闘いの歴史
闘いの記録 (戦争と人間)
Emperor Akihito and Empress Michiko "Romance of the Tennis Court"
東久邇宮盛厚殿下(1917年5月6日~1969年2月1日)
昭和天皇と香淳皇后の第3皇女子
左から、清宮貴子内親王 7才
島津 貴子さん 1939年〈昭和14年〉3月2日 - )は、日本の元皇族。島津久永の妻。旧名は、清宮 貴子内親王 お印は橘。勲等は勲一等。昭和天皇と香淳皇后の第5皇女子(第7子)。
池田 厚子さん(1931年〈昭和6年〉3月7日 - )は、日本の元皇族。神社本庁総裁。旧名、順宮厚子内親王。諱は厚子、御称号は順宮。お印は菊桜。旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻。伊勢神宮祭主(1988年 - 2017年)勲等は勲一等。昭和天皇と香淳皇后の第4皇女子(第4子)
孝宮和子内親王 17才
鷹司 和子さん(1929年〈昭和4年〉9月30日 - 1989年〈平成元年〉5月26日)は、日本の元皇族。鷹司平通の妻。元神宮祭主。勲等は勲一等。旧名、孝宮和子内親王。諱は和子、御称号は孝宮。お印は白菊。昭和天皇と香淳皇后の第3皇女子
お三方とも
闘いの転機(戦いの前と後)
Facebook 闘諍堅固
P-1哨戒機
B-29と朝鮮戦争の空 迎え撃つは戦後ジェット戦闘機MiG-15 その勝負の行方は
1950(昭和25)年6月25日、朝鮮戦争が勃発します。ソ連(当時)の全面的な支援を受けた北朝鮮軍が韓国に侵攻し、アメリカが主導する国連軍が対抗します。アメリカは朝鮮の空にもB-29を投入しますが、当時は日本敗戦から5年が経過し、航空機技術はどんどん進歩を遂げジェット機時代を迎えつつあったころです。北朝鮮へ援軍として送り込まれた中国義勇軍には、ソ連から供与された最新鋭のジェット戦闘機MiG-15が配備されていました。はたしてソ連製ジェット戦闘機は、日本製レシプロ戦闘機がかなわなかった「超空の要塞」を返り討ちにできたのでしょうか。
B-29が初飛行したのは1942(昭和17)年9月21日のことで、MiG-15の初飛行は1947(昭和22)年12月30日です。戦中レシプロ爆撃機VS戦後ジェット戦闘機は、字面だけ見ればジェット戦闘機が圧勝しそうですが、実際はそんなに簡単な話ではありませんでした。
B-29とMiG-15 実際の対戦結果は…?
朝鮮戦争において、B-29はのべ2万1300機が出撃し、約16万7000tの爆弾を投下、MiG-15などの戦闘機に撃墜されたのは16機でした。逆にB-29は防御火器で17機のMiG-15を撃墜、11機を撃破しています。1950(昭和25)年12月6日、ソ連軍パイロットN・セリコフ中尉が操縦するMiG-15が撃墜されたとソ連軍が記録しており、これがB-29の初戦果だったようです。この戦争でのB-29の戦闘損失合計数は34機で、損失率は0.1%以下でした。
マリアナ沖海戦
データベース(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)
戦士の休息
ケ号作戦
ちょうど400年前の今日、イエズス会士・カミロ・コンスタンツォ神父が宇久島で捕らえられました。
Facebook 日本二十六聖人記念館さん曰く
ゼレンスキー大統領の妻であるオレーナ・ゼレンシカが、
日本国自衛隊
【大日本帝国憲法】
Facebook 小川 貴則さん曰く
【終戦の詔書】
Facebook 小川 貴則さん曰く
【日本国憲法】
Facebook 小川 貴則さん曰く
*1960.1.19
