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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

映画『アンネ・フランクと旅する日記』

2022-02-16
3.11公開 映画『アンネ・フランクと旅する日記』予告編

 とは?
 が日記書いてから
2022年で80周年
出版されてから75周年

「遅すぎることはなかった ~オランダ・戦後75年の補償~」

2022-02-16
JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス

ナチス・ドイツの占領下にあったオランダのベステルボルク通過収容所。
今年1月、この収容所から移送されて亡くなったユダヤ人ら10万2000人、1人1人の名前を読み上げる追悼式が行われた。 
両親を亡くしたサロ・ムラーさん(84)は、ナチスから多額の資金をもらってユダヤ人の移送に協力しながらも責任を認めないオランダ鉄道を許すことができなかった。謝罪と補償を求めてたった一人で国営企業に立ち向かった。 
戦後75年となった今年1月、オランダのルッテ首相は、当時のオランダ政府がナチスからユダヤ人を守らなかった「加害の歴史」を認めて、オランダ政府として初めて謝罪した。
オランダでは第2次世界大戦中に約14万人のユダヤ人が暮らしていたが、そのうちの75%近くがナチスとオランダ人協力者によって虐殺されていたのだ。 
戦争体験者の多くが亡くなり、風化が進むなか、私達は過去の過ちとどう向き合うのか。
オランダの「戦後補償」を取材した。 
制作:TBSテレビ ディレクター:西村匡史

アウシュビッツ 死者たちの告白

2022-02-15

アナザーストーリーズ「立花隆vs田中角栄」20220208

2022-02-14

英雄たちの選択 昭和の選択スペシャル「1941 日本はなぜ開戦したのか」

2022-02-14
英雄たちの選択 昭和の選択スペシャル「1941 日本はなぜ開戦したのか」part1 20211208
英雄たちの選択 昭和の選択スペシャル「1941 日本はなぜ開戦したのか」part2 20211208

闘いの転機(戦いの前と後)

トリニティサイト(トリニティ実験)

2022-02-19
ハイスピードカメラによって撮影された、ガジェットの爆発から0.016秒後の火球(サイズは約200m幅)。地平線に沿った黒点は樹木。 (バーリン・ブリクスナー撮影)

トリニティ実験(トリニティじっけん、英語: Trinity)とは、1945年7月16日アメリカ合衆国で行なわれた人類最初の核実験である。

この実験はアメリカ・ニューメキシコ州ソコロの南東48km(北緯33.675度、西経106.475度)の地点で行なわれた。実験場は現在ではアラモゴードに本部を持つアメリカ陸軍ホワイトサンズ・ミサイル実験場の一部となっている。トリニティ実験は爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、同型の爆弾『ファットマン』が、後に日本長崎県長崎市投下された。この実験による核爆発は、約20ktTNTの爆発と同規模のもので、この核実験を以ってしばしば「核の時代」の幕開けとされる。

トリニティ実験の跡地に立つ記念碑
トリニティ記憶

界初の核爆発は1945年7月16日、ジョルナダ・デル・ムエルトとして知られるアラモゴルド爆撃山脈の不毛な平原にあるロスアラモスの南210マイルに位置する場所でプルトニウム爆発装置がテストされた時に起こった。トリニティ試験の成功は、プルトニウムを使用した原子爆弾が米軍によって使用される準備ができることを意味しました。


1945年7月16日、5時29分45分、.m「千の太陽より明るい」光が谷を埋め尽くしました。今ではおなじみのキノコ雲が空に上がるにつれて、オッペンハイマーはヒンズー教の聖典、バガヴァッド・ギータから「今、私は死、世界の駆逐艦になる」と引用しました。世界は核時代に入っていた。

テスト直後、シャーマンM-4戦車は、独自の空気供給を装備し、鉛の2インチが並んで、サイトを探索するために出て行きました。鉛の裏地はタンクの重量に12トンを加えたが、地上ゼロでの放射線レベルから乗員を保護するために必要であった。タンクの乗客は、100フィートの鉄塔が事実上消え、4本の脚の金属とコンクリートの切り株だけが残っていることを発見しました。周囲の地面ゼロは、約2,400フィートのクレーターで、深さ約10フィートの場所でした。塔の周りの砂漠の砂は、爆風の激しい熱によって、現在はトリニテとして知られているヒスイ色のガラスに融合していました。


ファットマン(英語: Fat Man、「太った男」の意味)は、第二次世界大戦末期にアメリカ合衆国で開発された原子爆弾である。

ファットマン英語: Fat Man、「太った男」の意味)は、第二次世界大戦末期にアメリカ合衆国で開発された原子爆弾である。

アメリカ軍の分類番号はMk.3であり、大戦後も製造が継続された。人類史上初の核実験であるトリニティ実験に使用されたガジェットとほぼ同型。

ファットマンはマンハッタン計画の一部としてロスアラモス国立研究所で作られた核兵器である。リトルボーイ(Mark 1)が高濃縮ウランを用いたガンバレル型の原子爆弾であるのに対して、ファットマンはプルトニウムを用いたインプロージョン方式の原子爆弾である。

1945年8月9日に実戦使用されており、長崎県長崎市の北部(現在の松山町)の上空550メートルで炸裂した。長崎市への原子爆弾投下を行ったのは、B-29ボックスカー(機長:チャールズ・スウィーニー少佐)である。爆弾の威力は8月6日広島県広島市投下されたリトルボーイより若干威力が高いが、長崎市は起伏に富んだ地形で、平坦な広島市に比べて威力が減殺された。破壊の度合いは広島市に比べると小さいものの、死者約7万3,900人、負傷者約7万4,900人、被害面積6.7 km2、全焼全壊計約1万2,900棟という甚大な被害をもたらした。核出力TNT換算で、21キロトン(不確かさは10%)、すなわち 8.8×1013 J = 88 テラジュールである。

