親鸞聖人の文及び典拠等
親鸞聖人(しんらんしょうにん)の文及び典拠等
阿修羅(あしゅら)の琴
2022-12-23
教行証 行文類
阿修羅(あしゅら)の琴(こと)の、鼓(こ)する者無(ものな)しといへども、音曲自然(おんごくじねん)なるが如し
教行証 行文類
阿弥陀仏は煩悩の衆生の種々相に応じて、あらゆる姿を現して、説法されます。
この力が法蔵菩薩の願力すなわち本願力です。
ちょうど、阿修羅が持っていたという不思議な琴が、誰も弾かないのに人の心に応じて、自然に妙なる音を出したのと同じようにです。
この自然の音曲には、相手に応じて
説き給う如来の御説法の清らかなお声が思い合わされます。
聞思抄より
《参考》
顕浄土真実教行証文類 行文類
浄土真宗聖典(西)190頁7行目
真宗聖典 (東)193頁8行目
高田聖典 216頁9行目
白道は
2022-12-21
一念多念文意
かかるあさましきわれら、願力の白道を一分二分(いちぶんにぶん)やうやうづつあゆみゆけば
一念多念文意
白道はいかりの火の河と、
私たちはその道を一生かけて、阿弥陀仏のよび声と、
お釈迦様のはげましに力づけられて行くのですが、その足どりは何とたどたどしいこと でしょう。
「二河のたとえに、一(ぶん)二 分(ぶん)ゆくといふは、一年二年すぎゆくにたとえたるなり」とも示されます。
「やうやうづつ」というお言葉には、聖人が私たちの足どりを気遣って下さるまなざしさえ感じられます。
聞思抄より
《参考》
一念多念文意
浄土真宗聖典(西)
693頁8行目~12行あたり
真宗聖典(東)
545頁3行目~6行目あたり
高田聖典
715頁5行目~9行目あたり
奉讚不退ならしめよ
2022-12-21
皇太子聖徳奉讚
天寿国 繍 帳 造像銘
我が大王(おおきみ)と母こ王(みこ)と、期(ちぎり)たまひつるが如くに、従ひ遊(ゆ)きましぬ。
痛酷(いたまし)きこと比(たぐ)ひ無(な)し。
我が大王(おおきみ)告(の)りたまはく、世間(せけん)は虚仮(こけ)にして唯(た)だ仏(ぶつ)のみ是(こ)れ真(しん)なりと。
其の法を玩味(がんみ)するに、
天寿国 繍 帳 造像銘
(てじゅこく しゅうちょう
ぞうぞうめい)
橘大女郎妃(たちばなの おおいらつめひ)が、繍帳(しゅうちょう)を造って聖徳太子追慕の至情(しじょう)を述べられたその一節です。 大王はいつも母と同じみ国に生まれたいとの仰せでしたが、まさしく
間人(はしひと)母后が推古な二十九年十二月崩御、明(あ)くる二月二十日夜半、太子もしたがいゆかれました。
太子は仏の常住真実(常住真実)に目覚められたゆえに、世間のむなしさによく耐え、慈悲のおこころをもって、尊く生きられたのです。
定(さだ)めし無量寿仏(むりょうじゅぶつ)のみ国にお生まれのことと信じます。
聞思抄より
《参考》
聖徳太子の命日とされる2/22を
太陽暦に換算して高田では4/11日に毎年太子堂を御開扉しお参りしていたようです。
多聞は
2022-12-20
阿闍世王 提婆尊者 行雨大臣 守門者
2022-12-18
阿闍世王
提婆尊者 行雨大臣
守門者
浄土和讚
「讚阿弥陀仏偈和讚」と「大経意和讚」の間に、《観無量寿経》の登場人物が四組になって書き出されています
中でもこの組合わせでは、弑逆(しいぎゃく)の罪人提婆が、尊者とされて上段に位置しているのには目を見張ります。
聖人は提婆が阿闍世王をそそのかして、母后韋提希を苦しめたことが、母后が浄土を願う機縁となり、王の廻心をもうながす結果をもたらしたことに、深い意味をいただかれました。
浄土教の時機を熟させた尊者として、提婆を仰がれるのです。
聞思抄より
《参考》
浄土和讚
浄土真宗聖典(西)565頁
真宗聖典 (東)483頁
高田聖典 529頁 613頁十二月十八日
阿闍世王
提婆尊者 行雨大臣
守門者
浄土和讚
《浄土和讚》の中の
「讚阿弥陀仏偈和讚」と「大経意和讚」の間に、《観無量寿経》の登場人物が四組になって書き出されています。
中でもこの組合わせでは、弑逆(しいぎゃく)の罪人提婆が、尊者とされて上段に位置しているのには目を見張ります。
聖人は提婆が阿闍世王をそそのかして、母后韋提希を苦しめたことが、母后が浄土を願う機縁となり、
王の廻心をもうながす結果をもたらしたことに、深い意味をいただかれました。
浄土教の時機を熟させた尊者として、提婆を仰がれるのです。
聞思抄より
《参考》
浄土和讚
浄土真宗聖典(西)565頁
真宗聖典 (東)483頁
高田聖典 529頁 613頁