闘いの歴史
闘いの記録 (戦争と人間)
NHK大河ドラマですべては描かれない…3代将軍・源実朝を殺害した犯人のヤバすぎる動機
幕府の3代将軍・実朝が鎌倉の鶴岡八幡宮で殺害されたのは、建保7年1月27日(1219年2月13日)の夜ことであった。享年28。
実朝を殺害したのは、鶴岡八幡宮寺別当の公暁。2代将軍・頼家の子であり、実朝(頼家の弟)とは甥・叔父の関係にあたる。
公暁の父・頼家は、実朝を擁する鎌倉北条氏の手によって、権力の座から引きずり下ろされ、最後には殺害された。これを恨みに思っていた公暁が、実朝を親の仇として殺害したとされている。
鎌倉時代初期の史論書『愚管抄』には殺害の際に「親の仇はこのように討つのだ」、『吾妻鏡』(鎌倉時代後期編纂の歴史書)には「父の敵を討つ」との公暁の「肉声」が記されている。
私は公暁には親の仇を討つ以外にも目的があったと思っているが、それについては後述するとして、実朝暗殺には黒幕、つまり「真犯人」がいるとこれまで主張されてきた。
歴史学者から最も疑われてきたのが、北条義時だ。北条氏が実権を握りたいがために、公暁を操って実朝を殺害させたという。
戦争が聴こえる 盲学校の生徒たちが経験した戦争 記事公開日:2022年08月15日
見つかったテープの中では、『聴音兵』という言葉が繰り返し語られていました。聴音兵とは、敵機の来襲をいち早く味方に伝える兵士のことです。
視覚に障害のある人と戦争について研究している、京都府立盲学校に勤める岸博実さんが、点字新聞に掲載されていた聴音兵の記事を示します
純粋な若者たちを追い込んだものは何か
NHKスペシャル 従軍作家たちの戦争(2013年)
Facebook NHKアーカイブス さん曰く
データベース(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)
水との闘い
facebook 本荘 和夫さん曰く
雅子さま、安倍晋三氏との浅からぬ縁と強い追悼のお気持ち 国葬開催決定に影響か
天皇皇后両陛下としては最大限の追悼の意を、安倍晋三氏の死去に際して示された。平成から令和にかけて、国の安寧のために共に身を捧げたというシンパシーだけではないだろう。雅子さまは、皇太子妃として皇室に入られるずっと以前から、安倍氏とは浅からぬ縁をお持ちだった。
広々とした和室の床の間の前に、祭壇が設けられている。中心には、ノーネクタイの安倍晋三元首相が笑みをたたえる遺影があり、《紫雲院殿政譽清浄晋寿大居士》と刻まれた位牌と骨壺が並んでいる。
東京・渋谷区富ヶ谷の安倍邸の一室は、弔問客が絶えない。その祭壇を取り囲むのは、大きな白い生花、紅白の供物、色とりどりの果物。それらに添えられた大きな文字に弔問客は目を奪われる。
「天皇皇后両陛下」
それらはすべて、両陛下からの供物だという。
7月11日午後、増上寺(東京・港区)で行われた安倍氏の通夜に、両陛下の焼香の名代として、側近である侍従が派遣された。
「両陛下は安倍元総理に、一般の香典に当たる祭粢料、供物、生花を贈られました。大物政治家の葬儀の祭壇といえば、並べられた供花に数多くの名札が立つのが通例ですが、安倍元総理の場合はたった1つだけ、『天皇皇后両陛下』の名札が置かれたのが印象的でした。そもそも、両陛下が首相経験者の葬儀に侍従を派遣することはめったにありません。昭和に安倍元総理の祖父である岸信介氏、平成に小渕恵三氏のケースがあったくらいでしょう」(自民党関係者)
岸田文雄首相は14日、安倍氏の「国葬」を今秋に行う方針を発表した。
「当初、自民党内では別の形での大々的な葬儀の開催が検討されていました。しかし、岸田総理が急転直下の決断をし、異例の発表となりました。実はこの決定の背景に、雅子さまの強い追悼のお気持ちがあったそうです」(政界関係者)