第二次世界大戦終結後も製造が続けられ、Mark 2(ThinMan) というガンバレル型プルトニウム型爆弾は開発中止され、インプロージョン型原爆であるファットマンへと移行し、1940年代のアメリカ軍の核戦力を担った。

長崎市に投下された原爆とキノコ雲
ファットマンのモックアップ
長崎市に投下された原爆のキノコ雲
長崎市への原子爆弾投下

長崎市への原子爆弾投下(ながさきしへのげんしばくだんとうか)は、第二次世界大戦太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月9日(木曜日)午前11時02分に、連合国アメリカ合衆国枢軸国日本長崎に対して原子爆弾ファットマン」(以下原爆と記す)を投下した出来事であり、この原子爆弾が人類史上において2回目かつ実戦で使用された最後の核兵器である。

原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊した。。

長崎県、長崎市を指す「長崎」が「ナガサキ」と片仮名表記される場合は、長崎市への原子爆弾投下に関する言及である。原爆は一瞬にして地獄とした。

ファットマンの尾翼には開発者達のサインが書かれていた

空自小松F-15墜落事故、操縦士2名の遺体収容

2022-02-14
空自小松F-15墜落事故、操縦士2名の遺体収容

Facebook Shinya Kojimaさん曰く


空自小松F-15墜落事故、操縦士2名の遺体収容
機体の回収・引揚作業は継続
航空幕僚監部は2月14日、1月31日に発生した小松基地航空戦術教導団飛行教導群所属のF-15戦闘機墜落事故について、操縦者2名の遺体を収容・確認したと発表した。
 空幕によれば、2名の操縦者のうち1名は2月11日に、もう1名は2月13日にそれぞれ発見・収容し、小松基地に搬送した上で墜落機の操縦者であることを確認したという。
(航空新聞社)
※画像は墜落したF-15と同型機。2020年撮影。

B-52 Stratofortress Scramble

2022-02-11
Spectacular Start MIG -29
スクランブル発進!/JASDF F-4EJ(mod) Scramble Demo.
ファントムからイーグルへ! 航空自衛隊千歳基地 当時ニュース
“北の空”守るF15戦闘機 緊迫の最前線に密着(14/12/31)
速報!!! リアルスクランブル 小松基地航空祭 領空侵犯対応緊急発進 アフターバーナー離陸

防空のプライド高く 搭乗の田中1等空佐、52歳「現役最年長」精鋭に何が

2022-02-11
墜落したとみられる虎柄の機体とともに、月刊北國アクタスの写真に納まる田中1佐=昨年12月、航空自衛隊小松基地
小松基地F15戦闘機 墜落事故から1週間 捜索続く 2022.2.7放送

防衛省「墜落」と判断 小松基地のF15戦闘機不明(2022年2月11日)


航空自衛隊小松基地に所属するF15戦闘機が墜落してから10日。
今なお、パイロット2人の行方は分かっていません。
F15戦闘機は離陸からわずか数分後に消息を絶ちました。
精鋭部隊に所属し、豊富な飛行経験を持つパイロットがなぜ墜落に至ったのか。航空自衛隊の元空将に考えられる事故原因を詳しく聞きました。 
航空自衛隊小松基地のF15戦闘機が墜落してから1週間以上が経過しました。 
搭乗していた2人のパイロットの行方は、今なお、分かっていません。 
1月31日、午後5時半ごろ、小松基地を離陸した数分後、F15戦闘機は、消息を絶ちました。
この間、何が起きていたのか。 
元パイロットの証言から、F15戦闘機墜落の原因に迫りました。 
行方が分からなくなっている機体は、小松基地・飛行教導群、通称「アグレッサー部隊」に所属するF15戦闘機でした。 
1年を通じて全国の戦闘機部隊などを回って「敵役」を演じ、関係部隊の指導も任務とする精 鋭部隊です。
敵・味方の区別をしやすくするため、独特な塗装が施され、今回、行方不明となっ ている機体はトラ柄でした。 
1月31日、夕方5時30分ごろ、F15戦闘機は、小松基地を離陸しました。
しかし、わずか数分後、機体は小松基地の西北西5キロの海上で、レーダーから消えました。 
管制官は、オレンジ色の光を確認し、当該機に無線で呼び掛けましたが、応答はありませんでした。
異常を知らせる救難信号も出ていませんでした。 
そして、付近の住民が、海から上がる火柱や、煙を目撃していました。 
元航空自衛隊の空将で、小松基地の飛行群司令も務めた永岩俊道さん。
パイロットとして30年以上の経験があり、飛行時間は4000時間にも及びます。
管制官が目撃したオレンジ色の光について、考えられることを聞きました。 
永岩さんは、ベテランのパイロットが交信なく、墜落に至っていることから、事故原因の可能性の一つに、バーティゴ、「空間識失調」を挙げます。 
空間識失調とは、パイロットが、操縦している航空機の姿勢や位置、方向・回転などを客観的に把握できなくなった状態を指します。 
2019年4月、航空自衛隊三沢基地のステルス戦闘機、F35Aが青森県沖に墜落した事故が起きました。
この事故について、航空自衛隊は、パイロットが「空間識失調」に陥ったことが原因とする調査結果をまとめています。 
今回のF15戦闘機が、離陸するときの映像を永岩さんに見てもらいましたが、映像で見える範囲では異常は見当たらないと言います。 
機体に鳥が衝突する「バードストライク」や、エンジンの故障の可能性について、永岩さんに聞きましたが、その可能性は低いと指摘します。 
永岩さんは、航空機の事故は、複数のヒューマンエラーが重なったときに起きると指摘し、あらゆる角度から、事故の原因を究明し、再発防止を図ることが大切になると話します。

[小松☆最高] 何度見ても凄すぎる!!!

