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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

100年の国家指導

2021-07-02
国家指導のへ変遷

鄧小平の復活

2021-07-02
天安門事件

外務省が23日に公開した外交文書に、中国共産党政権が民主化を求める学生らを武力弾圧した1989年6月4日の天安門事件について、当時の最高指導者・鄧小平氏が日本経済界の訪中団に「国権が人権を圧倒する」などと弾圧を正当化する発言が記されていた。

 鄧氏は党中央軍事委員会主席を辞任直後の89年11月13日、斎藤英四郎経団連会長ら日中経済協会訪中団と北京の人民大会堂で会談。「先般の動乱で我々は学生に極めて寛容だったが、この動乱は思想の混乱によって生じた」と天安門事件について切り出した。

 欧米と日本が天安門事件を「人権抑圧」と非難した同年7月の仏アルシュ・サミット主要国首脳会議)にも触れ、「人権と国権があり、国権は国の人格・国格の問題だ。人権が重いか、国権が重いかといえば、国権は独立、主権、尊厳に関わるもので、すべてを圧倒する」と述べ、価値観の違いを強調した。

文化大革命の予兆

2021-07-02
1966年7月18日、毛沢東はとつぜん9か月振りに北京に帰還してきた。劉少奇は慌てて北京駅まで毛沢東を出迎えようとしたが空振りに終わった。
 1966年7月18日、毛沢東はとつぜん9か月振りに北京に帰還してきた。劉少奇は慌てて北京駅まで毛沢東を出迎えようとしたが空振りに終わった。
 その後、自宅の隣にある毛沢東の住居を尋ねたが、ここでも面会できずに翌19日に漸く鄧小平と共に、周恩来に引率されて毛沢東と面会を果たした。
 毛沢東は会見の席で劉少奇と鄧小平に対し厳しく叱責した。
 毛沢東は「『工作組』を各学校へ派遣したことは完全に誤った行いである。彼らは学生運動を鎮圧しようとした。過去に反動的な軍閥や蒋介石国民党らが学生運動を鎮圧したと同じようにね!そうした反動的な連中は誰一人として良い結末を得られていないのだ。もうこれ以上、学生や大衆の革命的な運動を阻害せずに、支持する側に立場を置き換えなさい。」と厳しく語った。
 毛沢東の一連の発言に対し、劉少奇は激しく反論を行ったため、毛沢東は鄧小平に対し、「それなら、速やかに中央委員と候補委員に招集をかけ、党大会を開催してそれぞれの観点を公表し、評決しようじゃないか!」と指示した。

毛沢東の復権

2021-07-02
文化大革命
生贄は劉少奇国家主席
鄧小平

中國共産党100周年

2021-07-02
蒋介石
スターリン
朱徳と毛沢東
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