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かもめのページ

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「かもめ」物語

2022-09-22

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9月23日、いよいよ西九州新幹線・武雄温泉―長崎間が開業します。開業に際して、今回は「かもめ」の歴史を振り返ってみます。どうぞ、お楽しみください。 
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第30回 「かもめ」物語
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 いよいよ西九州新幹線・武雄温泉―長崎間が9月23日に開業する。新幹線の列車名は「かもめ」。長崎にはおなじみの名前であり、新幹線開業までは博多―長崎間の列車名であった。しかし「かもめ」の愛称名のルーツは東海道本線、東京―神戸間の特急列車まで遡る。
 「かもめ」は1937(昭和12)年7月、東京―神戸間で、「富士」「櫻」「燕」につづく第4の特急列車「鴎」としてデビューした。戦後、「つばめ」と「はと」が姉妹列車のようにペアで語られることも多く、実際のダイヤも両方が東海道本線の中心列車として君臨していた時代があったが、実は「燕」の次に東海道本線の特急として登場したのは「鴎」なのであった。しかし戦局の悪化とともに1943(昭和18)年2月、臨戦ダイヤ・陸運非常体制の実施により「鴎」は廃止されてしまった。
 戦後もようやく落ち着き、国鉄も復興の軌道に乗り始めていた1953(昭和28)年3月、山陽本線・鹿児島本線の特急として京都―博多間に「かもめ」が新設された。愛称名も漢字からひらがなとなり、親しみやすくなった。なおこの時すでに東海道本線では「つばめ」、「はと」(1950(昭和25)年5月新設)の2本体制ができあがっており、「かもめ」は山陽本線の特急列車復活という使命を担っての登場であった。そして東海道本線を離れ、山陽・九州特急としての運転開始がのちに長崎特急~西九州新幹線へと発展していく布石となったのであった。
 しかしこの「かもめ」は特急の象徴である1等展望車の連結はなく、2等車4両、3等車3両、3等と荷物車の合造車1両、食堂車1両の9両編成であった。山陽本線は東海道本線のような絶対的な旅客数は多くなく、また展望車も新製の話はあったものの、利用客数に多くを見込むことはできず、見送りとなってしまった。
 1961(昭和36)年10月1日、いわゆる「さんろくとお」のダイヤ改正で「かもめ」は気動車化され、運転区間も京都―長崎・宮崎間に延長された。この改正は全国に特急列車網が構築され、「かもめ」もその一環として運転区間が拡大したのである。前年に東北本線の特急「はつかり」(上野―青森)でデビューしたキハ80系気動車がこの改正の立役者となり、非電化区間にも特急の運転拡大が推進された。また正面が貫通型先頭車のキハ82形が新製され、分割併合が容易になり、複数の行先を持つことが可能になった。「かもめ」もキハ82形を含むキハ80系12両で編成され、長崎行、宮崎行ともに6両ずつに分割、それぞれ1等車1両、2等車4両、食堂車1両となった。下りの時刻は京都発800→大阪発835→小倉着1632、(長崎行)小倉発1635→博多着1730→長崎着2005、(宮崎行)小倉発1638→大分着1842→宮崎着2200となり、当時最新鋭の気動車特急でもほぼ一日中走り続けているようなダイヤとなっていた。1965(昭和40)年には西鹿児島(現鹿児島中央)・長崎行に、1968(昭和43)年10月には長崎・佐世保(筑豊本線経由)行と行先の変更はあったものの、「かもめ」は長崎には必ず乗り入れていた。そして1975(昭和50)年3月、山陽新幹線・岡山―博多間延伸開業により「かもめ」は一旦姿を消すことになった。
 1976(昭和51)年7月、長崎本線・佐世保線の全線電化開業に伴い特急列車が新設されることになり、博多(小倉)―長崎間に「かもめ」7往復、同佐世保間には「みどり」6往復が運転を開始した。「かもめ」のうち6往復は途中肥前山口(9月23日から江北)まで「みどり」と併結運転された。また両列車ともエル特急の指定を受けての登場であった。車両は485系電車で、8両(グリーン車1両、普通車7両)が「かもめ」、4両(グリーン車1両、普通車3両)が「みどり」となった。なおこの「みどり」の4両編成は当時全国の特急列車の中では最短であった。今は2両や3両の特急列車も珍しくないが、当時としては異例の短編成の特急列車の登場であり、その後の短編成の特急列車の先駆けともなったのであった。
 以後「かもめ」と「みどり」はそれぞれが単独運転となったり、また併結が復活したり、などの変化を繰り返した。車両面でいえば、1989(平成元)年3月に初めて783系ハイパーサルーンが投入され、翌1990(平成2年)3月には783系の増備により、使用列車には「ハイパーかもめ」の愛称名も付いた。1994(平成6)年3月にはつばめ型787系が投入され、さらに2000(平成12)年3月には、当時「かもめ」専用車両ともいうべき885系(白いかもめ)が投入された。このように専用の新車が投入されるなど「かもめ」は九州内の特急列車として、その中心的存在の一角を担ってきた。また博多―長崎間の所要時間も徐々に短縮していき、ついには最速列車が2時間の壁を破った。また7往復でスタートした列車本数も、最大26往復(2008年3月改正)を数えたが、この年の7月にはJR九州全体でエル特急の呼称が解除され、「かもめ」はエル特急の要件のひとつである「数自慢」が最大になったにもかかわらずエル特急ではなくなったのも皮肉な現象であった。
 新幹線開業前最後の2022(令和4)年3月改正では、「かもめ」は博多―長崎間に22往復が運転され、うち885系が11往復、787系が11往復という陣容であった。博多―長崎間は最速1時間53分(12、16号)、全列車が単独運転となっていた。
 途中1年半ほどブランクはあったものの、1961(昭和36)年10月の改正以降、一歩も長崎の地を離れなかった「かもめ」。連載前回の愛称名の話から言えば、鳥の名前から命名された特急列車王道の愛称名を持ち、長年走っているうちに長崎という地域に根付いた愛称名といえる。急行列車が沿線の地名・山河や旧国名の名称から命名され、はじめから地域に根付いていたのとは逆のプロセスにより長崎のご当地愛称名となった「かもめ」。来るべき西九州新幹線の愛称名としてもしっかりと長崎の地と結びついて発展していくことを期待したいものである。
 最後に前回の問題、昭和43年の愛称名整理でも生き残り、現在も運転中の列車のうち、当時とはまったく異なる区間を運転している列車は?
答えは ①つるぎ でした。
※つるぎは大阪―富山間の夜行準急列車として1961(昭和36)年10月に運転開始。その後ずっと関西~北陸の夜行列車として活躍。1972(昭和47)年3月には大阪―新潟間の寝台特急(ブルートレイン)にまでなったが、1994(平成6)年12月臨時列車格下げののち96年廃止。そして2015(平成27)年3月からは北陸新幹線・富山―金沢間の区間列車として活躍中である。愛称名は北アルプスの剱岳から。
次回は付録(特集)ページあれこれ を配信予定です。
(筆者:JTB時刻表 元・編集長 木村嘉男)
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