慶讃法要850&800
宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃のページ
慶讃法要がはじまりました。
親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年記念法要
東本願寺、親鸞の得度で使った剃刀を初めて一般公開へ
浄土真宗を開いた鎌倉時代の僧侶・親鸞が得度した時に使われたと伝わる 剃刀 が、真宗大谷派本山・東本願寺(京都市下京区)で25日から展示される。天台宗・青蓮院(同市東山区)が収蔵
剃刀は長さ21センチ、幅2センチ。親鸞が9歳の時に青蓮院で得度した際、歴史書「 愚管抄 」の作者で、後に天台座主を歴任した慈円が使ったものとされる。青蓮院では親鸞の頭髪も受け継がれている。
青蓮院では14日、剃刀を移すための法要が営まれ、大谷派の木越渉宗務総長は「親鸞聖人の肌に触れた剃刀を見て、身近に感じてもらえれば」と話した。展示は親鸞の生誕850年・立教開宗800年を祝う「 慶讃 法要」に合わせた企画で、4月29日まで公さされる
青蓮院の「剃刀」が慶讃法要中に東本願寺境内で展示されます
青蓮院(京都市東山区)に永く伝わる親鸞聖人が得度の際に使用された剃刀を、一時的に宗派が「お預かり」する「御剃刀一時お移し式」が、3月14日に青蓮院で執り行われました。
親鸞聖人は9歳の春に、伯父の日野範綱に連れられて慈円のもとで「鬢髪を剃徐」したと覚如上人の『御伝鈔』で伝えられています。
また、史料によると、本願寺歴代の内、第四代善如上人から第十代証如上人までは青蓮院で得度したという記録があり、所縁(ゆかり)の深い寺院です。
2011年の宗祖御遠忌法要の際にも、多くの真宗門徒が青蓮院にも足を運んでいます。
青蓮院ではこれまで剃刀を公開することはありませんでしたが、宗派と青蓮院との日ごろからの交流の中で、このたびの慶讃法要での展示が実現しました。
「御剃刀一時お移し式」は、親鸞聖人お得度の間とされる宸殿にて、御本尊の前で青蓮院東伏見慈晃門主から木越渉宗務総長に手渡され、その後、正信偈を勤めました。
式典後は、場所を植髪堂に移して記者会見が実施されました。
植髪堂は、聖人の母が剃髪した聖人の髪を植えて傍に置いていたと伝えられている童形像にまつわる建物で、多くの報道関係者に披露されました。
会見で木越総長は、「本当にありがたいことです。全国からお越しになる団体参拝の皆様をはじめ、多くのお参りの方々にご覧いただき、生涯をとおしてお念仏申した宗祖のお姿を思い浮かべていただく機会ができた」と、今回の申し出を快く受け入れた青蓮院門主に感謝の意を伝えました。
青蓮院門主は、「東本願寺でお勤まりになる慶讃法要で多くの方に喜んでご覧いただけることは何より」と述べられました。
剃刀は、境内参拝接待所ギャラリー「慶讃テーマ館」1階の「宗祖親鸞聖人展」で展示されます。
展示期間は3月25日(土)~4月29日(土)まで。
ぜひご覧ください。
慶讃法要の願い
【慶讃法要にあたって】門首・宗務総長メッセージ
慶讃テーマとその願い
私は、この地、この時に⽣を受けている。
このことを精いっぱい尽して⽣きたい。
悩み、苦しみは私に押し寄せてくる。
でもそれは「⽣きること」をも奪うものではない。
私の⼼の奥底にある「⽣きたい」という声に⽿を澄まそう。
その時、私に届けられている声に気づく。
それは私を呼ぶ声、
南無阿弥陀仏。
仏の名(みな)を呼ぶことは、仏の呼び声を聞くこと。
その呼び声の響きの中で、
⼈と⽣まれたことの意味を仏にたずねていこう。
私に先⽴って⽣きた⼈たちと、
同じ今を⽣きる⼈たちと、
これから⽣まれてくる⼈たちと、
そのこと⼀つをともにたずねていこう。
種から芽が出て花が咲き、花は枯れても種が残り
また花を咲かすように。
真宗本廟お待ち受け大会・本廟創立七百五十年記念大会(2021年4月5日 10時~)
池田氏は、来たる慶讃法要について、本廟創立の精神に立ち返り、本願念仏の僧伽(サンガ)の伝統に召される慶びとともに、背負う責任を確認する御法要であるという原点を確かめつつ、技術・文明の発展を享受しながら孤独や不安、様々な問題を露呈する現代にあっては、あらゆる存在が南無阿弥陀仏のいのちによってつながる根源的連帯に回帰することこそが課題であると、法要から私たちが願われる歩みを明らかにされました。
講演の中で、先生は、11月20日に行われた「門首継承式」での次の門首挨拶の言葉を引用されて、ここに、今回の慶讃法要の意、願いが、すでに明らかにされていると述べられました。
700人の参拝者を前に大谷暢裕門首の挨拶がありました。門首は、はじめに20日に門首継承式を無事に終えたことを報告し、「本日の御正忌報恩講を新たなる出発点として、2023年にお迎えする慶讃法要、そして慶讃法要後の宗門の更なる興隆発展に向け、大谷暢顯前門の果たされた大切なお役目を引き継ぎ、世界中の人々に「南無阿弥陀仏」を届け、「四海の内みな兄弟とするなり」の同朋の輪の広がりに微力を尽くしてまいりたい」と述べました。