闘いの歴史
闘いの記録 (戦争と人間)
クアッド会合出席の意向 豪野党勝利、政権交代へ
【シドニー共同】オーストラリアで21日行われた下院総選挙で、アルバニージー氏が率いる最大野党、労働党がモリソン首相の与党、保守連合を破り勝利した。2013年以来約9年ぶりの政権交代となり労働党は第1党となることが確定したが、単独で首相を選出できる過半数の76議席を確保できるかどうかは不明だ。22日も開票作業が続いた。
労働党党首のアルバニージー氏は23日朝に首相に就任し、24日に東京で行われる日米豪印4カ国の協力枠組み「クアッド」首脳会合に出席したい意向だ。
選挙では、地球温暖化対策を訴える女性中心の環境連合「ティール無所属」が躍進した。
キューバ危機と呼ばれた13日間
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
私はカモメ・・・。
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
総理就任後、初めて
Facebook 首相官邸さん曰く
◎ガガーリン少佐 人類最初の宇宙飛行
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
闘いの転機(戦いの前と後)
Facebook 闘諍堅固
映像の世紀バタフライエフェクト「宇宙への挑戦 夢と悪夢 天才たちの頭脳戦」
配信期限 :5/23(月) 午後10:44 まで
150年前に書かれたジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」は人々に宇宙への夢を駆り立て、東西冷戦下で米ソ二人の天才科学者の戦いが繰り広げられる。第二次世界大戦でヒトラーのために恐怖のミサイルを生み出し、戦後はアメリカに渡ってアポロ計画を指揮したフォン・ブラウン。ソ連のロケット開発責任者として人類初の有人飛行を成功させながら、世界にその存在を隠され続けた謎の英雄コロリョフ。人類の夢への挑戦の物語である。
特攻です。
データベース(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)
【意味不明】金正恩氏に「イケメンになった」の声 パレード出席で注目、1年前の姿と比べると...
2021年9月9日、北朝鮮の金正恩総書記は建国記念の軍事パレードに出席した。北朝鮮メディアが様子を伝えた。
報道を見た日本のツイッターユーザーからは、正恩氏の「見た目の変化」を指摘する声が聞かれている。
Facebook 闘諍堅固
「あの感触は…」米兵の生体解剖事件、70年以上消えぬ苦しみ
戦時の九大生体解剖事件の証言者、東野利夫
日本国自衛隊
*1960.1.19
Facebook 佐々木 信雄さん曰く
共同訓練を実施しました。
自衛隊の装備品等を米軍機によりウクライナに届ける準備を進めています。
Facebook 防衛省(Japan Ministry of Defense) さん曰く
Facebook 防衛省(Japan Ministry of Defense)さん曰く
闘いすんで 陽が暮れて・・・
硫黄島からの帰還です。
この度、ご帰還された英霊は14柱。
帰路の自衛隊機には14人分の席を用意されました。
英霊にとっては77年ぶりのご帰還。
安らかに帰れるようにと自衛隊員達は隣の席の骨箱に、優しい手付きでシートベルトを着けました。
米軍の火炎放射器等で塞がれた地下壕で発見された英霊は、家族から届いた手紙の束を握りしめたままの方々もいます。
『お父さんお元気ですか。僕も元気で毎日学校に行ってべんきょうしています…………』
日本です。新婚旅行です。ディマジオがいっしょでした。
マリリン・モンロー ジョー・ディマジオ来日(新婚旅行)の日程
1954年(昭和29) 2月1日 午後5時35分 羽田着
夫のジョー・ディマジオ サンディエゴ・パドレス監督の
フランク・オドウル氏らとともにオープンカーをつらねて帝国ホテルへ。
2月2日 記者会見
ディマジオの為の記者会見だったが、質問はすべてマリリン
へのものだった。
2月8日 午後7時30分 板付着
那珂川河畔の国際ホテル(現在の城山ホテル跡)へ
ホテルを500人あまりのファンが取り巻く。
マリリンは2階の窓辺に現れ、カーネーション の花びらを
ファンにばらまいて、投げキッスをふりまいた。
滞在中は、1人で、西戸崎へ米軍キャンプの慰問、
ドライブなどを楽しむ。
ディマジオ、オドウル監督らは、香椎球場で日本プロ野球選手の
技術指導を行う。
夕食はお忍びで、ホテルの通りをはさんだ向かいのレストラン
ロイヤル(旧花の木)で食事を楽しむが、店をファンに埋め尽くされる一幕も。
2月11日 午前9時10分 岩国市の米軍基地へ
ディマジオ・マリリン一行は、自動車で宮島の一茶苑に向かったが、
ファンが殺到しMPが出動する騒ぎだった。
2月14日 岩国から大阪へ
2月16日から19日まで
マリリンは、朝鮮の国連軍慰問(10ヵ所以上の駐屯地を訪問)し、カゼを引く
ディマジオは、大阪・奈良などを訪問し、野球指導を行う。
2月25日 午後2時7分 羽田からサンフランシスコへ帰国
真宗大谷派の取り組みについて
京都駅と東本願寺の間にあった丸物百貨店のビルのようです(現在の京都ヨドバシの場所)。
京都の原爆投下計画の候補地(場所)は梅小路だった『NHKスペシャル』 - 京都のお墨付き!
