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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

教育ということは

2022-03-31

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1318
教育の問題が今、行き詰っています。
教育ということは
何か偉い先生から偉くない子どもが教えを受けると、
だいたい言うと
これが間違った考えです。
実際は、
子どもから教えを聞き出すのが
教師というものではないかね。
おもしろいことがあるのです。
それは
私の友達に訓覇君という人がいるのですが、
学生時代に
高光大船という人の教えを聞きに行ったのです。
教養の中には本願は無かった

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1324
その裸になった人間の中に動いている本願に出遇ったのです。
教養の中には本願は無かった。
教学を剥奪されてみたらその底に本願があったのです。
本願に出遇ったのです。
だから親鸞は、流罪になったおかげであったと。
流罪になったおかげで、本願に遇うことが出来たと。
流罪から教えられたのです。

忽然念起

2022-03-31

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1317
嘘というのは、
何か、立っているところが本来のところに立っていない
と自分で感ずるのではないかね。
どんなに迷った人間でも、
自分は迷っているということを感じているでしょう。
そうではないかね。
そういうのが「忽然念起」ということではないかね。

本願を聞いて信を獲(え)るということ

2022-03-26

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1310
問題は、本願を聞いて信を獲(え)るということ。
親鸞はそれを、これはもう「難中の難」だと。
信を獲ても、その信は、獲たからといって易信ではない。
獲た信がやはり難信だと。
信を獲た人が、たまわった信心は「これはこれは」と言って、難信です。
自分で作ったということではないのです。
そうでしょう。
自分で獲た信心なら、獲たら難が消えるはずなのです。
「かたじけない」
1311
それは獲(え)たままが難信だと。
獲ない人には難も易もないでしょう。
だから、難という字は不可能という意味ではないのです。
「かたじけない」という意味です。
信を獲るということは容易ならないことだと。
そのために仏が法蔵菩薩になられたのだと。こういうわけです。


軽いということが容易ではないということです。
1312
阿弥陀仏が法蔵菩薩の因位の行を行ぜられたというのはその意味です。
そうでしょう。
不可思議兆載永劫においての法蔵菩薩です。
仏が一切衆生となったというのです。
それで一切衆生を仏にするのだと。
それは容易ならないことです。
自分のたまわった信が自分の努力ではないと。
信は重いというのではない。
軽いということが容易ではないということです。
あぁそうだったかと。
「感動」
1313
「信」というものに力が入らない。
それは「感動」することです。
本願の教えを聞いて感動すること。
だからなんでもない話なのです。
そのなんでもない軽いことが、容易ならないことなのだと。
我々において軽いと思えることは「本願の歴史が重い」のです。
それは、
仏自身が我々となって、その身を捨てた結果として、
我々に軽く信ずるということが成り立っているのです。
「浅きは深きなり」
1314
だから浅いのが深いのだというのです。
「浅きは深きなり」というのはそういう意味です。
深い背景があるから、我においては浅く見える。
「私の獲た信心は深いぞ」というような、そんなものは無いのです。
もし信心というものがそういうものであるなら、誰も入る者はいないでしょう。
信というものはそうではないのです。

宗正元先生の次のような言葉に出遇いました。

2022-03-26

Facebook 宮岳文隆さん曰く


宗正元先生の次のような言葉に出遇いました。
「南無阿弥陀仏は『汝、苦しみ悩んでおる者よ』と、そういうふうに苦しみ悩んでおる者を呼びかけ、苦しみ悩んでおる者に『心をこめて』呼びかけている言葉です。つまり、『心をこめて』という意味は、『敬い』と『愛情』を込めて呼びかけている言葉です。何か可哀そうだ、苦しみ悩んでいる者よ、可哀そうだなあ……といって呼びかけているのではないのです。そこに、無限の限りない敬いですね。それはどういう敬いかというと、自分の父母として、そこから私は生まれて来たんだと、自分の親として、限りない尊敬と、深い愛の心をもって『苦しみ悩んでおる者よ』と呼びかけておる、そういう言葉です」
「それまでは何か呼びかけがあるんだなあ、というような雲をつかむような話ですけど、ほんとに気が付いてみれば、これ程身近に、どのように生きてよいか分からない私どもを、呼びかけている言葉がある。
 そして、どのように生きてよいか分からない私どもにすべてを託しているのですね。そこから生まれるんだ、と。生まれ出てくる新しいいのちが、そういう人に一切を託しておる。生まれ出ようとするものが、唯、ひたすら、どうしてよいか分からない人を呼びかけ続けておる。
 だから、妙な言い方ですが、ある意味では、生れ出ようとするものが、親を求めているといってもよいのです」
「どういう人であろうと、法蔵菩薩と言われるようなそういう精神、そういう魂が生れ出る可能性を持っているのです。その人がどういう人であろうと、必ず法蔵菩薩と言われるような法蔵精神が生れ出て来る。そういう意味の人間信頼なのです」
「お念仏のほうは、呼びかけているその人自身の中から、法蔵菩薩が生れ出ようとして呼びかけているわけですけど、それを聞いている私どもの方は、それを自分に呼びかけている、そういう言葉だとは露知らずに、何を言っているのだろうか、と。外のことを考えているわけですね」
(『雲集』298号20頁~22頁掲載。昭和51年3月の仏教東北連区集会の記録「道を求めて」より転載したもの)

