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東京六大学第一応援歌特集
明治大学校歌
【歌詞付き】早稲田大学「紺碧の空」
関学応援歌
若き血(歌詞字幕付き)
早慶戦
『あっ、いいボールが行きました、見事な投球‼️』
清原和博氏(54)の長男、清原正吾内野手(2年=慶応)は、背番号5で「4番・一塁」に名を連ねた。
<東京6大学野球フレッシュトーナメント:慶大-法大>◇Bブロック第1日◇30日◇神宮
慶大のスタメンが発表され、プロ通算525本塁打の清原和博氏(54)の長男、清原正吾内野手(2年=慶応)は、背番号5で「4番・一塁」に名を連ねた。
元広島の前田智徳氏(50)の次男・前田晃宏投手(1年=慶応)もベンチメンバーに入った
㊗優勝!!
早稲田優勝です。
早慶戦2023 二題
ラグビー
早実高、ラグビー発祥校から生誕200年記念大会へ招待
ラグビー生誕200年となる来年、競技発祥の地である英国のパブリックスクール「ラグビー校」で計画されている18歳以下のチームによる国際記念大会に早稲田実業高校(東京)が招かれていることが3日、分かった。同高ラグビー部の大谷寛(かん)ヘッドコーチは「大変光栄なこと。しっかり結果を出すとともに、いろいろな人たちと交流し、全世界に友情を広げたい」と意気込んでいる。(橋本謙太郎)
ラグビーは1823年、イングランド中部ウォリックシャーにある名門ラグビー校で、フットボールをしていたウェブ・エリス少年が、ボールを持って走ったことが起源といわれる。
競技生誕200年を記念し、来年3月にラグビー校で18歳以下の選手による7人制の国際大会が計画されたという。オーストラリア▽カナダ▽日本▽ニュージーランド▽南アフリカ▽イングランド▽スコットランド▽アイルランド▽ウェールズなどのチームが出場する見通しで、日本からは早実高が招待された。
早稲田大教育・総合科学学術院の藁谷(わらがい)友紀(ともき)教授が早実の校長を務めていた2016年、国際交流のさらなる充実を目的にラグビー校と学術交流協定を締結。2017年度からラグビー校に中学生らが留学するようになった。また、2019年3月には早実高ラグビー部が英国に遠征し、ラグビー校とも対戦。そうした交流もあり、大会への招待につながったとみられる。
早実高ラグビー部では、競技の歴史を学ぶなど今回の機会を最大限に生かして遠征に臨む方針。藁谷教授は「多様性の尊重がこれからの社会ではさらに求められる。自分たちの知らない社会や文化があり、そこに自分たちと同じような若い人がいることを実感し、そのことを学ぶ機会にしてほしい」と話している。
【2023年度新任コーチスタッフのお知らせ】
《第59回全国大学ラグビーフットボール選手権大会 決勝 帝京大学戦》
秩父宮での試合、フルタイム、紫紺のジャジーが、エンジの陣地で暴れまわりました。
《Next Game》 1/8(日)決勝戦 @国立競技場
◇ラグビー 全国大学選手権・決勝 帝京73ー20早稲田(8日・国立競技場)
3大会ぶりの優勝を目指した早大は、帝京大に11トライ73点を奪われ完敗した。就任2季目の大田尾竜彦監督は「こういう展開になってしまったのは僕の責任。力のなさを痛感した」と振り返った。
開始2分でノーホイッスルトライで先制を許し、セットプレーからのサインプレーで2トライを返して12―7と逆転したが、すぐに連続攻撃からトライを返された。相手よりも多い枚数をかけて粘って守っても、ずるずると後退。フランカー相良昌彦主将は「相手が2枚できたところを自分たちは3、4枚かけていた。そういう感じで互角に見えていたが、互角ではなかったということ」と振り返る。大田尾監督も「(帝京大から)ボールを取れる気がしなかった。キープ力がかなり違った」と戦況を見ていた。
接点で食い込まれ、徐々にゲインラインを突破される回数が増え、注意が内側に向くと今度は大外を破られた。相良は「FWだけじゃなくBKもすごかった印象。どこからでもトライが取れるチームだった」とたたえるしかなかった。
前回決勝進出した20年度で天理大に喫した55失点を上回る、決勝最多失点とダメージは大きい。大田尾監督は「フィジカルは注力して戦えるようになっているが、特に防御で鋭さが足りない。(就任後)攻撃にかなり比重を置いて練習してきたが、極端な何かを仕掛けないといけないと思う。選手もショックだと思うが、それでも何か得られるものを探して、ダメだったけれど残してくれたものとか、手にいれたものにフォーカス当てていくしかないと思う」と立て直し策を思案していた。
アメフト
瀕死の不死鳥は・・・?
