学校体育
旗印
東京六大学第一応援歌特集
明治大学校歌
【歌詞付き】早稲田大学「紺碧の空」
関学応援歌
若き血(歌詞字幕付き)
早慶戦
父と母 for 私
清原和博氏が高校時代に過ごした大阪のPL学園と、その長男である正吾が幼稚舎(小学校)より過ごし、政治家や財界人、芸能人の二世も多く通う慶應は、何もかもが対極に位置する学校といっていい。
慶應義塾大学のレジェンドOBが語る100回目の早慶戦
慶應義塾大学応援指導部(チアリーディング部・吹奏楽団)
【2023秋リーグ 早慶戦】
早慶戦2023年春
ラグビー
早実高、ラグビー発祥校から生誕200年記念大会へ招待
ラグビー生誕200年となる来年、競技発祥の地である英国のパブリックスクール「ラグビー校」で計画されている18歳以下のチームによる国際記念大会に早稲田実業高校(東京)が招かれていることが3日、分かった。同高ラグビー部の大谷寛(かん)ヘッドコーチは「大変光栄なこと。しっかり結果を出すとともに、いろいろな人たちと交流し、全世界に友情を広げたい」と意気込んでいる。(橋本謙太郎)
ラグビーは1823年、イングランド中部ウォリックシャーにある名門ラグビー校で、フットボールをしていたウェブ・エリス少年が、ボールを持って走ったことが起源といわれる。
競技生誕200年を記念し、来年3月にラグビー校で18歳以下の選手による7人制の国際大会が計画されたという。オーストラリア▽カナダ▽日本▽ニュージーランド▽南アフリカ▽イングランド▽スコットランド▽アイルランド▽ウェールズなどのチームが出場する見通しで、日本からは早実高が招待された。
早稲田大教育・総合科学学術院の藁谷(わらがい)友紀(ともき)教授が早実の校長を務めていた2016年、国際交流のさらなる充実を目的にラグビー校と学術交流協定を締結。2017年度からラグビー校に中学生らが留学するようになった。また、2019年3月には早実高ラグビー部が英国に遠征し、ラグビー校とも対戦。そうした交流もあり、大会への招待につながったとみられる。
早実高ラグビー部では、競技の歴史を学ぶなど今回の機会を最大限に生かして遠征に臨む方針。藁谷教授は「多様性の尊重がこれからの社会ではさらに求められる。自分たちの知らない社会や文化があり、そこに自分たちと同じような若い人がいることを実感し、そのことを学ぶ機会にしてほしい」と話している。
【2023年度新任コーチスタッフのお知らせ】
《第59回全国大学ラグビーフットボール選手権大会 決勝 帝京大学戦》
秩父宮での試合、フルタイム、紫紺のジャジーが、エンジの陣地で暴れまわりました。
《Next Game》 1/8(日)決勝戦 @国立競技場
◇ラグビー 全国大学選手権・決勝 帝京73ー20早稲田(8日・国立競技場)
3大会ぶりの優勝を目指した早大は、帝京大に11トライ73点を奪われ完敗した。就任2季目の大田尾竜彦監督は「こういう展開になってしまったのは僕の責任。力のなさを痛感した」と振り返った。
開始2分でノーホイッスルトライで先制を許し、セットプレーからのサインプレーで2トライを返して12―7と逆転したが、すぐに連続攻撃からトライを返された。相手よりも多い枚数をかけて粘って守っても、ずるずると後退。フランカー相良昌彦主将は「相手が2枚できたところを自分たちは3、4枚かけていた。そういう感じで互角に見えていたが、互角ではなかったということ」と振り返る。大田尾監督も「(帝京大から)ボールを取れる気がしなかった。キープ力がかなり違った」と戦況を見ていた。
接点で食い込まれ、徐々にゲインラインを突破される回数が増え、注意が内側に向くと今度は大外を破られた。相良は「FWだけじゃなくBKもすごかった印象。どこからでもトライが取れるチームだった」とたたえるしかなかった。
前回決勝進出した20年度で天理大に喫した55失点を上回る、決勝最多失点とダメージは大きい。大田尾監督は「フィジカルは注力して戦えるようになっているが、特に防御で鋭さが足りない。(就任後)攻撃にかなり比重を置いて練習してきたが、極端な何かを仕掛けないといけないと思う。選手もショックだと思うが、それでも何か得られるものを探して、ダメだったけれど残してくれたものとか、手にいれたものにフォーカス当てていくしかないと思う」と立て直し策を思案していた。
アメフト
早大米式蹴球部(アメフト) 2023年度 ユニフォームスポンサーが決定
早稲田大学競技スポーツセンター(東京都新宿区、所長:石井昌幸)は、本学米式蹴球部(アメリカンフットボール)(愛称:BIG BEARS)のユニフォームにロゴを掲示する2023年度のスポンサーとして、「メルセデス・ベンツ日本株式会社」様と「株式会社メガテック」様、「株式会社住ゴム産業(住友ゴムグループ)」様の3社からご支援いただくことになりましたことをお知らせ致します。
関東学生アメリカンフットボール連盟では2021年度より、歴史上初めてユニフォームへのスポンサーロゴ提示が認められ、米式蹴球部は2021年度から同連盟主催の公式戦でスポンサーロゴ入りユニフォームを着用しています。
関東大学アメリカンフットボールリーグ1部リーグTOP8・BIG8の全試合ならびに全日本大学選手権・東日本代表校決定戦については「イージースポーツ」にてライブ配信(有料)があります。
駅伝
【箱根駅伝丸わかりガイド2022】往復総合結果グラフ動画
箱根駅伝2022を制したのは青山学院大学!2年ぶり6度目の箱根制覇。
しかも大会新記録!