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
闘いすんで 陽が暮れて・・・
硫黄島からの帰還です。
この度、ご帰還された英霊は14柱。
帰路の自衛隊機には14人分の席を用意されました。
英霊にとっては77年ぶりのご帰還。
安らかに帰れるようにと自衛隊員達は隣の席の骨箱に、優しい手付きでシートベルトを着けました。
米軍の火炎放射器等で塞がれた地下壕で発見された英霊は、家族から届いた手紙の束を握りしめたままの方々もいます。
『お父さんお元気ですか。僕も元気で毎日学校に行ってべんきょうしています…………』
日本です。新婚旅行です。ディマジオがいっしょでした。
マリリン・モンロー ジョー・ディマジオ来日(新婚旅行)の日程
1954年(昭和29) 2月1日 午後5時35分 羽田着
夫のジョー・ディマジオ サンディエゴ・パドレス監督の
フランク・オドウル氏らとともにオープンカーをつらねて帝国ホテルへ。
2月2日 記者会見
ディマジオの為の記者会見だったが、質問はすべてマリリン
へのものだった。
2月8日 午後7時30分 板付着
那珂川河畔の国際ホテル(現在の城山ホテル跡)へ
ホテルを500人あまりのファンが取り巻く。
マリリンは2階の窓辺に現れ、カーネーション の花びらを
ファンにばらまいて、投げキッスをふりまいた。
滞在中は、1人で、西戸崎へ米軍キャンプの慰問、
ドライブなどを楽しむ。
ディマジオ、オドウル監督らは、香椎球場で日本プロ野球選手の
技術指導を行う。
夕食はお忍びで、ホテルの通りをはさんだ向かいのレストラン
ロイヤル(旧花の木)で食事を楽しむが、店をファンに埋め尽くされる一幕も。
2月11日 午前9時10分 岩国市の米軍基地へ
ディマジオ・マリリン一行は、自動車で宮島の一茶苑に向かったが、
ファンが殺到しMPが出動する騒ぎだった。
2月14日 岩国から大阪へ
2月16日から19日まで
マリリンは、朝鮮の国連軍慰問(10ヵ所以上の駐屯地を訪問)し、カゼを引く
ディマジオは、大阪・奈良などを訪問し、野球指導を行う。
2月25日 午後2時7分 羽田からサンフランシスコへ帰国
敗戦のつけ
『鐘の鳴る丘』(かねのなるおか)は、1947年(昭和22年)7月5日から1950年(昭和25年)12月29日までNHKラジオで放送されたラジオドラマ、またそれを原作とした映画。菊田一夫作。ラジオドラマの放送回数は790回に及ぶ。1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)には松竹で映画化もされている。
放送開始のきっかけは、1947年(昭和22年)4月のエドワード・ジョゼフ・フラナガンの来日である。6月にフラナガンが離日した後に、CIEはNHKに対し、フラナガンの精神を踏まえた戦争孤児救済のためのキャンペーンドラマを制作するように指示した。
脚本担当の菊田、音楽担当の古関、巖金四郎をはじめとするNHK東京放送劇団の面々の出演が決定したが、当時はプロの児童劇団もないため、主役となる子役を決めるのに苦労した。ところが、当時練馬区に在住していた巖が、東京都の演劇大会で優勝するくらいに演劇活動が盛んであった練馬区立豊玉第二小学校を紹介したことで、その小学校に在籍する10人前後の児童が出演することになった。当初は土日の週2回の放送だったので、出演者である小学校の児童たちが、教師の引率によって毎週練馬からNHK東京放送会館へ通い、生放送を行っていた。
真宗大谷派の取り組みについて
「全戦没者追弔法会」の和讃
【4/2全戦没者追弔法会】
【春の法要ライブ配信】全戦没者追弔法会(4月2日10時10分~)
政局について
[こりゃアカン!]