戦時中の遺構です。
https://www.recordchina.co.jp/b87806-s0-c30-d0046.html
2014年5月7日、満州国時代に吉林省長春市に建てられた旧・東本願寺新京別院が土地開発業者の違法建築によって破壊されたことが分かった。中国新聞社が伝えた。
1931年9月18日、日本の関東軍の謀略で満洲事変が勃発すると、真宗大谷派(東本願寺)本山は早くもその翌日から軍への慰問行動を開始し、宗務総長は翌月、「国家の大方針を体認」し「国論の統一」に努めるよう諭達を発した。関東軍の武力によって満洲国が建国された1932年、日本政府の満洲移民政策に呼応する形で真宗大谷派は拓事講習所を開設し、開拓移民を精神面で支えることを目指した。
「貿易は国旗の後に付き従う」(trade follows the flag)というのが帝国主義の合言葉だとすれば、十五年戦争中の日本仏教の大陸布教はまさに、「仏法は国旗の後に付き従う」を実践したものだったと言えるだろう。日の丸に従属しながら満洲国全土に広まったように見えた日本仏教が、日本敗戦と満洲国崩壊後、あっという間に東北大平原から駆逐されたのも、必然の成り行きだった。東本願寺新京別院の旧跡は、かつて日本仏教が犯した罪業を今に伝えている。
1934年には大谷光暢法主夫妻が満洲と華北を巡回し、満洲国皇帝溥儀に謁見、また満洲各地の布教所を視察して軍を慰問した。さらに同法主らは日中戦争勃発後の1938年1月から二か月にわたり、満洲各地および華北・華中における軍隊慰問のため、第二回の大陸巡教を行い、帰国後は日本全国で報告会が開催された。こうした大谷派の大陸巡教については、法主の妻(裏方)の大谷智子(裕仁〔昭和天皇〕の妻良子〔香淳皇后〕の妹)がその著作『光華抄』(実業之日本社、1940年)において、この「皇軍慰問の旅」の内容を詳しく述べ、「軍国の母を想ふ」「銃後婦人の覚悟」「戦歿勇士の遺族に」「長期建設の心構へ」などの小見出しで文を綴っている。
日本仏教の大陸布教は、1915年の「対華二十一か条の要求」の第五号において、中国での「日本人の布教権」を日本政府が要求したように、日本の軍事的大陸侵略と密接な関係がある。二十一か条要求の「布教権」は日本側が取り下げたので、中国における日本仏教の布教はしばらくの間、日本の植民地である関東州や満鉄附属地の居留日本人を主な対象としていた。が、満洲事変および満洲国成立後は、満洲国内の中国人への布教が積極的に試みられ、大谷派の満洲拓事講習所でも布教を目的とする中国語の学習が行われるようになった。
さらに日中戦争勃発後の1938年8月、文部省宗教局長は「支那布教に関する基本方針」の通牒を発し、「布教師をして住民の宣撫に当らしめ対支文化工作に寄与せしむること」が目的とされたことで、日本仏教の大陸布教は日本軍の特務機関の下請としての宣伝工作という意義を担うことになった。真宗大谷派は同年9月、東本願寺経営の「北京覚生女子中学校」を設立、また日本の傀儡となった汪兆銘〔精衛〕政権下の南京には「南京本願寺」や「金陵女子技芸学院」を設けるなど、日本軍特務機関との協力で戦時下の宣撫活動を積極的に担っていった。
私たちは過去において、大日本帝国の名の下に、世界の人々、とりわけアジア諸国の人たちに、言語に絶する惨禍をもたらし、佛法の名を借りて、将来ある青年たちを死地に赴かしめ、言いしれぬ苦難を強いたことを、深く懺悔するものであります。
この懺悔の思念を旨として、私たちは、人間のいのちを軽んじ、他を抹殺して愧じることのない、すべての戦闘行為を否定し、さらに賜った信心の智慧をもって、宗門が犯した罪責を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを決意して、ここに 「不戦の誓い」を表明するものであります。
さらに私たちは、かつて安穏なる世を願い、四海同朋への慈しみを説いたために、非国民とされ、宗門からさえ見捨てられた人々に対し、心からなる許しを乞うとともに、今日世界各地において不戦平和への願いに促されて、その実現に身を捧げておられるあらゆる心ある人々に、深甚の敬意を表するものであります。
私たちは、民族・言語・文化・宗教の相違を越えて、戦争を許さない、豊かで平和な国際社会の建設にむけて、すべての人々と歩みをともにすることを誓うものであります。 右、決議いたします。
1995年6月13日
真宗大谷派 宗議会議員一同
1995年6月15日
