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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

戦後復興の兆し

2021-05-30
Facebook永井由紀夫さん曰く
上野公園の場合です。
太平洋戦争でほとんどの動物がいなくなった上野動物園。
戦後最初の「猛獣」は昭和21(1946)年に来園したツキノワグマの子でした。
昭和25(1950)年7月には,待望のトラの子がタイからやってきます。
写真はそのトラの子と古賀園長(当時)

ネルー首相から日本の子どもたちへ贈る言葉

2021-05-30
ニューデリー日本人学校 学校だより 校長 岡林 保幸
191025-10月グルモール .pdf (ndjs.org)

戦争中、上野動物園では爆撃で檻が壊され、猛獣や大型動物が逃げ出して市民に危害を加えないよう 薬殺などの処分が行われました。
象が殺された悲劇は後に物語にもなりました。(童話「かわいそうなぞ う」土家由岐雄) では、戦後どうやって再び上野動物園に象が飼われるようになったのかご存知ですか?
実はインドの ネルー首相が、上野動物園がある台東区の子どもたちの熱望に応え、昭和24年に自分の娘の名前を付 けた「インディラ」を贈ってくれたことによるのです。
 それは、独立間もないインドが、イギリスの植民地から解放するために、命をかけて貢献してくれた日 本に対しての深い好意を持ち、「敗戦で打ちひしがれていた日本を元気づけたい」と思ったからでした。 
この時、ネルー首相から子どもたちに次のような文書が贈られました。

皆さん 私は皆さんの希望によって、インドの象を一頭皆さんへお贈りすることを大変嬉しく思います。 この象は見事な象で、大変にお行儀が良く、そして聞く所によりますと、体に縁起の良いしる しをしっかりそなえているとの事です。 皆さん、この象は、私からのではなく、インドの子どもたちから日本の子どもたちへの贈物で あるとご承知下さい。 世界中の子どもたちは多くの点で似かよっています。 ところが大人になると変わり出して、そして不幸な事には、時々喧嘩をしたりします。 私たちはこの様な大人たちの喧嘩を止めさせなければなりません。そして、私の願いはインド の子どもたちや日本の子どもたちが成長した時には、おのおの自分たちの立派な祖国のためばか りにではなく、アジアと世界全体の平和と協力のためにも尽くして欲しいということです。 ですから、このインディラという名を持った象を、インドの子どもたちからの愛情と好意の使 者として考えて下さい。インディラは東京でたったひとりぼっちで、あるいは少しさびしがって 遊び友だちを欲しがるかも知れません。 もし、皆さんが希望するならば、インディラがこれから自分の住家としてゆく新しい国で、幸 福になるように、お友だちの象をもう一頭送るようにすることもできます。 象というものは立派な動物で、インドでは大変に可愛がられ、しかもインドの特に代表的なも のです。象は賢くて、しんぼう強く、力が強く、しかも優しいものです。私たちも皆、象の持つ これらの良いところを、身につけるようにしてゆきたいものです。 おわりに、皆さんに私の愛情と好意とを贈ります。
           ジャワハルラル ネルー  1949年9月1日 ニューデリー

このインドの好意はその後も続いていて、四頭目の象には「スーリア」が 贈られました。
「スーリア」とはヒンズー語で「昇る太陽」という意味で、 これは「日出ずる国」である日本にちなんで命名されました。
10月22日には「ナマステ!INDIA☆DAY」が開催されました。
インド に関する様々な文化に触れる活動を通してインドへの関心を高め、現地理解 を深めると共に、日本と異なる文化を認め、国際社会の一員として生きてい こうとする姿勢を培うことができたらと思います。
ネルー首相と娘さん、そして象のインディラ (上野動物園にて)

象のインディラ物語り

2021-05-30
台東区の子供達が象を贈ってほしいとネール首相に想像で描いた象の絵を送る。
ネルー首相と娘さん、そして象のインディラ (上野動物園にて)
耳が小さかったり、鼻が短かったりした象の絵を見て、首相は日本の子供達に象を贈る事を決めた。
台東区の子供達が象を贈ってほしいとネール首相に想像で描いた象の絵を送る。耳が小さかったり、鼻が短かったりした象の絵を見て、首相は日本の子供達に象を贈る事を決めた。しかし、そこに至るまでの廃虚の下町で強い意志と行動力を持った子供達を支えていった戦後の大人達の姿があった。ドラマはどのようにして起ったのか知りたい方は、以下の台東区史に記載された文章をお読み下さい。

日印友好の証

2021-05-30
Facebok永井由紀夫さん曰く
花子がやってきました。
1935(昭和10)年にはアジアゾウのワンジー(花子)とともにゾウ調教師のウィドラ氏が来園しました。
上野動物園の飼育係はウィドラに弟子入りし、ゾウの訓練を学んだのです。
写真は入園者と綱引きをするワンジーとウィドラ氏

【『台東区史 』より】
もう一つの象物語り
 インディラは、昭和五十八年八月十一日、上野動物園で死んでいる。 
四九歳であった。
 ここで同時期にタイからやってきた象の「花子」についてふれておく。
子供達の“上野に象を”の運動に応えて、マスコミ大手の二社がタイから牝の子象一頭を輸入した。
昭和二十四年九月二日神戸港に上陸、二歳半の子象なので、鉄道により汐留へ。
同月四日にはインディラよりも一足先に動物園入りし、十日に贈呈式、名前も「ガチャ子」といっていたが、公募により「花子」とつけられた。
 ここで上野の山は、いっきに象が二頭となり、日本中の子供達の人気の的となった。
上野の町でも「象まつり」を行って町を上げて歓迎したのであった。
『上野繁昌史』によると、まつりではアトラクションとして張子の象を作って、町中を仮装行列とともに練り歩く予定だった。
しかし、当日届いた張子の象が余りにも小さすぎたため、上野の空に宣伝のために浮かんでいたアドバルーンを降ろして張子の代わりとし、事なきをえたようである。 

8月になるとどうしても思い出すのが、実話を元にしたこの絵本

2021-08-03
Facebook 雪風 丹陽さん曰く


子供の頃から動物園が大好きです。
幼児期の私が最初に真似したのは、ゾウとペンギンだったそう。...で、
8月になるとどうしても思い出すのが、実話を元にしたこの絵本。
私が初めて読んだのは小学校の図書館の時間でした。
太平洋戦争末期、上野動物園にいた3頭の人気者の象が戦時猛獣処分されるお話。
もうね、エサ貰おうとフラフラになりながら飼育員さんの前で芸をしようとするくだりから、子供心に泣けて泣けて...そこから先に読み進められなくなってしまう、涙腺破壊力ハンパないトラウマ級の絵本でした。
やっぱり平和が一番のパラダイスですね!!
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