大会記録に迫る猛攻
アメリカンフットボール全日本大学選手権決勝「毎日甲子園ボウル」(17日、阪神甲子園球場)
○関学大61―21法大●
40点差をつける快勝で関学大が史上初の6連覇を達成した。流れを引き寄せたのはQB星野秀太(2年・足立学園)を中心とするオフェンス陣だった。
ランを得意とする司令塔だが、序盤は今季磨きを掛けてきたパスでヤードを稼ぐ。裏をかく攻撃でリズムを作り、見せ場は敵陣深くに入った第1クオーター中盤。味方の力強いブロックで走路ができると、自ら相手守備陣の間を縫って走り込んだ。「みんなのおかげだった」と星野。先制となる18ヤードのTDランを決め、ボールを高々と掲げて喜んだ。
駅伝
順天堂大・三浦龍司(21歳)が見据える箱根駅伝
今年8月にハンガリー・ブダペストで開催された世界陸上選手権。数々の日本選手が活躍を見せた中に、また一つ、歴史を刻んだ選手がいる。3000m障害の三浦龍司だ。6位入賞を果たしたがこれは同種目で日本史上初。2021年の東京五輪でもやはり日本史上初の入賞となる7位となっており、あらためて世界の上位に伍していける地力を示した。「東京はある意味、勢いで残せた成績だと思うんですけど、今回は自分の走りや能力に自覚を持った上での成績なので、明らかに地力もついたなって思えます」
と手ごたえを語る。
地力の向上を感じているのは、次の言葉にも表れている。
【陸上】2年連続で箱根逃した拓大、男子新監督に井上浩氏が就任
拓殖大は25日、男子陸上部の新監督に4月1日から井上浩氏(60)が就任すると発表した。山下拓郎監督は3月末日をもって退任する。
井上浩氏は駒澤大時代に4年連続で箱根駅伝を走り、実業団の安川電機でも選手として活躍。その後、大分東明高に赴任し、男女駅伝部監督を34年間務め、同校を全国高校駅伝の強豪校に育てた。拓大はここ2年連続で箱根駅伝の本戦出場を逃しており、の手腕に再建が託された。
【箱根駅伝予選会】
◇第100回東京箱根間往復大学駅伝予選会(2023年10月14日 陸上自衛隊立川駐屯地―国営昭和記念公園21・0975キロ)
全国に門戸が開かれた第100回箱根駅伝予選会が14日に行われ、前回大会で55年ぶり出場を果たした立大が6位に入り、2年連続の切符を手に入れた。
第99回箱根駅伝の結果
神宮
全日本大学野球選手権大会の歴代優勝回数ランキング
大学野球日本一を決める第72回全日本大学野球選手権大会は、6月11日に明治神宮野球場で決勝が行われ、青山学院大(東都)が18年ぶり5回目の優勝を果たした。全国各地域の春季リーグ優勝チームが戦う大学野球最高峰のタイトル。1952年に行われた第1回大会以降、歴代優勝回数ランキングの上位校を紹介する。
歴代最多の優勝8回を数えるのが法政大学(東京六大学)。初優勝は第9回大会(1960年)で、延長14回の末、同志社大学を2-1で下した。 その後も大学球界の雄として活躍し、2009年に8度目の優勝を飾った。
歴史のある法政大学はプロ野球に多くの人材を輩出。「法政三羽烏」と呼ばれた田淵幸一氏、山本浩二氏、富田勝氏は1968年の全日本選手権で優勝し、3選手とも同年ドラフト1位でプロ入りした。また、東京六大学最多の48勝を挙げた山中正竹氏、歴代2位の47勝を挙げた江川卓氏は、いずれも法政大学だった。
慶大・渡辺憩 初打席代打サヨナラ弾!
◇東京六大学野球・第3週最終日 慶大2―1法大(2024年4月29日 神宮)
新人がリーグ史上初の快挙で劇勝を呼んだ。慶大・渡辺憩捕手(1年)が29日、法大戦の1―1の延長12回1死走者なしから代打出場し、左越えソロ。100年目を迎えたリーグ戦では史上初の「初打席代打サヨナラ本塁打」となった。昨夏の甲子園では、慶応(神奈川)の捕手として107年ぶりの優勝に貢献。1年生の華々しい神宮デビューにより2―1で勝利したチームは、2勝1敗で勝ち点を2とした。
「KEIO」が107年ぶりに甲子園を制した夏から250日。渡辺憩が再び歴史の扉を開いた。引き分け寸前だった延長12回1死走者なしから代打で初出場。カウント3―1から外角高め直球を捉えると、左翼手は一歩も動くことなく頭上の打球を見送った。白い歯を光らせダイヤモンドを一周。本塁付近で仲間からの手荒な祝福が待っていた。
引退の斎藤佑樹氏 学生野球の指導に意欲
春の椿事
東大・井手峻監督 プロでは「1勝、1本塁打」コーチ、フロント、球団代表も務めた苦労人…うれしい母校での勝利
落合打撃かもらヒント!落合打撃からもヒント!