私は、南無阿弥陀仏を私どもの親様といただいてきましたが、実は南無阿弥陀仏のほうが、私どもを、自分を生み出してくださる親として手を合わせて呼びかけてくださっているなんて!こんな破天荒な、愛情のこもったことを言ってくださる方がおられるでしょうか!本当にびっくりです!

証と信

2022-03-22
Facebook Yasuda Rizinさん曰く 、
1309
130
仏教全体がそうなっているでしょう。
しかし親鸞は、
その困難な証は、必ずしも出来ないというわけ

1309
仏教全体がそうなっているでしょう。
しかし
親鸞は、その困難な証は、必ずしも出来ないというわけではない
と言っているのです。
本当に出来ないものが信だと。
こんな言葉はちょっと世界中に無いのではないかね。
真理を覚って仏に成るのは、
楽だというわけではないけれども、
必ずしも困難ではないと。
信が出来ないのだと。



仰せを蒙りて【音声・映像データ編】

【大谷大学として在る、意味。】~第28代木越康学長×第29代一楽真学長 対談動画

2022-03-18
【お知らせ/学長対談】 4/1から大谷大学第29代学長に就任される一楽理事長と現学長の木越教授との対談動画がアップされています。
Facebook大谷大学同窓会 【お知らせ/学長対談】

大谷大学が掲げるメッセージ「Be Real―寄りそう知性―」。
 大谷大学の人間教育の基盤は、誰もが当たり前だと考えている物事を、今一度見つめ直し、問い直すこと。
 初代学長 清沢満之が開学して以来、120年以上にわたり、かわらず受け継がれている建学の精神、大谷大学としての在り方について、第28代学長木越康と第29代学長一楽真が語る。

東本願寺真宗会館【公式】お坊さんの法話

2022-03-19
お坊さんの法話2021年10月28日「まことのいちねん おこれるそのとき」①

お坊さんの法話2022年2月6日「何しに来た」―『歎異抄』第二条

お坊さんの法話2021年9月28日「親鸞からの風に吹かれて」

お坊さんの法話2021年12月28日「親鸞からの風に吹かれて」


お坊さんの法話2022年5月28日「親鸞からの風に吹かれて」

「まことのいちねん おこれるそのとき」①
「親鸞からの風に吹かれて」

池田勇諦(36分)「仏法は何を言おうとしているのか?」

2022-03-19
2022/1/9 西恩寺門徒会 新年「総会」法話 池田勇諦(36分)
「〈他力〉は外力にあらず。この世に〈自力〉はあらず。」
 『塵劫記』1627年に吉田光由が執筆した。
 法話中に出ます数の単位が抜けていましたので。 
一 いち 10/ 0 十 じゅう 10 /1乗 千 せん 10/ 3 乗 万 まん 10/ 4 乗(萬) 億 おく 10/8 乗 兆 ちょう 
10 /12乗 京 けい 10 /16乗 「きょう」 とも読む。 
垓 がい 10 /20 乗 杼  じょ 10 /24乗  正しい漢字は、(禾+予)。 
(禾+市) と書いて、「し」 ともいう。
 穣 じょう 10 /28 乗 溝 こう 10 /32 乗 澗 (潤) かん 10 /36 乗 正 せい 10 /40 乗 載 さい 
10 /44 乗 極 ごく10 /48 乗 恒河沙 こうがしゃ(ごうがしゃ)10 /52乗 恒河 ( ガンジス川 )の無数の砂。
 阿僧祇 あそうぎ 10 /56乗 数えられないこと。 
那由他 なゆた 10/ 60乗「那由多」 とも書く。
 不可思議 ふかしぎ 10 /64乗 常識では理解できない不思議なこと。
 無量大数 むりょうたいすう 10 /68乗

