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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

自民党の重鎮・野中広務が遺した言葉

2025-05-01

「票にもカネにもならぬ仕事に…」元宝塚市長の中川智子が明かす、自民党の重鎮・野中広務が遺した言葉

その夜、私の議員宿舎のドアポケットに、お菓子の袋と「困ったことがあったら何でも相談しなさい」と携帯番号を書いたメモが入っていました。

 それから被災者生活再建支援法や、ハンセン病患者の国家賠償訴訟などで相談するたび、親身になって力を貸してくださいました。理由を尋ねると、こう言われました。

「君は、票にもお金にもならない仕事に取り組んでいる。光の当たらない人に手を差し伸べるのが政治家だ。君の応援をしたら、僕もいい仕事ができたと思えるんだよ」


野中広務 ©文藝春秋 © 文春オンライン

岸信介が獄中でみせていた“意外な姿”

2025-05-01
敗戦の衝撃に私の兄が「国が負けた以上、生きていてもしかたがない。潔く死にたい」と申したことがあります。その時、普段は穏やかな父が声を荒げて、「死んでしまった方が楽でもあろう。しかし、生かされてここにある以上、どんな状況をも生き抜いて、生きたものとしての務めを果たすべきではないか」と叱責したことがございました。 
岸信介 ©文藝春秋 © 文春オンライン

父の遺品に、手のひらに乗る蓋つきの小箱がございます。一見、陶器で出来た、お茶入れのように見えますが、実はみかんの皮で作られたもの。底に「信介作 鴨獄」とありますように、父が自らの手で、監視の目を盗んで、巣鴨の獄にて作ったものです。

 なんでも散歩の時間に、庭の片隅でガラスの破片を見つけ、こっそりと房へ、持ち帰ったのだとか。それを刀の代わりにして、食事に出されたみかんを細工したのだと聞いております。

 まず、ヘタから1センチほど下を水平に切り、内側を綺麗にくり抜く。次に紙をちぎって水に浸したものを幾重にも貼り付けていったそうです。食事の際、ご飯粒を少しずつ残して、それを練り潰したものを糊にしまして。

『忘れてはいけない事、伝えなくてはいけない事もある』

2023-02-15
facebook 北原照久さん曰く
1940年に作られた幻の東京オリンピックの戦車です。
今日の言葉は『忘れてはいけない事、伝えなくてはいけない事もある』 
1940年に作られた幻の東京オリンピックの戦車です。
今日の言葉は 『忘れてはいけない事、伝えなくてはいけない事もある』 このおもちゃができた時代は、戦車にオリンピックのマークを入れても不思議ではなかったのですね。そんな時代が二度と来ないように、世界中に戦争のない時代が来ることを祈りたいです。
【Youtube北原コレクションチャンネルVol.169】でご紹介しています。ぜひ合わせてご覧ください。

『君が為 唯一筋に 空を征く 心の笑顔 誰か知るらむ』

2023-02-11
facebook 北原照久さん曰く
戦時中の広告です。
今日は17歳の特攻隊員の言葉『君が為 唯一筋に 空を征く 心の笑顔 誰か知るらむ』 
戦時中の広告です。
君が為というのは日本のこと、親兄弟など、愛する誰かのことを指していると思います。
そして二度と帰れないけれど、心は笑顔だという気持ちを詩にしたのですね。講演で鹿児島の知覧に行くたびに、今生きているということではなく、生かされていると再認識させられます。
このことを若い世代の人たちに伝えていきたいですね。
まだ知覧に行かれたことのない人は、一度訪れるといいですよ。

こうも次々だと・・・・。

2022-10-06
2022.10.06、『読売新聞』朝刊
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