学校体育
旗印
東京六大学第一応援歌特集
明治大学校歌
【歌詞付き】早稲田大学「紺碧の空」
関学応援歌
若き血(歌詞字幕付き)
早慶戦
4/16早慶レガッタ 学生必見「ザ・早慶戦」熱い応援が3年ぶり復活
三大早慶戦(野球・ラグビー・ボート)の一つと言われ、118年の歴史を誇る第92 回「早慶レガッタ(早慶対校競漕大会)」が4月16日(日)、東京・台東区の隅田川で開催されます。2023年度はこれまで自粛していた従来通りの応援が解禁され、有観客での往年の活気が戻ってくることが期待されます。
ゴールとなる桜橋までの3,750メートルのコースを舞台に、速さを競うメインレース「対校エイト」など、多くのレースが行われます。過去の対戦成績は早稲田大学が48勝、慶應義塾大学が41勝、同着1回。
早稲田の応援文化に触れることができる貴重な機会となります。早大生だからこそ経験できる、慶應義塾大学との切磋琢磨し合うライバル関係。熱すぎる展開、盛り上がる応援。「伝統の早慶戦」で部員学生が悔し涙、嬉し涙を流す理由は何なのか? 学生の皆さんは、是非現地に足を運び、漕艇部が真剣勝負に挑んでいる姿を見て、体感してみてください。
競技スポーツセンターは当日、早大生を対象とした早慶レガッタ応援ツアーを開催します。漕艇部員が見どころを紹介するレクチャーもあります。是非、ご参加ください。
アメフト
瀕死の不死鳥は・・・?
大会記録に迫る猛攻
アメリカンフットボール全日本大学選手権決勝「毎日甲子園ボウル」(17日、阪神甲子園球場)
○関学大61―21法大●
40点差をつける快勝で関学大が史上初の6連覇を達成した。流れを引き寄せたのはQB星野秀太(2年・足立学園)を中心とするオフェンス陣だった。
ランを得意とする司令塔だが、序盤は今季磨きを掛けてきたパスでヤードを稼ぐ。裏をかく攻撃でリズムを作り、見せ場は敵陣深くに入った第1クオーター中盤。味方の力強いブロックで走路ができると、自ら相手守備陣の間を縫って走り込んだ。「みんなのおかげだった」と星野。先制となる18ヤードのTDランを決め、ボールを高々と掲げて喜んだ。
駅伝
【箱根駅伝丸わかりガイド2022】往復総合結果グラフ動画
箱根駅伝2022を制したのは青山学院大学!2年ぶり6度目の箱根制覇。
しかも大会新記録!
第98回東京箱根間往復大学駅伝競走、その結果をグラフ動画でお届けします。
Yahoo! JAPANでは2022年1月2日・3日開催の「箱根駅伝」を楽しむための特設サイトを公開中!
知っているようで意外と知らない箱根駅伝のアレコレ。
これさえ押さえれば、観戦が100倍楽しくなる!?
「仕事は?家はどうするの?」
原晋監督、そして学生たちを支えるのが、寮母を務める原美穂さんだ。寮母という立場から青学の強さの秘密を解き明かす、原美穂さん著『フツーの主婦が、弱かった青山学院大学陸上競技部の寮母になって箱根駅伝で常連校になるまでを支えた39の言葉』(アスコム刊)から、「夫が青学監督になった日」に関する章を抜粋して紹介します(全3回の1回目/#2、#3につづく)。
「申し訳ない…」青学大“走れなかったキャプテン”が泣いた日
青山学院大学の町田寮では、箱根駅伝に向けて全体ミーティングが行われていた。
今季、出雲5位、全日本2位。しかし、前回の箱根駅伝の4区から、駒澤にずっと先頭を走られている。21区間連続首位を許し、青山学院として見せ場を作れていない。「駒澤本命」は揺るぎのないものだった。
原監督「準優勝でもいいんですよ」
