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ヨキヒトの仰せ

お釈迦様の生涯と教え

仏を仏たらしめた法というものは

2021-04-21
釈迦仏が発明したのではない。

Facebook Yasuda Rizinさん曰く


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仏を仏たらしめた法というものは
釈迦仏が発明したのではない。
発明したのなら法とは言わないのです。
釈迦仏が出遇った。
見出した。
作ったのではないのです。
そういう真理がある。
真理といっても理論的な真理という意味ではない。
本来的な真理です。
われわれが忘れていた真理です

ブッダ 最期のことば 1.2.3.4.

2020-06-14

涅槃交響曲

2021-06-08
黛敏郎追悼コンサート:涅槃交響曲
https://youtu.be/IUnAHyZD_d4

作曲:黛敏郎 
指揮:岩城宏之 
演奏:東京交響楽団 東京混声合唱団 
1998年7月2日 サントリーホールにて
https://youtu.be/3NwHcUJNgsU
黛敏郎作曲「スポーツ・ニュースのための音楽」 
「題名のない音楽会」 
特集「スポーツの秋」 
秋山和慶指揮東京交響楽団 
黛敏郎氏のかわいい姿です

黛敏郎 創作の世界


逆なんです

2023-01-08
facebook名言の宝箱 さん曰く
逆なんです
仏教のなかには,
「托鉢」という行があります。
笠をかぶったお坊さんが、
手に鉢をもって家々を回り
お布施を頂くという行です。
お釈迦さまは、
托鉢に向かう弟子たちに、
こう言ったんです。
「お金持ちの家ではなく、
貧しい人たちの家を回って
托鉢をしてきなさい」
普通、
お布施をいただくんですから、
お金持ちのところに行くのが
常識ですよね?
しかし、
お釈迦さまの思いは
別のところにありました。
貧しい人がなぜ貧しいのか。
それは、
自分のためにしか
お金を使わないからであり
その人たちに
与える喜びを味わってもらう
機会を生みだすのが、
托鉢の真の目的だったのです。
友人の絵本作家の 
のぶみさんが
こう教えてくれました。
「神社のご神体が鏡なのは、
なんでだと思いますか?
鏡は、
『この世界はすべて逆なのだ』
ということを教えてくれているんです。
鏡に映すと、
右と左が逆になるように。
神社では、
お願いをしにくる人の願いが
叶うんじゃなくて、
神様の願いを
聞きにきてくれる人の願いが
叶うんです。
逆なんです。
神社で売られている
お守りもそう。
お守りに守ってもらおう
と頼る人が守られるのではなく、
このお守りを守ろう守ろう、
大切にしよう
と思う人が守られる。
逆なんです。
神様の願いを
聞きにきてくれる人というのは、
自分の願いだけを言いに来る人
ではなく、
みんなの幸せを願いにくる人
だそうです。
だから、のぶみさんは
神社ではこう祈っているそう。
「神様のお手伝いが
できますように。
日本が ちょっとでも
良くなるように、
がんばりますから」

《仏道をならふといふは、自己 をならふなり》 道元禅師

2023-01-06
《仏道をならふといふは、自己 
     をならふなり》 道元禅師
仏教を学ぶということは、 
自分とは何かという問いに対する答えを得るということです。本当の自己の発見です。見せかけの自己、うわべだけの自分というものの理解じゃなくて
自己そのものの正体の発見です。
その自己そのものの正体というのは、我々には、非常に深く隠れているんです
自分というものの正体は、 
絶対に自分の力ではわからないんですね
自分というものの正体は、道元の場合でも、親鸞聖人の場合でも、
仏の光に遇(あ)わなければ見えないものなんです。
 大峯顕師
  今日の宗教の可能性より.79頁
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