2022-02-11
飛行教導群アグレッサーによるデモフライト 小松基地航空祭
永遠のアグレッサー虎柄タッチ&ゴ―
アグレッサーが小松基地の闇夜を切り裂く JASDF (Aggressor squadron) McDonnell Douglas F-15DJ Eagle
2018小松基地航空祭・飛行教導群機動飛行&大編隊飛行

データベース(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)

「しかたなかったと言うてはいかんのです」

2021-09-05

「生体解剖事件」戦犯となった医師の悔い

2021-09-05
拡大 晩年の鳥巣太郎さん(熊野以素さん提供)

1945年5~6月、九州帝国大医学部で、熊本、大分両県境に墜落し捕虜となった米軍機B29搭乗員8人に、外科医らが西部軍立ち会いの下で実験手術を施し、全員を死亡させた。片肺を切除しても生きられるか、海水は代用血液として有効か、などの確認が目的だったとされる。執刀した外科教授は独房で自殺。48年の横浜軍事裁判で軍関係者9人と九大関係者14人が絞首刑や終身刑などの有罪判決を受けた。50年に恩赦で減刑され、死刑になった者はいない

九州大学生体解剖事件!米兵捕虜8人を実験台に!?

2021-09-05
九州大学生体解剖事件をモチーフにした映画『海と毒薬』の手術シーン 画像:マイシネマ

生体解剖

2020-09-29
Facebook佐々木信雄さんの投稿

 

『Get Back! 40's / 1948年(s23)』
(米軍捕虜生体解剖事件)
○3.11 [神奈川] 横浜軍事裁判所で、九州大学生体解剖事件の軍事裁判が始まる。(1945.5 米軍捕虜8人に対して行われた生体実験殺人)
 戦争末期の1945年5月、撃墜された米軍のB-29爆撃機が九州阿蘇山中に墜落し、生存搭乗員9名が捕虜となった。指令部からは、尋問のため機長だけ東京に送り、後は各軍司令部で処理すべしという指令が出され、西部軍司令部は裁判をせずに、残された8名を死刑と決定した。これを知った九州帝国大学卒で病院詰見習士官の小森卓軍医と石山福二郎主任外科部長(教授)は、生体解剖に供することを軍に提案し認められた。
 生体解剖は1945年5月17日から6月2日にかけて行われ、軍から監視要員が派遣され、指揮および執刀は石山教授が行った。終戦後GHQが事件について詳しく調査し、九州大学関係者14人、西部軍関係者11人が逮捕された。首謀者の一人とされた石山教授は、生体解剖については否認したうえ、調査中に独房で遺書を書き記し自殺し、小森卓軍医は空襲のため死亡している。
 1948年8月に横浜軍事法廷で、西部軍責任者2名、九大医師3名が絞首刑とされ、立ち会った医師18人が有罪となった。これらの手術が銃殺刑の代わりの、生存を考慮しない生体実験手術であることは、立ち会った関係者の目には明らかであった。後に作家遠藤周作は小説『海と毒薬』を著し、不可避的に立ち会わされた医学生や看護婦の目を通して、危機的状況の下では、惰性に流されて倫理感を喪失してしまう日本人の性質を描き出している。
*この年
郵便料金・鉄道・新聞など倍々値上げ/女性のロングスカート、男性のアロハシャツやリーゼントヘアが流行/日本脳炎で死者2620人
【事物】国民の祝日/新制大学/ナイター/110番/プロ競輪
【流行語】老いらくの恋/鉄のカーテン/〜個人として(西尾末広の答弁)
【歌】異国の丘(竹山逸郎・中井耕造)
【映画】酔いどれ天使(黒沢明)/夜の女たち(溝口健二)/美女と野獣(仏)
【本】自由国民社「現代用語の基礎知識」/「美しい暮らしの手帖」創刊/竹山道雄「ビルマの竪琴」

A級戦犯の遺骨「太平洋に散布」

2021-06-09
A級戦犯 遺骨の行方に遺族は|TBS NEWS
米公文書を発見 時事通信社 2021/06/09 17:56

極東軍事裁判でA級戦犯とされ死刑が執行された東条英機元首相ら7人について、遺骨を太平洋に散布したと記した米軍の公文書が発見されていたことが、9日までに分かった。A級戦犯の遺骨が散布された可能性を示す記録はこれまでにも見つかっていたが、公文書で詳細が明らかになったのは初めて。 発見されたのは米軍の報告書2通で、秘密指定の解除後、米公文書館で保管されていた。日本大の高沢弘明専任講師が2018年3月、日本の戦犯に関する調査の過程で入手した。 死刑が執行された1948年12月23日付の報告書には、7人の氏名と共に、散骨を行ったことが短く記載されていた。49年1月4日付のもう1通では、執行から散骨までの経緯が時系列で説明されている。いずれも、現場の責任者だったとみられる米第8軍のルーサー・フライアーソン少佐が執筆した。 報告書によると、死刑執行の当日、少佐らは7人の遺体を巣鴨拘置所から横浜の火葬場に護送。遺骨は骨つぼに入れて第8軍の飛行場に搬送し、「連絡機」と呼ばれる航空機に積んだ。 連絡機には少佐と操縦士が乗り、「横浜の東の太平洋上空約30マイルの地点に進み、GHQ(連合国軍総司令部)の書簡に従って遺骨を広範囲に散布した」という。 高沢氏によると、GHQは死刑執行前に遺骨の散布を求める文書を出していた。報告書には、遺骨を遺族らに返還せず散布した理由は記されていなかった。 高沢氏は「これまで伝聞でしか情報がなかったことが公文書で判明した。執筆者本人のサインもあり、信ぴょう性は高い」と話している。


