闘いの歴史
闘いの記録 (戦争と人間)
· この頃に帰りたい。
一緒に広島訪問忘れない オバマ氏、真珠湾も
海自護衛艦で勤務 逮捕の山上容疑者と同一人物か
防衛省は8日、安倍晋三元首相が銃撃された事件で、殺人容疑で捜査されている職業不詳、山上徹也容疑者(41)=奈良市大宮町=と同一とみられる海上自衛隊に所属していた同姓同名の人物について、当時、広島・呉港を母港とする護衛艦「まつゆき」で勤務していたことを明らかにした。生年月日も一致したが同省は同一人物か確認している。
山上容疑者と同一とみられる人物は平成14年8月に期限3年の任期制自衛官として採用され、佐世保教育隊で訓練を受けた後、14年12月に「まつゆき」へ配属。大砲や誘導ミサイルなどを扱う砲雷科で見習いとして勤務した後、16年4月に広島・江田島の第一術科学校に所属する練習船へ配属され、17年8月に海士長の階級で退官した。
首相、涙浮かべ「絶対に許してはならない行為」
産経新聞2022年07月08日19時16分
「民主主義の根幹である自由で公正な選挙は絶対守らなければならない」。安倍晋三元首相が死去したことを受け、岸田文雄首相(自民党総裁)は8日夜、官邸で記者団を前に怒りをにじませた。同日午後、遊説先の山形県から急遽官邸に戻った直後には、言葉を詰まらせながら「民主主義国家の日本の一員として、絶対に許してはならない行為だと感じている。最大限の強い言葉で非難する」と記者団に語った。
自民の茂木敏充幹事長も党本部で幹部らと対応を協議した後、記者団に「テロ行為は民主主義に対する挑戦であり、断固抗議する」と述べた。
知名度が高い安倍氏は参院選の公示後、自民候補の応援演説のため全国各地を回り、8日も銃撃された奈良市の他に京都府などを訪れる予定だった。
民主主義の土台を揺るがす今回の事件に、安倍氏に近い自民の閣僚経験者は「なぜ銃を持った男が近づけるのか。あり得ない」と指摘。同じく安倍氏と親しい自民重鎮も「日本でこんなことが起きるなんて…」と肩を落とした。
元首相を狙った凶行は投開票が10日に迫る参院選にも影響を及ぼした。
自民は首相を含め、8日の党幹部の遊説を全て中止。首相は政府の対応を協議するため、全ての閣僚にも帰京を命じた。
ただ、与党は選挙戦最終日となる9日は予定通り活動する方針を決めた。
茂木氏は「暴力には屈しないという断固たる決意の下、各地の事情も踏まえ、選挙活動は予定通り進める」と説明した。公明党の山口那津男代表も党本部で記者団に「卑劣な行為が二度と行われないように万全を期していくことが必要だ」と述べた上で、「屈することなく、堂々と言論による主張を有権者に訴えていく姿勢が大切だ」と語った。(内藤慎二)
データベース(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)
雅子さま、安倍晋三氏との浅からぬ縁と強い追悼のお気持ち 国葬開催決定に影響か
天皇皇后両陛下としては最大限の追悼の意を、安倍晋三氏の死去に際して示された。平成から令和にかけて、国の安寧のために共に身を捧げたというシンパシーだけではないだろう。雅子さまは、皇太子妃として皇室に入られるずっと以前から、安倍氏とは浅からぬ縁をお持ちだった。
広々とした和室の床の間の前に、祭壇が設けられている。中心には、ノーネクタイの安倍晋三元首相が笑みをたたえる遺影があり、《紫雲院殿政譽清浄晋寿大居士》と刻まれた位牌と骨壺が並んでいる。
東京・渋谷区富ヶ谷の安倍邸の一室は、弔問客が絶えない。その祭壇を取り囲むのは、大きな白い生花、紅白の供物、色とりどりの果物。それらに添えられた大きな文字に弔問客は目を奪われる。
「天皇皇后両陛下」
それらはすべて、両陛下からの供物だという。
7月11日午後、増上寺(東京・港区)で行われた安倍氏の通夜に、両陛下の焼香の名代として、側近である侍従が派遣された。
