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ちょい話【親鸞編】

仰せを蒙りて【文字データ編】

浄土の問題は『観経』ではどうかというと、

2022-06-16
光は空気です。

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


1389
浄土の問題は『観経』ではどうかというと、
韋提希夫人が初めて願に目覚めた時に
「我いま極楽世界の阿弥陀仏の所〈みもと〉に生まれんと楽〈ねが〉う」
と言った。
釈尊はそれまで沈黙を守っていた。
何も答えなかった。
言葉で韋提希を取り扱わない。
光です。
光は空気です。
沈黙の力
1390
夫人の前で釈尊はただ知らん顔していたのではない。
沈黙しておられたのです。
沈黙の力です。
問いには答えなかった。
けれども、答えなかったということは壁ではないのです。
沈黙ということは、
壁という面もあるけれども、
ただの壁ではないのです。
答えない限り壁ですけれども、
勝手にせよというような壁ではない。
何かそこに「空気」というようなものがあったのでしょう。
闇を照らすというのが沈黙の意味です。
1391
闇を照らすというのが沈黙の意味です。
ただ答えなかったわけではないのです。
それはどういうことかというと、自分が出した愚痴が、自分に返ってくる。
ですから答えないのです。
愚痴を取り上げない。
すると言った自分に返ってくるでしょう。
そのことから韋提希は韋提希自身を内観するようになった。
それまでは外を観ていたのです。
Facebook 宮岳文隆さんのコメント
曽我量深先生は、
例えば『曽我量深選集』第三巻中
「『二河喩』と『観経』」等によれば、
全く違う見方をしておられますね。
すなわち、
イダイケの恨みの言葉によって
胸中に大動乱を感じられたのは
釈尊ご自身であって、
答えなかったのではなく
実は一言も発することができなかったのだと
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