これまで謎とされてきたA級戦犯7人の遺骨の行方。アメリカで新たに見つかった公文書に「太平洋にまいた」と記されていたことがわかりました。73年目の新事実に遺族が語ったこととは・・・。
 「SECRET」と大きく書かれた公文書。その下には7人の日本人の名前が書かれています。タイトルは「日本の戦争犯罪者7人の死刑執行に関する事実」。これは、アメリカの国立公文書館で見つかった、A級戦犯の遺骨を巡る公文書です。
 第2次世界大戦後の極東国際軍事裁判、いわゆる「東京裁判」。平和に対する罪などで死刑判決となったのは東條英機元総理や廣田弘毅元総理ら7人のA級戦犯です。これまで、遺骨は遺族に返還されず、どのように処理されたのか、詳細は分かっていませんでした。
 今回見つかった文書には、このような記述があります。
 「遺骨は横浜の東、約30マイル(約50キロ)の太平洋上から広範囲にまいた」
 今回、この文書を発見した日本大学の高澤氏は。
 「(これまで)証言レベルで東京湾とか太平洋と理解されていたんじゃないか。文書として出てきたのは今回が初めてではないか。遺骨が後々、神聖視されないように扱われたのではないかと」(日本大学生産工学部 高澤弘明専任講師)
 「けさ、見ました。うれしいとか悲しいとか悔しいという感情は特にありません」(廣田元首相の孫 廣田弘太郎さん)
 廣田弘太郎さん(82)。死刑となった一人、廣田元総理の孫です。
 「お墓があるんですが、そこには遺髪や何かが入れてあります。実際にはもう滅失してしまって、でもそれが遺灰だと思っています」(廣田元首相の孫 廣田弘太郎さん)
 祖父の遺骨の扱いを記した文書が今回見つかったことについては・・・。
 「記録は廃棄したりしないでとってあったことはいいことだと思います。東京裁判というものについて、ああいう裁判が正しかったのかということについては、まだまだ議論すべきところが残っていると思っています」(廣田元首相の孫 廣田弘太郎さん)

日本国自衛隊

*1960.1.19

2022-05-10
「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」が締結される。

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1960(s35)年】-1
◎日米新安保条約(60年安保)
*1960.1.19/ ワシントンで「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」が締結される。
*1960.5.19/ 19日、社会党議員を強制排除して始まった衆議院本会議は、20日午前零時過ぎに、自民党単独で新安保条約を衆議院可決。
*1960.6.10/ アイゼンハワー大統領来日の事前打ち合わせに来たハガチー大統領補佐官は、羽田空港でデモ隊に包囲され、米軍ヘリコプターで脱出。
*1960.6.15/ 安保阻止実力行使に全国で580万人(主催者側発表)が参加、全学連主流派が国会構内に突入、警官隊と衝突し東大生樺美智子が死亡する。
*1960.6.19/ 33万人のデモ隊が国会を包囲するなか、午前零時、新安保条約が自然成立する。
 1960(s35)年6月15日、安保阻止最大のデモで、全学連主流派が国会に突入し、防衛する警察機動隊・右翼団体・暴力団等と衝突、この混乱のさ中で東大生樺美智子が圧死する事故が起った。その数日後の6月19日、安保条約は参議院の議決のないまま自然成立する。10万規模のデモを官邸から見下ろした岸首相は「となりの後楽園球場には平和な民衆が5万と居る」とつぶやいたとか。
 1951(s26)年のサンフランシスコ講和条約の成立(日本主権回復)と同時に、吉田首相が単独で署名した旧日米安保条約は、日本に片務的で臨時的なものであった。日本の主権回復とともに駐留軍が撤退するため、日本の軍事的空白を防ぐために、引き続き米軍の駐留を認める必要があった。ただしそれは、米国の「駐留権」を認めるという形で、日本の防衛や駐留自体は、もっぱら米国の都合次第という条約であった。
 岸信介は、1957(s32)年2月、病に倒れた石橋湛山首相の後継に指名され、石橋内閣を引き継ぐと、1958(s33)年5月の総選挙で政権としての信任を得て、第2次岸内閣を組閣する。選挙を経て自信を得た岸首相は、アジア重視の自主外交を進めながら、一方で対米尊重の基本枠は譲らず、日米安保条約の改定に向けて、着々と条件を整えていった。
 1960(s35)年1月に、岸首相以下全権団が訪米し、アイゼンハワー大統領と合意し、1月19日、新安保条約の調印にこぎつけた。ワシントンで「新安保条約」に署名するが、その発効には国会の承認が必要であり、岸訪米団が帰国してから、本格的な反対運動が起こる。
 新条約の承認を巡る国会審議では、安保廃棄を掲げる日本社会党が徹底抵抗の姿勢を示し紛糾した。また国会外では、社会党や共産党が指導する労働者団体だけでなく、社会党や共産党の既存革新政党を批判する急進派学生らにより、「共産主義者同盟(ブント)」が結成され、ブントの主導する「全日本学生自治会総連合(全学連)」主流派が、総力を上げて反安保闘争を展開した。
 1960(s35)年5月19日、衆議院日米安全保障条約等特別委員会で新条約案が強行採決され、続いて5月20日未明に衆議院本会議を通過した。委員会採決では、自民党は座り込みをする社会党議員を排除するため、右翼などから屈強な男たちを動員し、警官隊と共に社会党議員を追い出しての採決であった。本会議は、翌20日に日付が変わったころ、自民党議員だけで議決された。
 この強行採決の模様がテレビニュース等で流されると、一般市民の間にも反対の運動が高まり、国会議事堂の周囲は連日デモ隊で取り囲まれた。参議院での議決が為されない場合、新安保が自然承認される6月19日には、アイゼンハワー大統領訪日が予定されており、6月10日にその日程調整に来日したハガチー大統領報道官は、羽田空港を出たところでデモ隊に包囲され、アメリカ海兵隊のヘリコプターで救出されるという事件が発生した(ハガチー事件)。
 過激な全学連は国会突入戦術を推進していたが、社会党は傘下の組合の時限ストやデモを組織しつつ、全学連の強硬路線には静観的な立場を取り、共産党は「極左冒険主義の全学連(トロツキスト=分派主義)」と批判した。一方、当のブント全学連は、既成政党の穏健デモを「お焼香デモ」と非難した。
 そして6月15日、安保改定阻止国民会議の呼びかけで、全国各地で560万人が集い、各地で大規模な集会やデモが実施された。国会前でも、暴力団と右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの負傷者を出すなどするなか、全学連主流派が指揮するデモ隊が国会内に突入、機動隊と激しく衝突する。そのさなかで、デモに参加していた東京大学学生の樺美智子が圧死した。
 新安保条約は、衆議院議決1ヵ月後の6月19日、参議院の議決がないままに自然成立した。またアイゼンハワーの来日は延期(実質上の中止)となった。そして岸内閣は、混乱の責任をとる形で、新安保条約の批准書交換の日である6月23日、総辞職を表明した。これらにより、安保反対運動は急速に沈静してゆく。
(この年の出来事)
*1960.3.28/ 1.5無期限ストに突入していた三井三池炭鉱は、ロックアウト解除をめぐって第1と第2組合で衝突、さらに泥沼化する。
*1960.5.16/ 慶応幼稚舎2年生の男の子が誘拐され、19日に死体で発見される。(正樹ちゃん誘拐事件)
*1960.8.25/ 第17回オリンピック・ローマ大会が開催される。 
*1960.11.8/ 米大統領選挙で、ジョン・F・ケネディが当選する。