Facebook 長谷川一彦さん曰く
足を止めて聴く人はいません。
社民党は無くなるそうです。
さもありなん
憲法改正反対
外国人参政権推進
国防反対 等
日本国民の大多数からはなれています。
社民党に続き衰退するのは
同じ考え方の立憲民主党のように見えます。
皆さんはどう思われますか。
政党として生き残れるのか――最大危機の社民党 77年間の栄枯盛衰と参院選への秘策
岩屋元防衛相が「正論」連発で真っ向から安倍批判! 岸田首相とは学生時代からの大親友
また安倍晋三元首相は、「岸田のヤロウめ」とイライラを募らせているのではないか。防衛相経験者の岩屋毅衆院議員が、安倍批判としか考えられない発言を繰り返しているからだ。
当選9回の岩屋議員は、防衛政務官、外務副大臣、防衛大臣を歴任した防衛族だ。ここ数日、立て続けに大手メディアで防衛問題について発言している。
<反撃能力の対象に「相手国の指揮統制機能等も含む」と明記したことは、いたずらに周辺国を刺激するだけでなく、対処のための準備を促し、軍拡につながる恐れがある。「安全保障のジレンマ」という言葉がある>(3日付・東京新聞)
<防衛費の編成は、数値目標が先にあって、そこに向かってとにかく買い足していくというような雑なやり方をしてはいけない>(6日配信・毎日新聞)
いずれも正論だが、ポイントは、安倍元首相の発言を真っ向から批判する内容になっていることだ。これまで安倍晋三氏は、「GDP比2%の防衛費を確保していくのは当然のことなんだと思う」「敵基地攻撃能力の対象を、基地に限定する必要はない。向こうの中枢を攻撃することも含むべきだ」と主張してきたからだ。安倍氏は、ベテランの防衛族議員に、容赦なく批判された形である。
“岩屋発言”に対して、安倍氏が「岸田のヤロウめ」とイライラを募らせている可能性が高いのは、岸田首相と岩屋議員が、学生時代からの大親友だからだ。
著書「岸田ビジョン」には、<防衛大臣などを歴任された岩屋毅衆議院議員との出会いも早稲田大学です。同じ年齢で学生時代からの友人なので、呼び捨てにしますが><当時から「岩屋」「岸田」と呼び合う仲で、いまでも時々飲みに行きます>などと、2人の友情が数ページにわたって書かれている。いまでも2人がツーカーなのは間違いない。
■バックに岸田首相がいる?
「岩屋議員の発言は、極めて常識的な正論です。でも、安倍さんは猜疑心の強い男です。“岩屋議員のバックには岸田首相がいるはずだ”“岸田首相が言わせているに違いない”と疑心を強めても不思議じゃない。実際、岸田ー岩屋が裏で通じている可能性はあります」(政界関係者)
イライラを募らせた安倍元首相が、この先、さらに常軌を逸する可能性がある。
「若手政治家」の登竜門
Facebook 時事通信社さん曰く
「政界Web」最新記事はこちら⇒https://www.jiji.com/jc/v8?id=20220318seikaiweb
ロシアのウクライナ侵略は、日本にも考えさせられることが多いようです。
Facebook 伊吹 文明さん曰く
国民に安心安全で幸せな日常を担保する理念・統治の仕組は、国により様々です。自由と市場経済の国、統制や計画経済の国、国民主権の民主制の国、世襲の君主制の国、民主制の衣を纏っていても反対の価値観や意見を抑えこむ独裁国家も。そのなかで各国は国益をかけ動くのが国際社会の現実です。
この現実のなかで、国際秩序・平和を護る大原則は、軍事力等力で現状を変えない、他国の主権を犯さないとの国際法や国連憲章の基本原則です。
だからこそ各国は防衛力を整備し、相互に助け合う同盟関係や安全保障条約を締結しています。
日本国憲法の前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意…」は、冷徹な国際社会の力の現実であるウクライナ侵略、北朝鮮の核とミサイル開発、尖閣問題、竹島や北方四島の現状からは、どう考えれば良いのでしょう。
しかし、プーチン大統領の言い分の理解と暴挙への理解は違うのです。
ウクライナはNATO加盟国ではありませんが、ロシアの苛立ちがウクライナを戦場にし、ウクライナ国民に犠牲を背負わせています。
武器を含めた援助や各種制裁も大切ですが、ウクライナの平和と安全を保障する為、米国と欧州がロシアとの交渉の前面に直接出て、NATOとロシアの相互譲歩の交渉・合意は出来なかったのでしょうか。
ゼレンスキー大統領の姿勢、ウクライナ国民のけな気さが心を打つだけに、国際社会の冷徹な現実を感じます。
日本は世界三位の経済大国であり、日米安保条約による米国の同盟国ですが、それでも米バイデン大統領の今回の発言や米国世論を見ると、どうでしょう。
防衛力増強や核の共同管理(米国の核の国内配備と共同運用)について、観念的・感情的に主張、反対する前に、まず安穏な日常を当り前とせず、冷徹な国際社会のなかで祖国・日本がどうあるべきかの国民的議論の時だと思うのです。