポスト2022年3月11日号