共同訓練を実施しました。

2022-05-27
5月24日~25日、護衛艦 #てるづき関東南方において、米海軍 #ロナルドレーガン #アンティータム 及び #ベンフォールドと共同訓練を実施しました。
海上自衛隊は本訓練を通じて日米同盟の抑止力・対処力を強化するとともに海上自衛隊の戦術技量及び米海軍との相互運用性の向上を図りました。

日米の第5世代戦闘機 #F35A 同士が初の対戦闘機戦闘訓練を実施

2022-03-15
3月10日、日米の第5世代戦闘機 #F35A 同士が初の対戦闘機戦闘訓練を実施
#航空自衛隊 のF-35Aは、2018年に三沢基地に配備されて以降、訓練を着実に積み重ねてきました。
本訓練によって、進化する #日米同盟 の姿と両国の揺るぎない絆を示しました!

無人偵察機「グローバルホーク」の第1号機

2022-03-15
3月12日、三沢基地に、
#航空自衛隊 が運用する無人偵察機「グローバルホーク」の第1号機が
納入されました。
民間機の飛行しない高高度に長時間滞空して情報収集に当たり、
我が国のインテリジェンス向上に大きく寄与します。
厳しい軍事情勢の中、警戒態勢を一層強化していきます。
#防衛省・自衛隊

自衛隊の装備品等を米軍機によりウクライナに届ける準備を進めています。

2022-03-17
ウクライナに届ける #自衛隊 の防弾チョッキやヘルメット等を載せた米軍機C-17が、
横田基地を出発する予定です。
日米は強固に連携し、ウクライナを応援します。
3月16日 #防衛省・自衛隊 は、在日米軍横田基地において #鬼木防衛副大臣 、エマニュエル駐日米国大使@USAmbJapan 、セメニューク駐日ウクライナ大使館@UKRinJPN公使参事官が見守る中、自衛隊の装備品等を米軍機によりウクライナに届ける準備を進めています。 #日米同盟
国際秩序の根幹を揺るがす今回のロシアによるウクライナ侵略は我が国の安全保障の観点からも、決して看過できません。今回の米軍機による輸送は、この事態に対し、日米両国が、#日米同盟 の下、国際社会と結束して毅然と行動していく決意を示すものです。#ウクライナのために #防衛省・自衛隊

闘いすんで 陽が暮れて・・・

硫黄島からの帰還です。

2022-02-09
Facebook 徳田 秀光さん曰く
 硫黄島から、英霊が77年ぶりに雨模様の中、自衛隊のc-130h輸送機でお帰りに成りました。埼玉県の入間基地で儀じょうにより出迎えました。
  この度、ご帰還された英霊は14柱。
帰路の自衛隊機には14人分の席を用意されました。
英霊にとっては77年ぶりのご帰還。
安らかに帰れるようにと自衛隊員達は隣の席の骨箱に、優しい手付きでシートベルトを着けました。 
 米軍の火炎放射器等で塞がれた地下壕で発見された英霊は、家族から届いた手紙の束を握りしめたままの方々もいます。
 『お父さんお元気ですか。僕も元気で毎日学校に行ってべんきょうしています…………』
 発見者は、涙が出て全てを読めなかったと報告書に記しています。

日本です。新婚旅行です。ディマジオがいっしょでした。

2021-11-11
Facebook Nostalgia&Rock'n’ Roll ノスタルジア・ロックンロールさん曰く
朝鮮戦線を慰問、日本での新婚旅行を中座して・・・。

マリリン・モンロー ジョー・ディマジオ来日(新婚旅行)の日程 

 

1954年(昭和29) 2月1日 午後5時35分 羽田着 

夫のジョー・ディマジオ サンディエゴ・パドレス監督の

フランク・オドウル氏らとともにオープンカーをつらねて帝国ホテルへ。

              