2022年新年の法要[修正会]/法話:自己という名の原始林を拓く

2022-03-19
【いま、あなたに届けたい法話】不安と安心(名和達宣氏)

金沢別院テレホン法話【星川 了 氏】2021年12月15日配信

2021-12-15
ともしび~ 星川 了 氏 12月15日~
金沢別院テレホン法話【星川 了 氏】2021年12月15日配信
ともしび~ 星川 了  氏 12月15日~
1月15日配信 金沢別院ではテレホン法話を行っております。
【電話番号】076-261-4001で、約3分間の法話が聞けます。
 御俗姓 
 それ、祖師聖人の俗姓をいえば、藤氏として、後長岡丞相 内麿公 の末孫 皇太后宮大進有範の子なり。また本地をたずぬれば、弥陀如来の化身と号し、あるいは曇鸞大師の再誕ともいえり。しかればすなわち、生年九歳の春の比、慈鎮和尚の門人につらなり、出家得度して、其の名を範宴少納言の公と号す。それよりこのかた、楞厳横川の末流をつたえ、天台宗の碩学となりたまいぬ。其の後二十九歳にして、はじめて源空聖人の禅室にまいり、上足の弟子となり、真宗一流をくみ、専修専念の義をたて、すみやかに凡夫直入の真心をあらわし、在家止住の愚人をおしえて、報土往生をすすめましましけり。  そもそも、今月二十八日は、祖師聖人遷化の御正忌として、毎年をいわず、親疎をきらわず、古今の行者、この御正忌を存知せざる輩あるべからず。茲によりて、当流にその名をかけ、その信心を獲得したらん行者、この御正忌をもって、報謝の志をはこばざらん行者においては、誠にもって、木石にひとしからんものなり。しかるあいだ、かの御恩徳のふかきことは、迷慮八万の頂、蒼瞑三千の底にこえすぎたり。報ぜずはあるべからず、謝せずはあるべからざる者か。此の故に、毎年の例時として、一七か日のあいだ、形のごとく報恩謝徳のために、 無二の勤行をいたすところなり。 此の七か日報恩講の砌にあたりて、門葉のたぐい国郡より来集、いまにおいて其の退転なし。しかりといえども、未安心の行者にいたりては、争でか報恩謝徳の義これあらんや。しかのごときのともがらは、この砌において仏法の信・不信をあいたずね、これを聴聞して、まことの信心を決定すべくんば、真実真実、聖人報謝の懇志に相叶うべき者なり。哀なるかな、それ聖人の御往生は、年忌とおくへだたりて、すでに一百余歳の星霜を送るといえども、御遺訓ますますさかんにして、教行信証の名義、いまに眼前にさえぎり、人口にのこれり。貴とむべし、信ずべし。これについて、当時真宗の行者のなかにおいて、真実信心を獲得せしむる人、これすくなし。ただ、人目・仁義ばかりに、名聞のこころをもって報謝と号せば、いかなる志をいたすというとも、一念帰命の真実の信心を決定せざらん人々は、その所詮あるべからず。誠に、水に入りて垢おちずといえるたぐいなるべきか。これによりて、此の一七か日報恩講中において、他力本願のことわりをねんごろにききひらきて、専修一向の念仏行者にならんにいたりては、まことに、今月聖人の御正日の素意に相叶うべし。これしかしながら、真実真実、報恩謝徳の御仏事となりぬべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。 于也、文明九 十一月初比、俄為報恩謝徳染翰記之者也 