「両陛下は安倍元総理に、一般の香典に当たる祭粢料、供物、生花を贈られました。大物政治家の葬儀の祭壇といえば、並べられた供花に数多くの名札が立つのが通例ですが、安倍元総理の場合はたった1つだけ、『天皇皇后両陛下』の名札が置かれたのが印象的でした。そもそも、両陛下が首相経験者の葬儀に侍従を派遣することはめったにありません。昭和に安倍元総理の祖父である岸信介氏、平成に小渕恵三氏のケースがあったくらいでしょう」(自民党関係者)
岸田文雄首相は14日、安倍氏の「国葬」を今秋に行う方針を発表した。
「当初、自民党内では別の形での大々的な葬儀の開催が検討されていました。しかし、岸田総理が急転直下の決断をし、異例の発表となりました。実はこの決定の背景に、雅子さまの強い追悼のお気持ちがあったそうです」(政界関係者)
水平社宣言
ロシアのプーチン大統領の出席を認めない方向で調整に入った
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安倍晋三はなぜ「財務省」と戦い続けたのか…知られざる肉声を明かす 「彼らは怖い役所だから」
安倍氏が残した足跡
安倍氏が亡くなった日、米英ロ中印など世界各国の要人たちがこぞって安倍氏を悼み、首相在任中の功績を称賛するコメントを出した。インドやブラジルでは国として喪に服することを決めたとの報道にも接し、安倍氏が日本の政治家として前例がないほど、国際社会で存在感を発揮してきたことを再認識した。
安倍氏がその評価は別にしても「自由で開かれたインド太平洋構想」を打ち出し、日米豪印の「クワッド」枠組みを構築するなど、日本の首相としては稀有な「価値観外交」を展開し、欧米諸国の戦略にも一定の影響を与えたことはしっかり記憶しておくべきだろう。
中国・韓国など近隣諸国との関係悪化を招いたとの批判はあるが、中国の習近平国家主席が岸田首相に送った弔電で安倍氏に最大限の弔意と敬意を表したことからもわかるように、安倍氏は日中関係の改善にも一定の足跡を残し、中国側から畏敬の念を持たれていた。
日本の国内事情に精通した中国政府高官は昨年、日本のジャーナリストに対し、「安倍氏の3度目の首相就任も十分あり得るのではないか」と警戒心を込めて語っていたという。
第一次安倍政権「前夜」の酒席で
平成時代に入ってから政治の現場を取材するようになった私は、安倍氏が父親の晋太郎氏の秘書を務めていた時に初めて名刺を交換し、父親の病死を受けて初当選した後の1年生議員の時代に、時々話をするようになった。
その頃は、外相や自民党幹事長だった父親の秘書時代に彼が見聞きした、竹下登元首相をはじめとする自民党及び清和会(自民党安倍派)の大幹部たちに関する裏話を安倍氏から聞くのが大変興味深く、安倍氏のもとをふらっと訪ねたものだ。
同時に、安倍氏の1期上だった衛藤晟一・前少子化担当相ら当時の保守派若手議員たちが、その頃から「安倍晋三は考え方の軸がしっかりしていてブレない。間違いなく将来の総理候補だ」と語っていたことから、「先物買い」の意味もあって安倍事務所を時折訪ねていた。
安倍氏が若い頃から安全保障や歴史認識問題に深い関心を寄せ、岡崎久彦元駐タイ大使らと勉強会を重ねていたことなどは、もちろん認識していた。だが、私が思い出す安倍氏の印象的な言葉は、2006年に第一次政権が発足する1年程前、少人数の酒席で安倍氏が語った「統治機構改革」に関する発言だ。
首相に就任したら何をやりたいか、という話の一環だったと思う。安倍氏が、「これからの時代は、何事も政治主導・官邸主導で物事を決めていかなければならない、それはすなわち、長年続く財務省主導を打破することだ」などと強調したのだ。
その発言に驚いた私が「日本は民主主義国家に相応しく、政治主導で政策決定できるように統治機構を変えるべきだと以前から思ってきたので大賛成だ。予算編成も、財務省ではなく首相官邸で行うことができるよう仕組みを変えるべきではないか」と持論を展開した時のことだった。安倍氏はさらに踏み込んだ発言をして、私を驚愕させた。