2月2日 記者会見

   ディマジオの為の記者会見だったが、質問はすべてマリリン

へのものだった。

 

2月8日 午後7時30分 板付着 

那珂川河畔の国際ホテル(現在の城山ホテル跡)へ

                     ホテルを500人あまりのファンが取り巻く。

マリリンは2階の窓辺に現れ、カーネーション の花びらを

ファンにばらまいて、投げキッスをふりまいた。

滞在中は、1人で、西戸崎へ米軍キャンプの慰問、

ドライブなどを楽しむ。

ディマジオ、オドウル監督らは、香椎球場で日本プロ野球選手の

技術指導を行う。

夕食はお忍びで、ホテルの通りをはさんだ向かいのレストラン

ロイヤル(旧花の木)で食事を楽しむが、店をファンに埋め尽くされる一幕も。

            

2月11日 午前9時10分 岩国市の米軍基地へ

                    ディマジオ・マリリン一行は、自動車で宮島の一茶苑に向かったが、

ファンが殺到しMPが出動する騒ぎだった。

            

2月14日 岩国から大阪へ

            

2月16日から19日まで

     マリリンは、朝鮮の国連軍慰問(10ヵ所以上の駐屯地を訪問)し、カゼを引く

     ディマジオは、大阪・奈良などを訪問し、野球指導を行う。

            

2月25日 午後2時7分 羽田からサンフランシスコへ帰国

ロイヤルのこの器は、今(2021年)でも、この形で、テーブルにサービスされています。

昭和天皇の御巡幸 戦後全国を御巡幸された陛下。

2021-11-25
Facebook 上野不二子 さん曰く、親しみやすい笑顔が印象的ですね。

真宗大谷派の取り組みについて

「全戦没者追弔法会」の和讃

2021-04-04
Facebookしんらん響流館さん曰く
1987年から「戦没者追弔会」に「全」と仏法の「法」という文字を加えて「全戦没者追弔法会」と名称を改め勤められています。

【4/2全戦没者追弔法会】

2021-04-04
Facebookしんらん交流館さん曰く
1987年から「戦没者追弔会」に「全」と仏法の「法」という文字を加えて「全戦没者追弔法会」と名称を改め勤められています。

尾畑文正先生の発言

2022-04-24
Facebook鈴木 君代さんの投稿です。

【春の法要ライブ配信】全戦没者追弔法会(4月2日10時10分~)

2021-04-02

全戦没者追弔法会 戦争でいのちを奪われた方々を憶念し、仏が願われた「兵弋無用(軍隊も武器もいらない)」の教えから、私たちの今を問い直す法要です。
 ◆法要 10時20分~ 
【法要次第】
 出仕
 着座楽 
総礼 
伽陀 稽首天人 
登高座 
表白 
伽陀 万行之中
 御経 仏説阿弥陀経 
伽陀 直入弥陀 
下高座 
総礼 
正信偈 草四句目下(同朋唱和) 
念仏讃 淘五 三重念仏 
和讃 無明長夜の燈炬なり 次第三首 
回向 願以此功徳 
総礼 
恩徳讃 
退出楽 退出
全戦没者追弔法会   表 白
謹んで阿弥陀如来、宗祖親鸞聖人 、ならびに
三世十方の諸仏如来に申し上 げます。
 本日ここに、親しく宗祖親鸞聖人のまえに坐 すことを得て、全戦没者追弔法 会を厳修いたします。このときにあたり、一つには過去の 罪障を懴悔し、二つには現在の遇法を慶喜び、三つには将来に同朋社会の顕現を期したいと存じます。 
第一に、過去の罪障を懴悔するとは、われらの宗門が、先の悲惨な侵略戦争 に自ら荷担し、それを「聖戦」と呼び、「まったくおおせにてなきことをも、 おおせとのみもうす」罪を犯したことであります。 実に、五逆謗法の咎逃れがたく、今更あらため 全戦没者の悲しみを 憶念し、ここに真宗大谷派が無批判に戦争に荷担した罪を表明し、過去の罪障を懴悔いた します。
 第二に、現在の遇法を慶喜ぶとは、そのわれらの罪障にも拘らず、如来の本 願はその罪を私たちに知らしめ、罪に向き合い、平和への道を歩ましめるので あります。
 第三に、同朋社会の顕現を期すとは、本願念仏の教法に生きる者は「四海の 内みな兄弟とするなり」という浄土の 荘厳功徳をこの身に受け、死者と生者が 一つに出会い、国家や民族の境を超えた「同朋社会」の顕現に 向 む かって 生 い きる 者 もの となるのであります。 われら 真宗門徒、ここに 非戦平和の誓いを 表 白し、ひとえに、この身とこの世の無明の闇を 照らす仏の教えに随い、ともに生きあえる世界 への道を歩まんことを誓うものであります。 

   二〇二一年四月二日  釋修如

仏が願われた「兵弋無用(軍隊も武器もいらない)」の教え

2021-08-15
Facebook 阪下 大介さん曰く

【 Facebook闘いのページ】のページ、管理者は住職です。

政局について

「若手政治家」の登竜門

2022-03-18
自民党青年局長

Facebook 時事通信社さん曰く


1955年の結党時から存在する役職で、「若手政治家」の登竜門とも言われる自民党青年局長。
同局は、議員外交や党改革などで独自の存在感を発揮する一方、近年は時代の変化への対応も求められている。