青学大が学生を「記録優先」でスカウトしていた頃
今年も箱根駅伝が開幕する。前回大会で駒澤大に王座を明け渡した青山学院大は、どのような逆襲の走りを見せるだろうか。
原晋監督、そして学生たちを支えるのが、寮母を務める原美穂さんだ。寮母という立場から青学の強さの秘密を解き明かす、原美穂さん著『フツーの主婦が、弱かった青山学院大学陸上競技部の寮母になって箱根駅伝で常連校になるまでを支えた39の言葉』(アスコム刊)から、「監督就任3年目の苦悩とスカウティング」に関する章を抜粋して紹介します(全3回の2回目/#3につづく)。
青学大、1区「9位」からの逆転劇
1月2日、8時50分過ぎ。2区のランナーが待つ鶴見中継所近く、公園を貸し切って作られた待機エリア。陽が一瞬差し込んだ公園の一角で、スマホを手にした記者が誰にともなくつぶやく。
「これは、もう決まったな」
1区で「22区間連続首位」をキープした駒澤大
視線の先には2位駿河台大のS・レマイヤンを突き放す駒澤大学・篠原倖太朗の姿があった。3番手につけた青学大2年の荒巻朋熙はやや苦しげな表情を浮かべながら、日本大学・西村翔太(4年)が先導する4位集団に飲み込まれていく。9時1分、篠原は一足先に2区鈴木芽吹(4年)へ襷を渡す。中継所に日本テレビの実況アナウンサーの叫び声が響く。
神宮
全日本大学野球選手権大会の歴代優勝回数ランキング
大学野球日本一を決める第72回全日本大学野球選手権大会は、6月11日に明治神宮野球場で決勝が行われ、青山学院大(東都)が18年ぶり5回目の優勝を果たした。全国各地域の春季リーグ優勝チームが戦う大学野球最高峰のタイトル。1952年に行われた第1回大会以降、歴代優勝回数ランキングの上位校を紹介する。
歴代最多の優勝8回を数えるのが法政大学(東京六大学)。初優勝は第9回大会(1960年)で、延長14回の末、同志社大学を2-1で下した。 その後も大学球界の雄として活躍し、2009年に8度目の優勝を飾った。
歴史のある法政大学はプロ野球に多くの人材を輩出。「法政三羽烏」と呼ばれた田淵幸一氏、山本浩二氏、富田勝氏は1968年の全日本選手権で優勝し、3選手とも同年ドラフト1位でプロ入りした。また、東京六大学最多の48勝を挙げた山中正竹氏、歴代2位の47勝を挙げた江川卓氏は、いずれも法政大学だった。
慶大・渡辺憩 初打席代打サヨナラ弾!
◇東京六大学野球・第3週最終日 慶大2―1法大(2024年4月29日 神宮)
新人がリーグ史上初の快挙で劇勝を呼んだ。慶大・渡辺憩捕手(1年)が29日、法大戦の1―1の延長12回1死走者なしから代打出場し、左越えソロ。100年目を迎えたリーグ戦では史上初の「初打席代打サヨナラ本塁打」となった。昨夏の甲子園では、慶応(神奈川)の捕手として107年ぶりの優勝に貢献。1年生の華々しい神宮デビューにより2―1で勝利したチームは、2勝1敗で勝ち点を2とした。
「KEIO」が107年ぶりに甲子園を制した夏から250日。渡辺憩が再び歴史の扉を開いた。引き分け寸前だった延長12回1死走者なしから代打で初出場。カウント3―1から外角高め直球を捉えると、左翼手は一歩も動くことなく頭上の打球を見送った。白い歯を光らせダイヤモンドを一周。本塁付近で仲間からの手荒な祝福が待っていた。
引退の斎藤佑樹氏 学生野球の指導に意欲
春の椿事
東大・井手峻監督 プロでは「1勝、1本塁打」コーチ、フロント、球団代表も務めた苦労人…うれしい母校での勝利
落合打撃かもらヒント!落合打撃からもヒント!
