時代を映す鏡
時代を感じる出来事・・・。
「NHKは何を伝えてきたか NHKドラマカタログ」より転載
原作:獅子文六 脚本:山下与志一
主な出演者:
北沢彪 小林美七子 加藤道子 北林早苗 北城由紀子 山岡久乃 村上冬樹
演出:丹羽一雄 田中昭男 田畑繁
昭和初期から戦後、フランス人の先妻との間の一人娘・麻里が結婚するまでの成長を見守る「私」の物語。獅子文六の自伝的小説が原作。昭和33年の連続ラジオドラマをテレビドラマ化。
作:足立紳、櫻井剛
主な出演者:
趣里、柳葉敏郎、水川あさみ、翼和希、清水くるみ、片山友希、伊原六花、菊地凛子
大正の終わりごろ、大阪の下町の小さな銭湯の看板娘・花田鈴子は、歌って踊るのが大好きな天真爛漫(てんしんらんまん)な女の子。小学校を卒業した鈴子は「歌と踊りでみんなを笑顔にしたい」と思うようになり、道頓堀に新しくできた歌劇団に入団。必死に稽古にはげんだ鈴子は、メキメキと成長、抜群の歌唱力で頭角を現していく。
昭和13年、鈴子は上京。そこで、人気作曲家と出会い、大きく運命が変わる。鈴子は、作曲家の指導を受け、“スウィングの女王”と呼ばれ人気歌手になっていく。
しかし、戦争が始まると鈴子の歌っていた歌は「敵性音楽」となり、鈴子の舞台での歌や踊りが厳しく制限されてしまう。やがて戦争が終わり、生まれたのが「東京ブギウギ」。明るく、飾らず、全身で歌う、鈴子の真骨頂。戦後の傷ついた日本に、その歌声が響き渡る。鈴子は“ブギの女王”と呼ばれるようになり、大スター歌手への階段を駆け上がっていく。
昔の京都
ブラジル移民の100年
1908年(明治41)にブラジルへの集団的な移民が開始されてから、2008年(平成20)で100周年を迎えました。この機会にブラジル移民に関する電子展示会を行うことにいたしました。
国立国会図書館では、1984年(昭和59)から、ブラジル、ペルー、ハワイ等、各国に職員を派遣し、日系移民に関する資料の収集を行ってまいりました。これらのなかには日記・手紙・メモ・写真・各種印刷物等の文書類、現地刊行の日本語図書・新聞・雑誌等の貴重な資料が含まれております。
この電子展示会では、主に移民を送り出した日本側から見たブラジル移民の歴史を、上記の当館所蔵資料を中心にご紹介いたします。また、展示は、画像とともに、多くの資料をテキスト化して掲載しております。本展示会を通じて、多くの方々が、ブラジル移民の歴史について理解を深めていただくきっかけとなればと願っております。
なお、この電子展示会の開催をもちまして、移民資料収集事業の際に協力下さったブラジル日系移民社会のみなさま方に改めて感謝申上げる次第です。
多くの方々にご利用いただければ幸いです。
日本最初の集団での海外移民は、1868年(明治元)に40人余がグアム島、153人がハワイ、1869年(明治2)に40余人がカリフォルニアに渡航したのがはじまりである。
後に「元年者」と呼ばれるようになるこの最初のハワイへの移民は、主にサトウキビ耕地の労働者として、横浜駐在のハワイ領事ヴァン・リード(Eugene M. Van Reed)が日本人の口入屋を使って京浜地区で集めた人たちであった。職人が中心であったが、農民や武士も含まれていた。
ヴァン・リードは、幕府から渡航印章(旅券)の発給を受けていたが、明治新政府がこれを認めなかったために、許可のないまま渡航を強行した。
移民を乗せたサイオト(Scioto)号は1868年5月17日(慶応4年4月25日)未明に横浜を出帆、1868年6月20日(慶応4年5月1日)ホノルル港に到着した。
ホノルルまでの航海は順調であったが、農場に入った後、移民たちは、不慣れな気候の下での過酷な労働と、物価高による生活の困窮に苦しみ、同年12月には移民元締の牧野富三郎らが日本政府に救出を求める嘆願書を寄せる事態に至った。
チャットGPT使ってますか?「AIが奪うかもしれない」仕事3選
■AIに仕事をさせることを前向きに考える
これらのほかにも、AIはモデルや声優などの仕事も代替するようになると言われています。たとえば最近、大手メーカー・伊藤園 <2593> が「お〜いお茶 カテキン緑茶」CMモデルにAI生成モデルを起用しました。好みのモデルを生成できるだけでなく、タレントが不祥事を起こしたりスキャンダルに巻き込まれたりして起用できなくなるという心配が不要です。
米国では、「人間がしなくてもよい仕事から解放される」と考えられているそうで(AIビジネスデザイナー、石角友愛氏)、「奪われる」というネガティブな見方ではなく、「やらなくていいことを任せられる」とポジティブにとらえて積極的に活用したほうがよいのではないでしょうか。
文/編集・dメニューマネー編集部