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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

仏を仏たらしめた法というものは

2021-04-21
釈迦仏が発明したのではない。

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


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仏を仏たらしめた法というものは
釈迦仏が発明したのではない。
発明したのなら法とは言わないのです。
釈迦仏が出遇った。
見出した。
作ったのではないのです。
そういう真理がある。
真理といっても理論的な真理という意味ではない。
本来的な真理です。
われわれが忘れていた真理です

安田理深先生、耳順の頃

2021-05-11
方々が参集されました。

御文です。

2021-04-22
疫癘

自覚するものがあって 自覚しているのではないのです。

2021-04-15
Facebook Yasuda Rizinさん曰く
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鏡がなければ自分を映してみることはできないでしょう。
自分が自分を知っているというのは独断でしょう。
自分に自覚するものがあって
それを自覚すると考えたら
独断になるのです。
自覚するものはないのです。
自覚ということも自覚される。
自覚されるということも自覚していうことである。
自覚するものがあって
自覚しているのではないのです。

Facebook田畑正久先生より

2021-04-15
大分合同新聞医療欄「今を生きる」第392回
大分合同新聞医療欄「今を生きる」第392回
(令和2年12月21日掲載予定)
 医療文化と仏教文化(218)
    二十数年前、母校で医学部新入生に医学入門の一コマを担当していたことがありました。講義の後、教育担当教授が学生に「皆さんは命だけは大事にして下さい」、次いで「一人の医師を育てるのに国民の税金より5千万円かけていますからね」と言われたことが印象に残っています。
    今から60年以上前の米国の名門大学医学部の卒業式で、医学部長が医学生を教育する総コストに対して授業料は「七分の一以下」と概算し、医学生は大きな利益を享受していると指摘して次のように語っています。
    「このような計算は、医師に託したその厚い信義に対して、いつかは諸君が報いてくれるであろうと期待していた人々に、深く頭をたれて感謝の意を表するのもまた当然であることを思わせるに十分であろう」。 そして「いわば諸君は賭けられているのだ」とした上で、「諸君は必ずや自分が受け取ったものを、後に社会へ引き渡す立派な医師であることに多くの人々が賭けているのであるから、どうか諸君、下世話にいう『馬に賭けても人に賭けるな』の実例にならぬように十分に心掛けていただきたいのである」と呼び掛けました。
    医師を養成する大学の卒業式で「馬より劣る人間になるな」と言っているわけです。
    私自身、40歳ごろ新任地に赴任した時、仏教の師からのお手紙の一節に「あなたがしかるべき場所で、しかるべき役割を演ずるということは、今までお育て頂いたことへの報恩行です」という言葉があり、自分の利益だけしか考えていなかったと思いました。これを仏教では餓鬼といいます。間柄に支えられた存在、人間になれてなかった。私になされたご苦労を知る心を全く考慮してない、忘恩の存在であることを指摘されて、「参ったな、南無阿弥陀仏」と懺悔したことがありました。
    仏教は(心が)地獄・餓鬼・畜生の状態を脱して人間になり、そして人間として成長・成熟して菩薩・仏(自利利他円満)になる道を教えているのです
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