真宗大谷派 参議会議員一同
私たちの宗門は、明治期以降、宗祖親鸞聖人の仰せになきことを仰せとして語り、戦争に協力してきました。侵略戦争を「聖戦」と呼び、仏法の名のもとに、多くの青年たちを戦場へと送り出しました。そして遺族のみならず、アジア諸国、とりわけ中国、朝鮮半島の人々に、計り知れない苦痛と悲しみを強いてきました。さらに、非戦を願い、四海同朋への慈しみを説いたために、非国民とされた僧侶たちを見捨ててきました。
これらに対する懺悔の思念を旨として、宗門は1995年に「賜った信心の智慧をもって、宗門が犯した罪責を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまない」(「不戦決議」)という誓いを表明しました。
http://www.higashihonganji.or.jp/release_move/others/pdf/2013_peace_show.pdf
過去に犯した行為に対する真宗大谷派のこうした真摯な反省には、敬意を表したい。最近の安倍政権が目指す軍事大国化への傾向、例えば秘密保護法制定や集団的自衛権の行使容認への動きに対して、真宗大谷派が批判的見解を公式に表明しているのも、過去に日本帝国の戦争に協力した教団の歴史に対する反省に立つものといえる。
集団的自衛権の行使容認に反対する決議(真宗大谷派宗議会、2014年6月10日)
内閣総理大臣への「「特定秘密保護法案」の廃案に関する要望書」提出について(真宗大谷派宗務総長、2013年11月27日)
ところで中華人民共和国成立後、長らく学校施設として使われてきた旧東本願寺新京別院の建物は、長春市の重要文化財に指定されている。近年学校は移転し、付近では再開発が始まっているが、開発業者が無断でこの建物の一部を破壊していることが今年5月、新聞報道で伝えられた。近くに住む劉さんは次のように語る。「この建物は日本人が長春に建てたものですが、これは文化財です。一時期の歴史を代表するものです。なぜやすやすと壊してしまったのか」。長春市当局は開発業者に命じて工事を停止させ、現在調査中だという。
政局について
めざせ、ガラスの天井打ち破れ!!
0:39
自民総裁選 吉か凶か「菅&石破&小泉」の河野氏支援
自民党総裁選(29日投開票)をめぐり、河野太郎ワクチン担当相が知名度の高い石破茂元幹事長と小泉進次郎環境相の支持を得て〝小石河連合〟で勝利を目指している。党内の無派閥議員に影響力がある菅義偉(すが・よしひで)首相も河野氏支持を表明、世論調査では他の3候補を圧倒する。ただ、石破氏らの支援には党内の遠心力も働いており、河野氏にとって吉と出るかは見通せない。
「議論を通じ国民にいろいろなことを聞いてもらった。さらに数字が伸びるように頑張りたい」。河野氏は20日、報道各社の世論調査で自身の支持率がトップを独占していることを記者団から問われ、こう胸を張った。産経新聞社とFNNの合同世論調査でも「新総裁にふさわしい人物」で52.6%を占めた。河野氏自身の知名度に、石破、小泉両氏らの人気が加わったとみられる。
河野氏は支援に対し「ありがたい」と謝意を口にするが、石破氏らは党内に確執も抱えており、議員票獲得にはマイナスとなる可能性もある。最大派閥の細田派(清和政策研究会、96人)に影響力を持つ安倍晋三前首相や第2派閥の麻生派(志公会、53人)を率いる麻生太郎副総理兼財務相らにとって、石破氏は政敵といえる。ある中堅議員は「石破氏が乗ることで、河野氏を支持できないという議員も出てくるのではないか」とみる。
小泉氏に対しても党内には不満がある。環境相としてエネルギー政策を「脱原発」の方向に進めたことに加え、河野氏支持を表明した記者会見では細田派に牙をむいた。同派が岸
田文雄前政調会長、高市早苗前総務相の支持を打ち出したことに触れ「最大派閥は『河野太郎は絶対にダメ』ということ。党風一新の点からも全力で(河野氏を)応援したい」と語った。仮想敵を自らつくり注目を集める「劇場型」の政治手法に、党内からは「父親の純一郎元首相そっくりだ」と冷ややかな声も上がる。
菅首相の支援が〝逆バネ〟となる可能性もある。8月の横浜市長選では、小此木八郎前国家公安委員長を応援したが惨敗を喫した。新型コロナウイルス対応などをめぐり世論の批判が強まる中、首相の支持が足を引っ張ったとの見方もある。ある閣僚経験者は首相の河野氏支持表明に「横浜市長選で失敗しているのに」と語った。(奥原慎平)