御文 第二帖 一通  (お浚えの御文)  そもそも、今度一七か日報恩講のあいだにおいて、多屋内方もそのほかの人も、大略信心を決定し給えるよしきこえたり。めでたく本望これにすぐべからず。 さりながら、そのままうちすて候えば、信心もうせ候うべし。 細々に信心のみぞをさらえて、弥陀の法水をながせといえる事ありげに候う。  (信心が決定したと思っても、そのまま放置すれば失せてしまう。   再々信心の溝をさらえて、弥陀の法水を流しなさい。) それについて、女人の身は、十方三世の諸仏にもすてられたる身にて候うを、阿弥陀如来なればこそ、かたじけなくもたすけましまし候え。そのゆえは、女人の身は、いかに真実心になりたりというとも、うたがいの心はふかくして、また物なんどのいまわしくおもう心は、さらにうせがたくおぼえ候う。ことに在家の身は、世路につけ、また子孫なんどの事によそえても、ただ今生にのみふけりて、これほどに、はやめにみえてあだなる人間界の老少不定のさかいとしりながら、ただいま三塗八難にしずまん事をば、つゆちりほども心にかけずして、いたずらにあかしくらすは、これつねの人のならいなり。あさましというもおろかなり。これによりて、一心一向に弥陀一仏の悲願に帰して、ふかくたのみたてまつりて、もろもろの雑行を修する心をすて、また諸神諸仏に追従もうす心をもみなうちすてて、さて弥陀如来と申すは、かかる我らごときのあさましき女人のためにおこし給える本願なれば、まことに仏智の不思議と信じて、我が身はわろきいたずらものなりとおもいつめて、ふかく如来に帰入する心をもつべし。さてこの信ずる心も念ずる心も、弥陀如来の御方便よりおこさしむるものなりとおもうべし。かようにこころうるを、すなわち他力の信心をえたる人とはいうなり。またこのくらいを、あるいは正定聚に住すとも、滅度にいたるとも、等正覚にいたるとも、弥勒にひとしとも申すなり。またこれを、一念発起の往生さだまりたる人とも申すなり。かくのごとく心えてのうえの称名念仏は、弥陀如来の我らが往生をやすくさだめ給える、その御うれしさの御恩を、報じたてまつる念仏なりと、こころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。  これについて、まず当流のおきてをよくよくまもらせ給うべし。そのいわれは、あいかまえていまのごとく信心のとおりを心え給わば、身中にふかくおさめおきて、他宗他人に対してそのふるまいをみせずして、また信心のようをもかたるべからず。一切の諸神なんどをもわが信ぜぬまでなり、おろかにすべからず。かくのごとく、信心のかたもそのふるまいもよき人をば、聖人も、よく心えたる信心の行者なりとおおせられたり。ただふかくこころをば仏法にとどむべきなり。あなかしこ、あなかしこ。 文明第五、十二月八日、これをかきて当山の多屋内方へまいらせ候う。このほかなおなお不審の事候わば、かさねてとわせたまうべく候う。 所送寒暑 五十八歳御判 のちの代の しるしのために かきおきし のりのことの葉 かたみともなれ

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仰せを蒙りて【アーカイブス 音声・映像データ編】

帰依三宝

2021-04-04
Facebookしんらん響流館さん曰く
「全戦没者追弔法会2021」で焼香される修如上人

報恩ということ

2020-11-15

資料検索のページ 資料室

2022-06-07

★「ともしび」を更新(2022年04月15日)
★「大谷学報」を更新(2022年04月14日)
★「真宗総合研究所紀要」を更新(2022年04月14日)
 「研究所報」を更新(2022年04月14日)
★「大谷大學研究年報」を更新(2022年04月14日)
★「親鸞教学」を更新(2022年04月14日)
★「現代と親鸞」を追加(2022年04月13日)等々

