本文へ移動

今、願正寺では?

今、願正寺では・・・?

岡山市へ出張いたしました。

2024-03-09
今回の随行は衆徒の心です。
新鳥栖駅のホーム 回送の800系がホームに佇んでいました。
新鳥栖駅のホーム、先発のつばめ号が入線してきました。
新鳥栖で、さくら号に乗車して岡山へ向かいました。
ホテルで一服して、OMOTENASHIの席に向かいました。

和子さんの祥月命日参詣のお土産です。

2024-03-08
ご長男が首都圏から参詣、ご挨拶にこられました。

ハクモクレン開花中です。

2024-03-08

終わりました。

2024-03-08

昭和55年5月の讀賣新聞朝刊です。

2024-03-07
表替えの畳の下からこんな記事が・・・。
大平総理は投票日の10日前、選挙中の6月12日に急死しました。
この時も、ロシア(当時はソ連)が、他国へ侵攻していました。
ソ連の外相といえばグロムイコです。
衆議院解散の瞬間 大平総理 ”増税解散” ”ハプニング解散”(1979・80年)【映像記録 news archive】
1980年5月19日 “ハプニング解散” 大平正芳総理大臣による2回目の衆議院解散です。
1980年5月19日 “ハプニング解散” 大平正芳総理大臣による2回目の衆議院解散です。
 3日前の16日、大平総理に対する野党の不信任決議案が、自民党反主流派の本会議欠席でに予想外に可決され、 大平総理は内閣総辞職ではなく、衆議院解散を選びます。
 灘尾弘吉衆議院議長は本会議を開かず、衆議院議長の応接室で解散手続きが行われました。
 伊東正義官房長官が、解散詔書を包んだ“紫の袱紗”を持って応接室に入ります。
 渡された詔書を瀬尾弘吉議長が読み上げます。 
灘尾弘吉議長:  ただいま内閣総理大臣から、詔書が発せられた旨、伝えられましたから、朗読いたします。  日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。 
こうした経緯から、“ハプニング解散”と言われました。 
大平総理は投票日の10日前、選挙中の6月12日に急死しました。
TOPへ戻る