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ヨキヒトの仰せ

ヨキヒトの仰せ【文字データ編】

金子大栄師

2022-12-27
金子大栄師
形は滅びても人は死なぬ」とは、 
人は死ぬことによって肉体的には消えても、
その人の死をかなしみ、「いたみ」「とむらう」者がいるかぎり、
その人の「花」は散らない。
又その逆に、
その「花」は、「いたみ」「とむらう」者に、
あたたかい生きるエネルギーを与えるという不思議な力をもっている。
死者が「仏」になるとはそういうことである。

大河内了悟先生の言葉

2022-12-21

ある結婚式で

2022-12-20
「いのちのうた   ー教育と宗教への思い」  竹下哲 著 より
facebook小栗洋慶さん曰く
「いのちのうた
  ー教育と宗教への思い」
 竹下哲 著 より
ある結婚式で
 この式場の前を本明川が流れていますが、その川向うにⅠ高校があります。
 十年ほど前、私がこの学校の校長をしていたとき、新婦のお父さんもこの学校の先生でした。誠実な、すばらしい先生でした。そして、新婦S子さんもまた、まさにそのときの生徒だったのです。 紺の制服がよく似合う、明るい、純情なお嬢さんでした。
 こういう二重の縁に連なる喜びをもって、私はこの式場に駆けつけてまいりました。 そして、S子さんと生涯を共にすることになる新郎はどんな人だろうか、と胸を弾ませて見守っていました。
 予期したとおり、男らしく、頼もしい男性です。 誠実そうな人です。 私は安心しました。ホッとしました。よかったなあ、と思いました。似合いの夫婦というのは、こういうカッ
プルを言うのでしょうか。
 若いお二人を前にして、私は校長の昔に還ったような気持ちです。二人の生徒にお説教をするような調子で、しばらくの間、お話をさせていただきたいと存じます。
 ーーある会社で、採用試験がありました。大学生たちが、わんさと押しかけてきました。筆記試験がすんで、いよいよ面接となりました。
 一人の青年が面接室にはいっていくと、正面に社長さんが座っています。そして、開口一番、「君は今まで、親の体を洗ってあげたことがあるかね。」と聞くのです。
 経済か社会の問題でも聞かれるのだろうと思っていた青年は、不意をつかれて、「いい
え、アンマぐらいしたことはありますが、親の体を洗ってやったことはありません。」と答
えると、社長さんは「君は父親を早く亡くして、母一人子一人だね。きょう帰ったら、お母さんの体のどこでもいいから洗ってあげなさい。その上で、あした改めて面接する。きょうはこれで帰り給え。」と言うのです。
 青年はいまいましい気持ちで、家路につきました。情ないことになったなあ、と思いました。しかし、やむを得ないので、母親の足を洗うことにしました。大きなたらいに熱いお湯をいっぱい汲んで、母親の帰りを待ちました。母親は、反物の行商をして歩いているのです。
帰って来た母親にわけを話して、遠慮する母親の足を無理に洗うことにしました。
 青年はたらいの向こう側にしゃがんで、何気なく母親の足を握りました。母親の足は女の足ですから、細くて柔らかくて、きゃしゃな足かと思ったら、そうではなくて、石のように堅い、ゴツゴツした足だったそうです。
 その石のように堅い母親の足を握りしめたとき、胸の中に熱いものがこみあげてきて、その青年は母親の足を握りしめたまま、オイオイ声をあげて泣いたそうです。男泣きに泣いたそうです。
 考えてみれば、その青年は一人で大きくなったのではないのですね。母親の柔らかい足が石のように堅くなるということにおいて、それを足場にして、大きく立派になったのですね。
 きょう晴れ姿のお二人も、自分の力で大きくなったのではありません。ご両親をはじめみなさんのおかげで、今日の日を迎えることができたのです。
 お二人がそれらのご恩を心に感じながら、互いにいたわり合い、助け合って、この人生を幸せに生きていかれるよう、切にお祈りする次第です。
(53・10・26 結婚式での祝辞)
いのちのうた
 ー教育と宗教への思い
昭和57年10月20日 初版発行
平成元年2月20日 第8刷発行
著者 竹下哲

仏法をきくということは

2022-12-11
和田稠師

《下はつるべのたとえ》

2022-12-07
唯信鈔文意
 池田勇諦著『教行信証』   に学ぶ 四より抜粋18頁~20頁
★ 還相回向
法性のみやこより、衆生利益のために、この娑婆界にきたるゆえに、「来=らい」をきたるというなり。
★ 往相回向
法性のさとりをひらくゆえに「来=らい」をかえるというなり。

 池田勇諦著『教行信証』
  に学ぶ 四より抜粋18頁~20頁
《参考》
唯信鈔文意
   西 705頁9行目
   東 551頁7行目
   高 686頁12行

《下はつるべのたとえ》
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