★全ての論文の著作権は著作者と発行団体に所属します。
利用されるときは必ず出典を明記して下さい。

大谷大学キャンパスツアー/第5回親鸞フォーラム-親鸞仏教が開く世界-

2022-08-03
本学の設置母体である真宗大谷派(東本願寺)では、2011年3月19日(土)~5月28日(土)で厳修される「宗祖親鸞聖人750回御遠忌」に向け、「親鸞フォーラム」を開催しています。 今回で第5回を数える「親鸞フォーラム」では、「仏教と生命-いのちのゆくえ-」をテーマとして以下の概要でシンポジウムが開催され、本学より織田顕祐【パネリスト】、木越康【コーディネーター】が参加しましたので、動画でご紹介します。
大谷大学キャンパスツアー/第9回親鸞フォーラム-親鸞仏教が開く世界-
本学の設置母体である真宗大谷派(東本願寺)の真宗会館(東京都練馬区所在)が、2014年8月31日(日)に「親鸞フォーラム」を開催いたしました。 今回で第9回を数えるこの「親鸞フォーラム」において、「生×死×仏教‐私たちに力をあたえるとき‐」をテーマとしてシンポジウムが開催され、本学より木越康教授【コーディネーター】が参加しましたので、動画でご紹介します。
 ○日時  2014年8月31日(日)13:20~16:30 
○会場  六本木アカデミーヒルズ タワーホール  
○全体テーマ  親鸞仏教が開く世界 
○シンポジウムテーマ  生×死×仏教-私たちに力をあたえるとき-
○パネリスト  徳永 進(医師)  天童 荒太(作家)  安冨 信哉(真宗大谷派 教学研究所長) 
○コーディネーター  木越 康(大谷大学教授)
大谷大学キャンパスツアー/第8回親鸞フォーラム-親鸞仏教が開く世界-
 本学の設置母体である真宗大谷派(東本願寺)の真宗会館(東京都練馬区所在)が、2013年6月9日(日)に「親鸞フォーラム」を開催いたしました。

今回で第8回を数えるこの「親鸞フォーラム」において、「震災×経済×仏教-私たちは今、何を問われているのか-」をテーマとしてシンポジウムが開催され、本学より鷲田清一教授【パネリスト】、木越康教授【コーディネーター】が参加しましたので、動画でご紹介します。

○日時
 2013年6月9日(日)13:20~16:30

○会場
 六本木アカデミーヒルズ49 タワーホール 

○全体テーマ
 親鸞仏教が開く世界

○シンポジウムテーマ
 震災×経済×仏教-私たちは今、何を問われているのか-

○パネリスト
 高橋 源一郎(小説家)
 平川 克美(事業家・文筆家)
 鷲田 清一(大谷大学教授)

○コーディネーター
 木越 康(大谷大学教授)


もう一つの近代真宗教学 -宗教としての真宗を求めた人、野々村直太郎-

2022-06-28
木越 康 (大谷大学准教授)
はじめに

おはようございます。大谷大学からまいりました木越と申します。
しばらくの時間ですけれども、最近考えておりますことを少しお話ししたいと思います。

今日の題名は「もう一つの近代真宗教学」です。今日の話は、前回の日曜講演の続きというかたちになっております。昨年度、こちらで「近代化と浄土理解」というテーマでお話をさせていただきました。それは、明治から大正という、日本における近代化過程のなかで、日本人のものの考え方が大きく変わっていくわけですが、そこでは真宗教学もかなりの 影響を受けるわけです。そのことについて、特に「浄土理解」の問題をめぐってお話ししたことです。

明治期以降、浄土理解は、それまでに抱いていたような感覚とは大きく違って捉えられるようになってきました。たくさんの人々が近代的な発想、思索のなかで浄土というものを受け止めていこうと苦労されたわけです。その中で昨年はお2人の方に焦点をしぼって考えました。それは、本願寺派の野々村直太郎という方と、金子大榮先生です。このお2人の先生方の諸説を紹介し、どういうふうに「浄土」を受け止めていこうとされたのかについて尋ねたことです。それについては、『ともしび』(2006年3月号)に掲載していただいておりますので、関心のある方はお読みいただきたいと思います。

今日はその続きであると、先ほどお話しいたしました。しかし、明治から大正、大正から昭和、昭和から平成へと、研究も順調に進んでいけばよかったのですけれども、実は逆に、昭和初期から大正、大正から明治、明治から江戸へと、わたし自身の研究の関心がどんどん時代的には遡ってしまいました。現在は、ちょうど明治の初めぐらいでピタッと止まってしまっている状態です。そして、そこの足下に穴を掘りはじめるという、実に面倒な方向に研究が進んでしまっているわけです。今日はですから、ちょっと後ずさりして掘り下げているところの問題について、また話が途中になりますが、「もう一つの近代真宗教学」というテーマで話をさせていただきたいと思います。



