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兵戈無用(ひょがむよう)

「兵戈無用」(武器を用いない闘いの歴史の中で、人は如何に生きたか・・・。)

父の述懐

2021-11-04
Facebook掛橋泰定さん曰く

首脳外交を進めてまいります。

2021-11-03
Facebook 首相官邸さん曰く
COP26に出席するため、イギリスに向けて出発します。
気候変動対策の議論の場として重要な機会となるCOP26で、我が国が「2050年カーボンニュートラル」の実現に向けた取組を進めるのはもちろんのこと、アジア全体のゼロエミッション化に向け、我が国がリーダーシップを発揮していく、との力強い決意を世界に発信してまいります。
また、この機会を活用し、イギリスのジョンソン首相やベトナムのチン首相と会談するなど、対面での首脳外交を進めてまいります。

事の始まりは、ここでした。

2021-11-03
Facebook 佐々木信雄さん曰く
【19th Century Chronicle 1868(m1)年】-4
◎「明治」改元・東京遷都
*1868.8.27/ 京都御所において、明治天皇即位の礼が行われる。
*1868.9.8/ 「明治」と改元され、一世一元の制が定められる。
*1868.9.20/ 明治天皇が、東幸のため京都を出発する。
*1868.7.17/ 江戸を「東京」と定める。
 この後、「明治」と改元され、明治天皇の東京行幸と言う形で、事実上の「東京遷都」が行われ、順次「明治時代」としての国体が整えられてゆくことになる。この改元で、旧暦慶応4年1月1日が旧暦明治元年1月1日(新暦1868年1月25日)とされた。したがって、旧暦慶応4年は実質的に存在しないことになったが、改元の9月以前は「慶応4年」と表示する。
 ただし、「明治」に改元されても新暦に「改暦」されたわけではなく、依然として旧暦が使用された。新暦(グレゴリオ暦)への改暦は、グレゴリオ暦の「1873年1月1日」を「明治6年1月1日」とする、という形で実行された。この日は旧暦の明治5年12月3日に相当し、旧暦明治5年は、この旧暦12月3日以降は無くなったことになる。
 余談だが、新政府が突然、新暦への改暦を断行したのは、実は官吏への俸給を月給制に移行したばかりで、その給料に充てる財源が逼迫したからとされる。この明治5年は、12月の次にさらに旧暦閏月のある年であり、12月3日で翌年1月1日となると、事実上2ヵ月分が無くなったことになる。つまり明治5年は、官吏への給料を2ヵ月分、節約することができたのである。
 そう考えると、給料をもらう側から苦情が出ないのが不思議だが、彼らに2ヵ月間給料の支払いが停止されたわけではない。旧暦明治5年12月分の給料が、新暦明治6年1月分として支払われることになっただけである。
 なお、この歴史ダイジェストでは、「明治6(1873)年1月1日」より前の改暦前の年号記述では、たとえ西暦数字で表記していても、月日は旧暦に従っている。したがって新暦の月日とは一ヵ月近くずれたりしている。

端緒は、30余年前にあった・・・。

2021-11-01
Facebook 浅見俊彦 さん曰く
キャンパスの恋/昭和編

1985川嶋紀子さん学習院大学文学部入学、
大学構内の書店で一年先輩の礼宮文仁親王と出合う、
以降サークル活動を通じて交際を深めた。
1986文仁親王から求婚を受ける
「キャンパスの恋、令和編」、
乞うご期待(昭和的表現)(笑)
この一年を振り返って・・・。
秋篠宮さま誕生日会見 「皇室行事、軽いとの印象与えた」

秋篠宮さま 56歳の誕生日
秋篠宮さまは30日、56歳の誕生日を迎えられた。宮内庁は次女佳子さま、長男悠仁さまと赤坂御用地を散策される様子の映像を公開。秋篠宮妃紀子さまは父の川嶋辰彦さん死去(11月4日)に伴う服喪期間中のため、撮影への参加は控えたという。(宮内庁提供)2021年11月30日公開

秋篠宮邸

2021-10-30
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