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ヨキヒトの仰せ

ヨキヒトの仰せ【文字データ編】

《下はつるべのたとえ》

2022-12-07
唯信鈔文意
 池田勇諦著『教行信証』   に学ぶ 四より抜粋18頁~20頁
★ 還相回向
法性のみやこより、衆生利益のために、この娑婆界にきたるゆえに、「来=らい」をきたるというなり。
★ 往相回向
法性のさとりをひらくゆえに「来=らい」をかえるというなり。

 池田勇諦著『教行信証』
  に学ぶ 四より抜粋18頁~20頁
《参考》
唯信鈔文意
   西 705頁9行目
   東 551頁7行目
   高 686頁12行

《下はつるべのたとえ》

人と生まれて

2022-12-06
歎異抄16条
歎異抄16条
弥陀の智慧をたまわりて、日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ、回心とはもうしそうらえ……終わりまで

池田勇諦師

2022-12-01
仏教の救い 5 より抜粋     30頁~32頁
池田勇諦師
「念仏をしながら
他力をたのまぬなり」
  聖典西 688頁6行目
    東 541頁11行目
    高 710頁14行目 
つまり我が身の考え
思いを、自力をたのんでいるわけです。
だから念仏、しながら念仏に背く事しかないこの我が身があぶり出されてくる世界でしょ。
「信じさせていただいております」と言えますか。言いたくてしょうがないんですよ。「信ずる」と言うのが実は疑惑なんでしょう。
信じていますと言いたい。
阿弥陀仏は私にそれを言わせないのです。言ったとたんに、信心が腐り出すからです。仏法でなくて我法になるからです。
    池田勇諦師
仏教の救い 5    より抜粋 
   30頁~32頁

毎田周一師

2022-11-26
毎田周一師
「他人の心を知ることは何でもない。自分の心を見ればよい。」
仏教では
「汝自ら当に知るべし」
本当の自分を知ることは難しい。
知ったつもり、わかったつもりで生きています。他人の、心を詮索する前に、まず真実の自分自身を見よと言うのが仏教の教えです。
    毎田周一師

池田勇諦師

2022-11-25
仏教の救い 3 141頁
念仏の智慧が信心の智慧として私達の上に、はたらいて下さる。
それが、仏様の智慧に基づく感覚と発想として生活の場に表れていく。
仏法を聞くと言う事は其を習うことなんですね。
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