2017年6月2日 交流館17 (2007年6月)2017-09-11 教えにふれる読み物, ともしび, 教えにふれる より
もう一つの近代真宗教学

「もう一つ」という言葉をつけました。これは、「近代真宗教学」と言いますと、まず頭に浮かぶのは、清沢満之先生でしょうか。あるいは、その跡を継いで曽我量深先生や金子大榮先生、そして安田理深先生などが浮かびますでしょうか。そのような清沢先生からはじまる1つの教学の流れがございます。近代教学イコール清沢教学というふうに了解するわけなのですが、今日話題とします「近代真宗教学」というのは、それとはまったく別の流れから生まれたものです。

前回でも注目しましたが、特に野々村直太郎という方に焦点を当てて尋ねていきたいと思っているわけです。まったく別の近代教学であると言いましても、おそらく同じ問題に取り組んでいこうとされた、ある意味、願いは両者に通じるものがあるのだと思っています。清沢先生と同じような願いを持って、しかし違う取り組み方をなされたのが、今日話題とします野々村直太郎だと思うのです。異安心とされて、その伝統は切れてしまいました。しかし、この方を取り上げることによって、当時の時代が求めた真宗、時代が明らかにしようとした宗教というものについて考えていきたいと思うのです。

今日は「宗教としての真宗を求めた人、野々村直太郎」というサブタイトルをつけております。おそらく今、「宗教としての真宗」と言いますと、あまりピンとこないかもしれません。真宗を、説明なしに「宗教」と言おうとすることに対して、違和感や抵抗感がひょっとしたら、あるかもしれません。

しかし、今日お話しさせていただく時代にあっては、「宗教」という言葉が何を指すのか、まだ明確ではありませんでした。「宗教」という言葉、あるいは「宗教」というものが何なのかを探そうとしていた時代です。「宗教」という言葉が少しずつ定着していったのは、明治10年以降と言われます。それまでは「教法」だとか「宗旨」だとか、そういう言葉が使われていました。

ですから、今日のサブテーマ「宗教としての真宗を求めた人」は、今のわれわれの認識からすると、何かよくわからないタイトルになり、抵抗感をも抱いてしまうかも知れませんが、野々村の時代からしますと、ある意味,明確な願いや課題を示すことになると考えています。


『浄土教批判』について

前回と重なる点もございますが、復習をかねて野々村先生について確かめていきます。まず、先生をもっとも有名にしたのが『浄土教批判』という本です。これは、もともとは「浄土教革新論」というタイトルで、大正末に『中外日報』に掲載された論文です。そこで野々村先生は何を主張したのでしょうか。

往生思想を歓迎するの時代はモハヤ恐らく永久に去ったのである。……中略……往生思想は過去の思想であって、モハヤ現代及び将来に容れらるべき思想ではない。(『浄土教批判』)

このように主張されます。往生思想というのは、阿弥陀仏を念じて浄土に往生していくという信仰ですね。阿弥陀さまを念じて、浄土に生まれていこうという信心をたもつ、そういう思想はもう終ったのだと言うわけです。野々村先生は、このような思想は過去の思想であって、現代や将来にはもはや受け入れらないとおっしゃったわけです。

野々村直太郎という方は、明治4年(1871)に島根県に生まれ、明治30年(1897)に東京帝国大学文科大学哲学科を卒業しています。清沢先生の10年後輩になるわけです。卒業して、しばらく東京におられ、明治の末になって龍谷大学に奉職されたようです。当時は仏教大学と言っておりましたけれども、そこで職に就かれ、宗教学を講じておられました。そして、大正12年(1923)に、今のような発言をされ始めたわけです。次のようにも言われます。

真宗は吾人の信心を以て阿弥陀如来への他力回向なりと主張する。果してしからば、この回向の信心のうちには、阿弥陀如来の存在を認むることも、その如来の浄土たる極楽世界の存在を認むることも……中略……すべて是等のものを一々包含しているのであるか。……中略……絶対他力教たる真宗はここに至りて聖道諸宗も遙かに及ばざる難行難修の無理法門たるの外はない。(同上)

信心というのは如来回向の信心であると真宗では言うのだけれども、もしそうならば、回向の主体である阿弥陀如来の存在をまず認めなければいけないではないかと。そして、信心をいただいて浄土に往生するということであるならば、浄土や極楽世界の存在を認めなくてはいけないことになってしまうのではないか、ということです。