「政界Web」最新記事はこちら⇒https://www.jiji.com/jc/v8?id=20220318seikaiweb

ロシアのウクライナ侵略は、日本にも考えさせられることが多いようです。

2022-03-09

Facebook 伊吹 文明さん曰く


ロシアのウクライナ侵略は、日本にも考えさせられることが多いようです。
国民に安心安全で幸せな日常を担保する理念・統治の仕組は、国により様々です。自由と市場経済の国、統制や計画経済の国、国民主権の民主制の国、世襲の君主制の国、民主制の衣を纏っていても反対の価値観や意見を抑えこむ独裁国家も。そのなかで各国は国益をかけ動くのが国際社会の現実です。
この現実のなかで、国際秩序・平和を護る大原則は、軍事力等力で現状を変えない、他国の主権を犯さないとの国際法や国連憲章の基本原則です。
 全ての国がこの基本原則を護るとは期待できない現実をウクライナ侵略は教えています。
だからこそ各国は防衛力を整備し、相互に助け合う同盟関係や安全保障条約を締結しています。
日本国憲法の前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意…」は、冷徹な国際社会の力の現実であるウクライナ侵略、北朝鮮の核とミサイル開発、尖閣問題、竹島や北方四島の現状からは、どう考えれば良いのでしょう。
 国際紛争の当事国には自らを正当化する各々の言い分があり、プーチン大統領の暴挙にも、ロシアを対象とする軍事同盟NATOが、自国の身近に迫るのを抑止したいとの言訳が。
しかし、プーチン大統領の言い分の理解と暴挙への理解は違うのです。
ウクライナはNATO加盟国ではありませんが、ロシアの苛立ちがウクライナを戦場にし、ウクライナ国民に犠牲を背負わせています。
武器を含めた援助や各種制裁も大切ですが、ウクライナの平和と安全を保障する為、米国と欧州がロシアとの交渉の前面に直接出て、NATOとロシアの相互譲歩の交渉・合意は出来なかったのでしょうか。
ゼレンスキー大統領の姿勢、ウクライナ国民のけな気さが心を打つだけに、国際社会の冷徹な現実を感じます。
 核保有の軍事大国が力による現状変更を強行した時、核保有国同士の争いを覚悟のうえで、当事国(今回はウクライナ)を他国が前面に出て助けるでしょうか。
日本は世界三位の経済大国であり、日米安保条約による米国の同盟国ですが、それでも米バイデン大統領の今回の発言や米国世論を見ると、どうでしょう。
防衛力増強や核の共同管理(米国の核の国内配備と共同運用)について、観念的・感情的に主張、反対する前に、まず安穏な日常を当り前とせず、冷徹な国際社会のなかで祖国・日本がどうあるべきかの国民的議論の時だと思うのです。

揺らぐ自公連立 その裏で岸田首相の政敵・菅氏と創価学会とのパイプ復活

2022-02-28
© NEWSポストセブン 提供 菅義偉氏が持つ公明党・創価学会とのパイプとは?(時事通信フォト)
© NEWSポストセブン 提供 自公の選挙協力体制に変化?(公明党の山口那津男・代表/時事通信フォト)
2022/03/01 07:15

自民党と公明党の連立が大きく揺らぎ始めた。公明党の山口那津男・代表が2月6日放送のBSテレ東の報道番組で、夏の参院選での自公選挙協力について、「(自民党に)相互推薦をお願いしたが、現にない以上、自力で勝てるようにやらざるを得ない」と岸田自民に“最後通牒”を突きつけたのだ。

 支持母体の創価学会も足並みを揃えている。創価学会は1月27日に国政選挙や地方選挙の方針を決める中央社会協議会を開催し、選挙の支援方針は「人物本位」で選び、「今後より一層、党派を問わず見極める」ことを申し合わせたことが報じられた。これからは自民党以外の候補者を支援することもあり得るという大きな方針転換だ。

学会の政治担当が“現場復帰”

 さる2月5日、朝日新聞に小さな訂正記事が掲載された。

〈4日付総合4面「『相互推薦』自公あつれき」の記事で、創価学会の「佐藤浩元副会長」とあるのは「佐藤浩副会長」の誤りでした。佐藤氏は昨年学会職員を定年で退いた後も、引き続き副会長を務めています。確認が不十分でした〉

 創価学会に朝日新聞が掲載した訂正文について聞くと、「事実と違うため指摘しました」(広報室)と回答。佐藤氏が現在も「副会長」という肩書きを持っていることに対しては「法人職員の退職と組織役職は無関係です」と答えた。

 佐藤氏といえば、創価学会の政治担当責任者として安倍晋三・菅義偉両政権に太いパイプを持っていたことで知られる。特に菅氏とは官房長官時代から政治懸案があると水面下で交渉にあたったとされる人物だ。安保法制などタカ派路線の安倍政権時代に「平和と福祉」を掲げる公明党・創価学会との関係がうまくいっていたのは、「菅・佐藤の“ホットライン”で事前に入念にすりあわせしていたからだ」(官邸関係者)と言われる。

 だが最近、佐藤氏の引退説が流れていた。『宗教問題』編集長の小川寛大氏が語る。

「佐藤氏が昨年2月に学会本部職員を定年退職したとき、引退との見方が流れた。公明党の遠山清彦・前代議士(貸金業法違反で起訴)がコロナ禍の銀座通いを批判されて議員辞職したタイミングだったため、学会の政治担当としてケジメをつけたのではないかと見られたわけです。だから朝日も『元』副会長と勘違いしたのでしょう」

 しかし、佐藤氏は引退していなかったという。

「昨年10月の総選挙で、創価学会には選挙を仕切ることができる人材が少ないので、定年退職していた佐藤氏が力を必要とされて“現場復帰”した。佐藤氏の活躍で公明党は久しぶりに700万票を獲得した」(同前)

