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ヨキヒトの仰せ

ヨキヒトの仰せ【文字データ編】

人と生まれて

2022-12-06
歎異抄16条
歎異抄16条
弥陀の智慧をたまわりて、日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ、回心とはもうしそうらえ……終わりまで

池田勇諦師

2022-12-01
仏教の救い 5 より抜粋     30頁~32頁
池田勇諦師
「念仏をしながら
他力をたのまぬなり」
  聖典西 688頁6行目
    東 541頁11行目
    高 710頁14行目 
つまり我が身の考え
思いを、自力をたのんでいるわけです。
だから念仏、しながら念仏に背く事しかないこの我が身があぶり出されてくる世界でしょ。
「信じさせていただいております」と言えますか。言いたくてしょうがないんですよ。「信ずる」と言うのが実は疑惑なんでしょう。
信じていますと言いたい。
阿弥陀仏は私にそれを言わせないのです。言ったとたんに、信心が腐り出すからです。仏法でなくて我法になるからです。
    池田勇諦師
仏教の救い 5    より抜粋 
   30頁~32頁

毎田周一師

2022-11-26
毎田周一師
「他人の心を知ることは何でもない。自分の心を見ればよい。」
仏教では
「汝自ら当に知るべし」
本当の自分を知ることは難しい。
知ったつもり、わかったつもりで生きています。他人の、心を詮索する前に、まず真実の自分自身を見よと言うのが仏教の教えです。
    毎田周一師

池田勇諦師

2022-11-25
仏教の救い 3 141頁
念仏の智慧が信心の智慧として私達の上に、はたらいて下さる。
それが、仏様の智慧に基づく感覚と発想として生活の場に表れていく。
仏法を聞くと言う事は其を習うことなんですね。

川村妙慶 師

2022-11-23
総序之文
「聞思」とは、まずわが身で聞きそのきいた言葉を自らへの問いとなし、そして考えを深めて行くことです。
一つの言葉が自分の中で消化し生きるための原動力となるのです。
その事を親鸞聖人様は、「遅慮」と言う言葉で表現されました。
「 人生の、拠り所を明らかにする確かな言葉をよく聞きよく考えて=(聞思)
ためらわず(遅慮)しつかり向き合いなさい
」と仰しゃったのです。
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