第98回東京箱根間往復大学駅伝競走、その結果をグラフ動画でお届けします。
Yahoo! JAPANでは2022年1月2日・3日開催の「箱根駅伝」を楽しむための特設サイトを公開中!
知っているようで意外と知らない箱根駅伝のアレコレ。
これさえ押さえれば、観戦が100倍楽しくなる!?
「仕事は?家はどうするの?」
原晋監督、そして学生たちを支えるのが、寮母を務める原美穂さんだ。寮母という立場から青学の強さの秘密を解き明かす、原美穂さん著『フツーの主婦が、弱かった青山学院大学陸上競技部の寮母になって箱根駅伝で常連校になるまでを支えた39の言葉』(アスコム刊)から、「夫が青学監督になった日」に関する章を抜粋して紹介します(全3回の1回目/#2、#3につづく)。
「申し訳ない…」青学大“走れなかったキャプテン”が泣いた日
青山学院大学の町田寮では、箱根駅伝に向けて全体ミーティングが行われていた。
今季、出雲5位、全日本2位。しかし、前回の箱根駅伝の4区から、駒澤にずっと先頭を走られている。21区間連続首位を許し、青山学院として見せ場を作れていない。「駒澤本命」は揺るぎのないものだった。
原監督「準優勝でもいいんですよ」
青学大が学生を「記録優先」でスカウトしていた頃
今年も箱根駅伝が開幕する。前回大会で駒澤大に王座を明け渡した青山学院大は、どのような逆襲の走りを見せるだろうか。
原晋監督、そして学生たちを支えるのが、寮母を務める原美穂さんだ。寮母という立場から青学の強さの秘密を解き明かす、原美穂さん著『フツーの主婦が、弱かった青山学院大学陸上競技部の寮母になって箱根駅伝で常連校になるまでを支えた39の言葉』(アスコム刊)から、「監督就任3年目の苦悩とスカウティング」に関する章を抜粋して紹介します(全3回の2回目/#3につづく)。
青学大、1区「9位」からの逆転劇
1月2日、8時50分過ぎ。2区のランナーが待つ鶴見中継所近く、公園を貸し切って作られた待機エリア。陽が一瞬差し込んだ公園の一角で、スマホを手にした記者が誰にともなくつぶやく。
「これは、もう決まったな」
1区で「22区間連続首位」をキープした駒澤大
視線の先には2位駿河台大のS・レマイヤンを突き放す駒澤大学・篠原倖太朗の姿があった。3番手につけた青学大2年の荒巻朋熙はやや苦しげな表情を浮かべながら、日本大学・西村翔太(4年)が先導する4位集団に飲み込まれていく。9時1分、篠原は一足先に2区鈴木芽吹(4年)へ襷を渡す。中継所に日本テレビの実況アナウンサーの叫び声が響く。
神宮
全日本大学野球選手権大会の歴代優勝回数ランキング
大学野球日本一を決める第72回全日本大学野球選手権大会は、6月11日に明治神宮野球場で決勝が行われ、青山学院大(東都)が18年ぶり5回目の優勝を果たした。全国各地域の春季リーグ優勝チームが戦う大学野球最高峰のタイトル。1952年に行われた第1回大会以降、歴代優勝回数ランキングの上位校を紹介する。
歴代最多の優勝8回を数えるのが法政大学(東京六大学)。初優勝は第9回大会(1960年)で、延長14回の末、同志社大学を2-1で下した。 その後も大学球界の雄として活躍し、2009年に8度目の優勝を飾った。
歴史のある法政大学はプロ野球に多くの人材を輩出。「法政三羽烏」と呼ばれた田淵幸一氏、山本浩二氏、富田勝氏は1968年の全日本選手権で優勝し、3選手とも同年ドラフト1位でプロ入りした。また、東京六大学最多の48勝を挙げた山中正竹氏、歴代2位の47勝を挙げた江川卓氏は、いずれも法政大学だった。
慶大・渡辺憩 初打席代打サヨナラ弾!
◇東京六大学野球・第3週最終日 慶大2―1法大(2024年4月29日 神宮)
新人がリーグ史上初の快挙で劇勝を呼んだ。慶大・渡辺憩捕手(1年)が29日、法大戦の1―1の延長12回1死走者なしから代打出場し、左越えソロ。100年目を迎えたリーグ戦では史上初の「初打席代打サヨナラ本塁打」となった。昨夏の甲子園では、慶応(神奈川)の捕手として107年ぶりの優勝に貢献。1年生の華々しい神宮デビューにより2―1で勝利したチームは、2勝1敗で勝ち点を2とした。
「KEIO」が107年ぶりに甲子園を制した夏から250日。渡辺憩が再び歴史の扉を開いた。引き分け寸前だった延長12回1死走者なしから代打で初出場。カウント3―1から外角高め直球を捉えると、左翼手は一歩も動くことなく頭上の打球を見送った。白い歯を光らせダイヤモンドを一周。本塁付近で仲間からの手荒な祝福が待っていた。