 朝日の「元副会長ではなく現在も副会長」という訂正記事は、佐藤氏が創価学会内部で依然力を持っていることを内外に示す効果があった。

 その佐藤氏の“現場復帰”に合わせたようなタイミングで自公関係が悪化したのは偶然だろうか。菅氏の側近の証言は重要だ。

「菅さんが総理の間は、佐藤副会長とはほとんど連絡を取っていなかった。官房長官と副会長なら釣り合うが、トップの総理と副会長が親しくし過ぎると、佐藤氏が創価学会内部でにらまれて立場が悪くなりかねないという配慮もあった。しかし、菅さんが総理を辞めてからは以前のように連絡を取り合っているようで、最近は創価学会の話をよくするようになった」

 佐藤氏は菅氏とのパイプも復活していたというのである。

 そこに自公の選挙協力問題が持ち上がり、公明党・創価学会が菅氏の政敵の岸田自民に“選挙協力破棄”を突きつけた。

 岸田首相の政治路線は「ハト派リベラル」とされ、政策的には公明党と親和性が高いはずだが、岸田政権には公明・創価学会指導部との人脈がほとんどないとされる。そのことが、公明党を制御できない政治的弱点だ。政治ジャーナリスト・野上忠興氏が指摘する。

「安倍・菅政権時代は、官邸では菅氏が創価学会とパイプを持ち、党では当時の二階俊博・幹事長が公明党と良好な人間関係を築いていた。しかし、岸田首相には学会中枢とのパイプがないし、茂木幹事長も公明党との関係が良くない。ホットラインがないから重要な選挙協力をまとめられない。

 岸田政権はハト派とはいえ、これから憲法改正や自衛隊の敵基地攻撃能力保有問題など創価学会にとってナーバスなテーマに取り組まなければならない。

 公明党にすれば、政権中枢に人脈的なしがらみがない分、安保政策では本来の平和主義の主張を声高に叫んで野党的な立場に回り、岸田首相を攻めることができる。そのほうが学会員にアピールでき、選挙で票も取れるという計算がある。岸田氏に引きずり下ろされた菅氏も、公明党が岸田政権を揺さぶってくれるのは都合がいい」

 公明党が菅氏と手を組んで連立にいながら“岸田野党”の立場を鮮明にしているとの見方だ。

※週刊ポスト2022年3月11日号

自公協力に亀裂、公明党は自民に長年の不満「我々は使い走りではない」の思いも

2022-02-28
© NEWSポストセブン 提供 自公の選挙協力体制に変化?(公明党の山口那津男・代表/時事通信フォト)
2022/02/28 11:15

 感染第6波の出口が未だ見えない中、国政では自民党と公明党の連立が大きく揺らぎ始めた。公明党の山口那津男・代表が2月6日放送のBSテレ東の報道番組で、夏の参院選での自公選挙協力について、「(自民党に)相互推薦をお願いしたが、現にない以上、自力で勝てるようにやらざるを得ない」と岸田自民に“最後通牒”を突きつけたのだ。

 支持母体の創価学会も足並みを揃えている。創価学会は1月27日に国政選挙や地方選挙の方針を決める中央社会協議会を開催し、選挙の支援方針は「人物本位」で選び、「今後より一層、党派を問わず見極める」ことを申し合わせたことが報じられた。自公両党は小渕恵三内閣の1999年に連立を組んで以来、野党時代を含めてこれまで23年間、国政選挙で選挙協力をしてきたが、これからは自民党以外の候補者を支援することもあり得るという大きな方針転換だ。

 そうなると、自民党の政権基盤が揺らぐ。政治ジャーナリスト・野上忠興氏が指摘する。

「公明党・創価学会が選挙で自民党に票を出して当選を支援し、代わりに自民党は公明党に大臣や副大臣、政務官ポストを与えて国政に参加させる。それが自公連立の根幹をなしている構造です。選挙協力が白紙になれば連立の基盤そのものが危うくなるのは間違いない」

 まさに自公の“熟年離婚危機”と言っていい。発端は今夏の参院選をめぐる自公協議が“破談”になったことだ。前々回の2013年参院選以来、公明党が候補者を立てない1人区(32県)で自民党候補を支援する見返りに、自公の候補がぶつかる埼玉、神奈川、愛知、兵庫、福岡の5選挙区では互いの候補を推薦し合う「相互推薦」という仕組みをとってきた。

 しかし、前回参院選は相互推薦の結果、兵庫では自民候補の票が公明党に食われて最下位当選となったことから、自民党の地方組織が抵抗して協議が難航し、茂木敏充・自民党幹事長は「上(党本部)から言うことを聞けという形は取りにくい」と協定を結ばない可能性に言及した。これに公明・学会サイドが怒った。

 公明党の強硬姿勢に驚いた岸田文雄・首相は事態収拾のため2月8日に官邸で山口氏と会談したが、山口氏は会談後、相互推薦見送りの方針は「繰り返し述べてきた通り、変わらない」と断言。

 元公明党副委員長の二見伸明・元運輸相は「公明党や創価学会には長年の不満がある」と語る。

「自民党の中には、公明党を低く見る議員がいる。特に、安倍政権の高支持率を追い風に当選してきた4回生以下は公明党・創価学会の支援は当たり前と思っているんでしょう。それに対して公明党には『我々は使い走りではない』という思いがあるはずです。

 また、ここに来て政界では自民党が日本維新の会や予算案に賛成した国民民主党と連立に動くのではないかという観測が強まっている。そんな動きを公明党は『どうぞ』とは言えない。維新や国民民主には創価学会のような票はありません。自民党がそのつもりなら、公明党・創価学会はこれまでどれだけ自民党に票を与えてきたか、この機会に力を示して思い知らせようということでしょう」

※週刊ポスト2022年3月11日号

· 自分の生まれた日の新聞、 池袋のナンジャタウンで購入 でも20年以上前、

2022-01-20
Facebook 布施 隆司さん曰く、今でもあるのかなー、。
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