メッセージ & 歌
闘いの記録 (戦争と人間)
【教養としての皇室】愛子さま 卒業文集に書かれた広島、そして平和への思い…
2022-08-06
8月6日は「広島原爆の日」。
天皇皇后両陛下と愛子さまは、今年もお住まいで黙祷されたそうです。
今回は愛子さまが中学3年生の時に卒業文集に書かれた作文「世界の平和を願って」を紹介します。
この作文には、修学旅行で訪れた広島・原爆ドームでの体験をもとに、「唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う」とつづられています。
愛子さまの作文に込められた「平和への思い」とは。
日本テレビ報道局の笛吹雅子解説委員がお伝えします。
【原爆の日】こども代表 平和への誓い「本当の強さもてば戦争は起こらない」/被爆77年 広島平和記念式典【字幕
沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読する徳元穂菜さん
2022/06/23 23日の#沖縄全戦没者追悼式 では、沖縄市立山内小学校2年の徳元穂菜さん(7)が「平和の詩」を朗読した。タイトルは「こわいをしって、へいわがわかった」
東友会
2022-12-11
東友会(とうゆうかい)は、東京に住んでいる被爆者が1958年11月16日に結成しました。
その後60年以上、励まし合いながら被爆者と家族のための事業を続けている、東京レベルでただひとつの団体です。
「ふたたびヒロシマ・ナガサキをつくらせない」を合言葉にさまざまな事業やとりくみをつづけています。
1962年4月以来、被爆者の相談事業を東京都知事から委託されています。
一般社団法人東友会に登記したことにより、社団法人東友会が中心的にすすめてきた東京都の業務委託、相談事業、死没者慰霊事業と、東京都原爆被害者協議会がすすめてきた核兵器廃絶、被爆者の諸制度の充実、原爆被害に国の償いを求める運動を統合してすすめることができるようになりました。
一般社団法人東友会に登記したことにより、社団法人東友会が中心的にすすめてきた東京都の業務委託、相談事業、死没者慰霊事業と、東京都原爆被害者協議会がすすめてきた核兵器廃絶、被爆者の諸制度の充実、原爆被害に国の償いを求める運動を統合してすすめることができるようになりました。
こころの時代~宗教・人生~ 被爆者とともに40年歩んで[字] 12/11 (日) 5:00 ~ 6:00 (60分)
番組概要
村田未知子さんは東京の被爆者団体で相談員となって40年。原爆を体験し苦しみに耐えてなお生きる人々に「人間の美しさ」を見るという。被爆者に寄り添う日々を見つめる。
番組詳細
村田未知子さんは東京の被爆者団体で相談員となって今年で40年。都内に暮らす広島・長崎の被爆者やその家族などから年間一万数千件もの健康や法律に関する相談が持ち込まれる。東京生まれの村田さんが人生をかけてこの仕事に取り組むことになったのは、原爆の地獄を体験し、戦後も多くの苦しみに耐えてなお生きる人々に「人間の美しさ」を見たからだという。相談の現場に密着し、被爆者たちに寄り添う村田さんの日々を見つめる。
【出演】被爆者団体相談員…村田未知子
ETV
2022/ 12/11 (日)
2022/ 12/11 (日)
5:00 ~ 6:00 (60分)
【 ガンジーの名言 】
2023-06-03
facebook【 世界に愛と平和を!ガンジーの名言 】さん曰く
「きみたち日本人は腹が立たないのか」
2023-04-22
facebook 澤崎 泰彦さん曰く
「きみたち日本人は腹が立たないのか」チェ・ゲバラは、広島の原爆資料館で憤った。
《妻に宛てた絵はがきで「平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い」と広島訪問を勧めていた。》
国立銀行総裁として、通商代表団を率いての来日。当初のスケジュールでは、広島訪問の予定はなかった。
しかし、8月6日の原爆投下の日を前に、「他の日程をすべて犠牲にしても、原爆慰霊碑に献花したい」というゲバラらの強い願いから予定は変更。フェルナンデス大尉と駐日キューバ大使の2人だけが随行して、大阪から急きょ広島に向かった。交通機関は、夜行列車で行ったという説と、飛行機を利用したという2説がありはっきりしていない。
■県庁職員、ゲバラの問いかけに「ぎくっとした」
ゲバラらが原爆慰霊碑に献花する姿を、中国新聞のカメラマンが撮影している。花を手向けるフェルナンデス大尉の後ろで、戦闘服姿のゲバラはうつむき加減で直立していた。その後、一行は原爆資料館を約1時間かけてじっくりと見学した。
館内のさまざまな原爆被害の陳列品を見る中で、それまで無口だったゲバラが突然、通訳担当の広島県庁職員の見口健蔵氏に英語で問いかけた。
「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」
ゲバラが原爆の惨禍に憤りをみせた瞬間だった。三好徹氏の「チェ・ゲバラ伝 増補版 」(文春文庫)の中で、見口氏は「眼がじつに澄んでいる人だったことが印象的です。そのことをいわれたときも、ぎくっとしたことを覚えています」と回想している。
■「平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い」
広島訪問時、ゲバラは妻のアレイダに宛てて絵はがきを送っている。毎日新聞によると、そこには以下のように書かれていたという。
「私の愛する人。今日は広島、原爆の落とされた街から送ります。原爆慰霊碑には7万8000人の死者の名前があり、合計は18万人と推定されています。平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い。抱擁を。チェ」
ゲバラは1961年にキューバで工業相に就任したが、やがてキューバを離れた。1967年にボリビアでゲリラ活動中、政府軍に射殺された。39歳だった。
ゲバラが原爆の恐ろしさを伝えたこともあり、キューバでは原爆教育に力を入れるようになった。
2017年の産経WESTは「現在でもキューバでは毎年8月6日と9日に国営放送で特番を組み、初等教育で広島、長崎の原爆投下について教えているという」と報じている。
写真エルネスト・チェ・ゲバラの写真
ハフポスト2020年08月06日
「さとうきび畑」
2023-06-03
森山良子「さとうきび畑」(from 『Concert Tour2007-2008』)
さとうきび畑 [特別完全盤]
さとうきび畑 [特別完全盤] · 森山良子 · 寺島尚彦 · 寺島尚彦





