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闘いの歴史

闘いの記録 (戦争と人間)

◎クアラルンプール事件で過激派5人を釈放

2022-06-26

Facebook 佐々木 信雄さん曰く


【20th Century Chronicle 1975(s50)年】-4
◎クアラルンプール事件で過激派5人を釈放
*1975.8.4/ 日本赤軍がマレーシアのクアラルンプールにある米・スウェーデン両大使館を占拠、赤軍派など7人の釈放を日本大使館に要求する。5日、政府は超法規的措置として出獄を承知した5人を釈放する。
 1975(s50)年8月4日、武装した日本赤軍のメンバー5人が、マレーシアの首都のクアラルンプールにある、アメリカとスウェーデン大使館を襲撃占拠し、館内にいたアメリカの総領事ら52人を人質に取った。犯行に及んだ武装赤軍派は、人質と交換で、拘束されている赤軍派メンバー等の釈放を要求した。当時の三木内閣は「超法規的措置」として、参加意思がある5名を釈放した。
 釈放要求は7人だったが、坂口弘と松浦順一は拒否したため、坂東国男、佐々木規夫ら5人が釈放され海外に逃亡した。この事件で仲間の奪回に成功した赤軍派は、さらに1977年のダッカ日航機ハイジャック事件などをひき起こす。クアラルンプール事件犯行グループの一員だった奥平純三は、後に逮捕されるも、'77年のダッカ事件での人質との交換で釈放され、釈放後さらに海外で何度もテロ事件をひき起こし、現在も国際手配中となっている。
 このような日本政府の弱腰は、かえってテロリストのターゲットにされ易く、批判の対象ともなった。釈放された5人のうち2人は後に逮捕されたが、坂東国男・佐々木規夫・松田久は、実行犯の奥平純三とともに国際手配されている。
(この年の出来事)
*1975.5.19/ 前年来の三菱重工ビルを始めとする連続企業爆破事件で、警視庁は容疑者8人を逮捕する。
*1975.7.17/ 皇太子夫妻が沖縄を訪問し「ひめゆりの塔」の参拝中、過激派から火炎瓶を投げつけられる。
*1975.7.19/ 沖縄国際海洋博覧会が開催される。
*1975.11.15/ フランスのランブイエで、第1回主要先進国首脳会議(サミット)が開催される。
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