大正期は、近代化が進み、近代的な教育が進んでいく時代です。そういうなかで阿弥陀を信じなさい、浄土に生まれたいと念じなさいと主張し続けるならば、聖道門の仏教よりもはるかに難しいものとなってしまう。それを、「難行難修の無理法門」とおっしゃいます。簡単に言うと、阿弥陀仏や浄土は時代に合わないから、説くことを改めようという主張です。

新聞で「浄土教革新論」という論を1月末まで連載し、5月に入るとすぐにそれが『浄土教批判』として出版されました。浄土教の革新という題名で展開した論を、浄土教を批判するという題に変えてしまったわけです。そうしますと、当然、それに対する厳しい反発もくるわけです。

出版された『浄土教批判』は、第1章 封建時代と浄土教、第2章 現代とヒュマニズム、第3章 往生思想は宗教に非ず、第4章 浄土教は何故に宗教なるか(上)、第5章 浄土教は何故に宗教なるか(下)、第6章 過去の宗学と将来の宗学、となっています。ここで宗教という言葉が第3~5章にあります。

実は野々村先生は、自分の心中に、宗教とは何であるのかという概念を、この時すでにはっきりとお持ちなわけです。そしてその上に立って、当時の往生思想を宗教ではないとおっしゃるのです。第1~3章までを、野々村先生は破壊論と呼びます。そして第4~6章を建設論と言います。野々村先生は、宗教というものを大事にし、宗教というものを求めた方なのです。

けれども、そのため逆に、似て非なる宗教を徹底的に洗い出し、払拭していこうとされました。これについては後で詳しくみますが、今簡単に言いますと、『浄土教批判』では、浄土教の非宗教的側面を破壊し、本来の宗教性に基づく姿を再建したいと願われたわけです。
ところが、当然、これは議論を呼ぶわけです。特に阿弥陀や浄土を拒絶するということになりますと、真宗教団そのものを否定するということにもなるわけです。

野々村先生は僧籍をお持ちでした。僧侶であり、しかも宗門の龍谷大学の教員である野々村先生が浄土教批判を展開するわけですから、多くの非難が浴びせられることになるわけです。

論争があった大正12年というのは非常に大事な年でありまして、立教開宗700年をひかえた年でした。立教開宗ということで、親鸞に帰ろうという気運がたかまる時代です。近代化が進んでいくなかで、真宗や宗門を問い直そうという時代であったわけです。同じ頃に金子先生も、「親鸞に帰れ」という主旨の論文を『中外』に書いておられます。

金子先生は、「釈尊入滅の後、七百年たって龍樹が誕生した」とおっしゃいます。そして龍樹が、釈尊の思想を再活性化させたのだと言います。今、われわれは同じく立教開宗の700年を迎えようとしているのであるが、まさに「今龍樹」が望まれているとおっしゃいました。そういうなかで野々村先生は、これからは阿弥陀や浄土を説かない形で浄土真宗を再建しようではないかと主張したわけです。

結論から言いますと、野々村先生の試みは社会的には失敗することになりました。論を書きはじめたのが1月で、5月に出版、しかし8月にはもう僧籍剥奪になります。そして、12月には龍谷大学も依願退職というかたちでお辞めになっておられます。1年で、宗門からも大学からも退かなくてはならなくなりました。

先日、大谷大学で大きな学会がありました。そこで、今からお話をさせていただいく野々村の思想について紹介させていただきました。その折りに、本学の安冨信哉先生からコメントを頂きました。「安田先生は、ご自分の先生は野々村直太郎と曽我量深だとよく言っておられましたよ」とおっしゃったのですね。私は、もう3年ぐらい野々村先生のことを研究しておりますが、安田先生が野々村先生に触れておられたことを知ってはいました。しかし、そこまでのことは知りませんでした。

野々村先生は、最後は立命館大学におられたようですが、そこに安田先生も話を聞きに行っておられたようです。ともかく、たいへん誤解されやすい方ですが、大谷派近代教学に対しても、大切な意味を持つ思索を展開した方だと思うわけです。野々村先生は早くに宗門から退くことになるのですが、今でも名誉回復はされていないのだと、お西の先生からうかがったこともあります。

当時、全員が野々村先生に反対をしたのかというと、実はそうではないのです。多くの方々が賛同もしたわけです。私が大学で学生に野々村先生の話をすると、学生はよく理解できると言うのですね。浄土や阿弥陀を、そういうふうなかたちで一端破壊するという発想が、彼等には理解しやすいのですね。