高校の部
第103回全国高等学校ラグビーフットボール大会
全国高校駅伝 2023 女子【全記録】神村学園 5年ぶり2回目の優勝
甲子園
栄冠は君に輝く ~全国高等学校野球選手権大会の歌~
卓球女子の2012年ロンドン五輪団体銀メダリストの平野早矢香さん(37)が22日、自身のインスタグラムを更新。母校・仙台育英が全国高校野球選手権大会で初優勝したことに対して、感謝と喜びをつづった。
卒業生の平野さんは「仙台育英!甲子園初優勝 東北勢の初制覇 おめでとうございますーーーーー!!!!」と記した。続けて「決勝戦、両チームとも投手陣が素晴らしい中でエラーもなく、観ていて素晴らしい試合だと思いました その中でもちょっとしたチャンスを全てものにした仙台育英!! 監督や選手のインタビューも素晴らしく、卒業生として誇らしいです 卒業生内でももちろん盛り上がりましたが、多くの方から私宛にお祝いメッセージもいただいちゃって 嬉しいですね!!選手やスタッフそして関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした 感動をありがとうございました」と、喜びとともに母校への感謝をつづった
「球史ここに始まる」
阪急電鉄の豊中駅から住宅街を10分ほど歩くと、「高校野球発祥の地記念公園」と書かれた広場が現れる。車の進入を防止するポールの上部は野球のボール、ベンチはホームベースの形だ。広場の中心には、れんが造りの壁にレリーフが飾られている。
「球史ここに始まる」。こううたうレリーフには、はかま姿の男性がボールを投げる姿が描かれている。第1回全国中等学校優勝野球大会の主催者である大阪朝日新聞社の村山龍平社長(当時)だ。
現在の夏の甲子園につながるこの大会は、ここにあった豊中運動場で1915年に開かれた。箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が「鉄道利用を促進する集客施設の一つ」(阪急文化財団学芸員の正木喜勝さん)として13年5月に整備した。観客席に傾斜をつけるために土を盛り、レンガ塀で留めていた。鉄道会社らしく線路の枕木を使って観客席をつくっていたこともある。
13年8月には水野兄弟商会(現ミズノ)が第1回関西学生連合野球大会を豊中で開催、京阪神の中等学校20校が参加した。その後、野球人気が高まり、大阪朝日新聞社の主催で全国中等学校優勝野球大会へと発展した。
第1回大会には、東北から九州まで73校による予選などを勝ち抜いた代表10校が参加。京都二中(現鳥羽高校)が初代優勝校に輝いた。第2回大会では、慶応普通部(現慶応義塾高校)と、早稲田大学野球部への進学者が多かった大阪の市岡中学(現市岡高校)の「早慶戦」が実現した。
大衆娯楽に詳しい関西大学の永井良和教授は「ライバル校の対決構図がうまく作られ、ファンを獲得した」と話す。各地区を勝ち上がった学校が東京や大阪の代表に勝利する姿も地方での人気につながった。
正木さんの計算では、混雑した電車並みに人が入ると、豊中運動場の収容人数は1万9000人程度。観客が増え手狭になった第3回大会から西宮市の鳴尾球場に移り、24年から甲子園で開催するようになった。ともに阪神電気鉄道が運営していた。
阪急は「宝塚の総合娯楽施設化」(正木さん)を目指し、沿線の娯楽施設を集めた。22年に宝塚運動場を整備すると、豊中はその役目を終え、住宅地に生まれ変わった。
阪急は宝塚を使って高校野球の開催地を取り戻そうとしなかったのか。永井教授は「画策はしていたと思う。宝塚でプロ野球チームを引き受けたがうまくいかず、及び腰になったのでは」とみている。
その後、宝塚は36年に結成した大阪阪急野球協会(のちの阪急ブレーブス、現オリックス・バファローズ)の本拠地として使われたが、37年に西宮球場ができると、その役割を譲った。
豊中の跡地の一部は88年に第70回大会を記念し、「高校野球メモリアルパーク」として整備された。2017年には「高校野球発祥の地記念公園」にリニューアルオープン。当時の門柱やレンガ塀を再現した。
19年の夏の甲子園は16日間で84万人が来場するほど、人気のスポーツになった。永井教授は「狭い豊中運動場が満員になったことが一つの宣伝効果になったのでは。初めから甲子園での開催だったら観客が入らず続かなかったかもしれない」と話す。
今年は新型コロナウイルス禍で無観客となった甲子園。豊中の住宅地から始まった満員の大会が待ち遠しい。(高崎雄太郎)
NHK高校野球テーマソング 福山雅治「甲子園」
侍ジャパンU―18が悲願の世界一
◇10日 U―18野球W杯決勝 日本2―1台湾(台北・天母野球場)
日本が開催地・台湾に競り勝ち、悲願の大会初優勝を飾った。
日本は先発の前田(大阪桐蔭)が初回に先制を許したが、4回には丸田(慶応)の犠打が内野安打となり一、三塁の場面で高中(聖光学院)のスクイズを相手が失策する間に2人がホームインして逆転。前田は7イニングを4安打1失点で完投、台湾の追撃を封じた。