高校の部
第103回全国高等学校ラグビーフットボール大会
全国高校駅伝 2023 女子【全記録】神村学園 5年ぶり2回目の優勝
甲子園
栄冠は君に輝く ~全国高等学校野球選手権大会の歌~
卓球女子の2012年ロンドン五輪団体銀メダリストの平野早矢香さん(37)が22日、自身のインスタグラムを更新。母校・仙台育英が全国高校野球選手権大会で初優勝したことに対して、感謝と喜びをつづった。
卒業生の平野さんは「仙台育英!甲子園初優勝 東北勢の初制覇 おめでとうございますーーーーー!!!!」と記した。続けて「決勝戦、両チームとも投手陣が素晴らしい中でエラーもなく、観ていて素晴らしい試合だと思いました その中でもちょっとしたチャンスを全てものにした仙台育英!! 監督や選手のインタビューも素晴らしく、卒業生として誇らしいです 卒業生内でももちろん盛り上がりましたが、多くの方から私宛にお祝いメッセージもいただいちゃって 嬉しいですね!!選手やスタッフそして関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした 感動をありがとうございました」と、喜びとともに母校への感謝をつづった
「球史ここに始まる」
阪急電鉄の豊中駅から住宅街を10分ほど歩くと、「高校野球発祥の地記念公園」と書かれた広場が現れる。車の進入を防止するポールの上部は野球のボール、ベンチはホームベースの形だ。広場の中心には、れんが造りの壁にレリーフが飾られている。
「球史ここに始まる」。こううたうレリーフには、はかま姿の男性がボールを投げる姿が描かれている。第1回全国中等学校優勝野球大会の主催者である大阪朝日新聞社の村山龍平社長(当時)だ。
現在の夏の甲子園につながるこの大会は、ここにあった豊中運動場で1915年に開かれた。箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が「鉄道利用を促進する集客施設の一つ」(阪急文化財団学芸員の正木喜勝さん)として13年5月に整備した。観客席に傾斜をつけるために土を盛り、レンガ塀で留めていた。鉄道会社らしく線路の枕木を使って観客席をつくっていたこともある。
13年8月には水野兄弟商会(現ミズノ)が第1回関西学生連合野球大会を豊中で開催、京阪神の中等学校20校が参加した。その後、野球人気が高まり、大阪朝日新聞社の主催で全国中等学校優勝野球大会へと発展した。
第1回大会には、東北から九州まで73校による予選などを勝ち抜いた代表10校が参加。京都二中(現鳥羽高校)が初代優勝校に輝いた。第2回大会では、慶応普通部(現慶応義塾高校)と、早稲田大学野球部への進学者が多かった大阪の市岡中学(現市岡高校)の「早慶戦」が実現した。
大衆娯楽に詳しい関西大学の永井良和教授は「ライバル校の対決構図がうまく作られ、ファンを獲得した」と話す。各地区を勝ち上がった学校が東京や大阪の代表に勝利する姿も地方での人気につながった。
正木さんの計算では、混雑した電車並みに人が入ると、豊中運動場の収容人数は1万9000人程度。観客が増え手狭になった第3回大会から西宮市の鳴尾球場に移り、24年から甲子園で開催するようになった。ともに阪神電気鉄道が運営していた。
阪急は「宝塚の総合娯楽施設化」(正木さん)を目指し、沿線の娯楽施設を集めた。22年に宝塚運動場を整備すると、豊中はその役目を終え、住宅地に生まれ変わった。
阪急は宝塚を使って高校野球の開催地を取り戻そうとしなかったのか。永井教授は「画策はしていたと思う。宝塚でプロ野球チームを引き受けたがうまくいかず、及び腰になったのでは」とみている。
その後、宝塚は36年に結成した大阪阪急野球協会(のちの阪急ブレーブス、現オリックス・バファローズ)の本拠地として使われたが、37年に西宮球場ができると、その役割を譲った。
豊中の跡地の一部は88年に第70回大会を記念し、「高校野球メモリアルパーク」として整備された。2017年には「高校野球発祥の地記念公園」にリニューアルオープン。当時の門柱やレンガ塀を再現した。
19年の夏の甲子園は16日間で84万人が来場するほど、人気のスポーツになった。永井教授は「狭い豊中運動場が満員になったことが一つの宣伝効果になったのでは。初めから甲子園での開催だったら観客が入らず続かなかったかもしれない」と話す。
今年は新型コロナウイルス禍で無観客となった甲子園。豊中の住宅地から始まった満員の大会が待ち遠しい。(高崎雄太郎)
NHK高校野球テーマソング 福山雅治「甲子園」
侍ジャパンU―18が悲願の世界一
◇10日 U―18野球W杯決勝 日本2―1台湾(台北・天母野球場)
日本が開催地・台湾に競り勝ち、悲願の大会初優勝を飾った。
日本は先発の前田(大阪桐蔭)が初回に先制を許したが、4回には丸田(慶応)の犠打が内野安打となり一、三塁の場面で高中(聖光学院)のスクイズを相手が失策する間に2人がホームインして逆転。前田は7イニングを4安打1失点で完投、台湾の追撃を封じた。