当時も、少ないですが野々村先生の賛成に回る方もおられました。なかでも、独特なかたちで野々村先生に呼応したのが、梅原真隆という方です。この方はお西の「勧学」になられ、富山大学の学長もなさった方です。教学の最高責任者ですね。梅原先生は、野々村先生について、こうおっしゃっています。

曾つて、かの摂論学派の別時意趣の念仏観を縁として、古今独歩の批判たる善導大師の六字釈があらはれたやうに、この浄土教批判の刺激を受けて真実の浄土教学の建立せられんことを希念せずには居られない。(『親鸞聖人研究』)

別時意趣というのは、念仏をしても救われないという、浄土教に対する批判ですね。その批判に対して、善導大師が六字釈を出されたわけです。「南無」が願であり、「阿弥陀仏」が行だと。南無阿弥陀仏という六字の名号は願行具足であり、往生浄土を願う行であることに間違いないのだ、という主張です。「正信偈」では「善導独明仏正意」とありますが、そういうふうなかたちでお名号を解釈され、念仏を位置づけられたのです。

この善導大師の六字釈は、摂論学派の別時意趣の批判を受けて生まれました。梅原先生は、野々村先生の浄土教批判を契機として、近代において、真宗とは何であるのかということが、いよいよはっきりするはずなのだとおっしゃったのです。野々村先生の浄土教批判は、大事な意味を持つ批判であると梅原先生はみたわけです。
ところが、先ほど言いましたように、残念ながら十分に議論が展開されないまま問題は終息していったわけです。


「宗教科学」という視点

さて、それでは野々村先生が「宗教」というものをどのように考え、浄土教に対して何故このようなことを主張したのでしょうか。
野々村先生は、東京大学で哲学を学びました。清沢先生の10年後輩です。清沢先生のことも、当然知っておられます。ところが、野々村先生は、宗教、あるいは真宗に対して、哲学ではなく「宗教科学」という方法で取り組みました。宗教科学、Science of Religionです。これは今は、ほとんど使わない言葉です。宗教と科学が一緒になるというような言葉ですね。あえて野々村先生は、これをやるのだとおっしゃったのです。なぜ哲学を勉強していた野々村先生が、宗教科学という方法を取るのか。野々村先生は哲学について次のように語ります。

哲学に至りては、科学と大にその固有の面目を異にする。

哲学は科学と違うのだということですね。

即ち哲学は十人十色を以て特質とするが、科学はこれに反して十人一色なるべきを以て精神とする。換言すれば、哲学は個性の発揮を徹底せしむるところに満足があるが、科学は個性の影響を拒絶するところに成功がある。(『宗教学要論』)

哲学は、10人いれば10人の哲学がある。みなさんもそれぞれ哲学という言葉は使わないにしても、「私はこうなのだ」、「私はこう生きるのだ」という人生哲学をお持ちだと思います。それは、他の者が簡単に否定できるものではないわけですね。けれども科学は違う。10人が10人とも納得できる事実を探すのが科学だと。「私はこう思う」ではなく、みんなが間違いないと言える、10人が1つのものを掴まえることが出来るのが科学なのだと言うわけです。そして野々村先生は、そういう「宗教」を見つけたかったわけです。あるいは、そういうものとして「真宗」を明らかにしたかったわけです。

この当時、先ほど言いましたように、宗教とはいったい何かを探している時代であるわけで、たくさんの人がこれこそが宗教だというふうに言い合うわけです。明治以降ですから、信教の自由ということで、多くの新しい宗教も出てきます。そういう中で、哲学によって個の宗教を明らかにすることは、妄信とどこが違うのか、峻別されないわけです。そういう状況をおそらく意識して、あえて非常に冷たい言葉、嫌な言葉なのですけれども、宗教科学という方法を取るわけです。逆に言うと、「私は宗教哲学という方法を取らないのだ」という形で、近代真宗教学を打ち出そうとした、それが野々村でしょうか。それが「もう一つの近代真宗教学」です。大谷派の近代真宗教学というのは、清沢先生の宗教哲学というものを出発点としました。それとまったく違う形で、野々村先生は近代に挑戦したのですね。

野々村直太郎の宗教観(1)

では何を宗教と見ているか。ここが1番大事なところ…次頁へ

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