本文へ移動

終戦

闘いすんで 陽が暮れて・・・

国葬で政治的評価や「服喪」強制せず、休日措置取らず…弔問外交には活用

2022-07-21
読売新聞オンライン

政府は、安倍晋三・元首相の「国葬(国葬儀)」について、国民への理解を広げることに注力する。多くの海外の首脳級要人の参列が見込まれるため、安倍氏の外交面でのレガシー(政治的遺産)の継承を内外に打ち出す「弔問外交」の舞台としても活用する考えだ。

 松野官房長官は20日の記者会見で、安倍氏の国葬に対して一部の野党が「弔意の強制につながる」などと主張していることについて、「国民一人ひとりに政治的評価を強制するとの指摘は当たらない」と反論した。

 政府は「国民に必ず喪に服してくださいと強制するものではない」(木原誠二官房副長官)との立場を丁寧に説明していく構えだ。

 戦前の国葬の法的根拠だった「国葬令」(1947年に失効)には、「国民は喪に服す」と明記されていた。安倍氏の国葬は、1967年の吉田茂・元首相の国葬と同様に閣議決定に基づき行われる。国葬令に基づく国葬とは位置づけが異なるのに、「戦前の国葬と同一視するような誤解や批判が一部で生じている」(自民党閣僚経験者)と懸念の声も上がっていた。

 89年の昭和天皇の「大喪の礼」では、その年に限り、開催当日(2月24日)を休日とする法律を成立させた。今回は、休日とする措置は取らない方針だ。

2022/07/21 09:21
 政府は、「弔問外交」も国益に資するとみている。外務省幹部は「安倍氏が提唱した『自由で開かれたインド太平洋』の重要性を国際社会に発信する絶好の機会になる」と指摘する。
 外務省は、国葬日程の正式決定後、各国政府などに案内を出す。吉田氏の国葬には、本国から派遣された12か国の特使を含め、73か国の外交使節が参列した。2000年の小渕恵三・元首相の内閣・自民党合同葬には、クリントン米大統領や金大中・韓国大統領などが参列し、当時の森喜朗首相が個別に会談した。安倍氏は12年12月の第2次安倍内閣発足から首相退任時まで、80か国・地域を訪れ、各国首脳と信頼関係を築いた。参列を希望する要人が相当な数に上るのは確実で、「規模は想像もつかない」(政府関係者)との声も上がっている。 

【国葬】吉田茂元首相の”国葬”(1967年)映像 安倍元首相の葬儀も今秋”国葬”の形式で
日本武道館で行われた吉田茂元首相の国葬(1967年・昭和42年)。戦後、首相としては初となった国葬、その様子をとらえた貴重な映像をご覧ください。
吉田茂氏の「国葬」はどんな様子だったのか。全国でサイレン、弔砲の発射も

安倍晋三元首相「国葬」は9月下旬、日本武道館で 政府が調整

2022-07-20
首相官邸=竹内幹撮影
毎日新聞 2022/7/19 22:21

政府は参院選遊説中に銃撃されて亡くなった安倍晋三元首相の「国葬」を9月下旬に東京都千代田区の日本武道館で行う調整に入った。22日の閣議で決定する見通し。19日、複数の政府関係者が明らかにした。

 戦後の国葬は1967年の吉田茂元首相以来2例目。岸田文雄首相が14日の記者会見で、内閣府設置法に基づいて閣議決定し、全額国費で執り行うと表明していた。

中陰檀です。

2022-07-18
Facebook 鈴木 友則さん曰く

安倍元総理葬儀 麻生氏弔辞「かける言葉ない」 

2022-07-21
銃撃を受け、亡くなった安倍晋三元総理大臣の葬儀が12日に営まれ、沿道には多くの人が集まりました。昭恵夫人はあいさつで、「いつも私のことを守ってくれた」と話し、頬ずりをして別れを惜しみました。 
■麻生氏の弔辞「かける言葉ない」  増上寺の周辺は、安倍元総理と、最後の別れを惜しむ人々で埋め尽くされていました。  焼香に訪れた人は、およそ1000人。12日午後1時から営まれた葬儀には、家族や親交が深かった関係者およそ200人が参列し、弔辞を読んだのは、盟友として長く安倍政権を支えた自民党の麻生太郎副総裁でした。  麻生太郎副総裁の弔辞:「言葉がない。かける言葉がない。天国で(父の)晋太郎さんに、胸を張ってやってきたことを報告すればよい。(祖父の)岸総理も入って、政治談義をすることでしょう。そのうち、私もそちらにいくから、また楽しく話しましょう」 
■沿道には多くの人「ありがとう」  出棺は午後2時半すぎ。昭恵夫人は、棺に花を手向けた後、数分間頬ずりし、別れを惜しんだといいます。  増上寺を出た車が最初に向かったのは、自民党本部でした。  2006年に初めて自民党総裁に就任した安倍元総理。合わせて9年、総裁を務めました。  やがて、車は総理官邸へ。2002年に現在の建物になってから、この場所で最も長く過ごした総理大臣が安倍元総理です。その思い出をかみしめるように、車列はいったん止まります。  安倍元総理とは、当選同期の岸田文雄総理大臣。自身の公式サイトには、「多くの時間を共にした良き友人」と記しています。
 ■安倍元総理“最後の永田町”別れ  「権力の回廊」を巡り、最後に通過したのは、1993年に初当選してから、30年近く通った国会議事堂。時に、野党と激しい論戦を繰り広げた場でもありました。  衆参議長をはじめ、多くの議員に見送られ、永田町に別れを告げた安倍元総理は、斎場へと向かいました。斎場には、実の弟である岸信夫防衛大臣の姿もありました。  岸大臣は12日昼、ツイッターに安倍元総理との2ショット写真を投稿しました。  岸信夫防衛大臣:「兄を失いました。同時に日本にとり、かけがえのないリーダーを失いました。兄は日本を愛し、この国を守る為、政治に命を賭けてきました。遺された者達は皆、分かっています。お疲れ様でした。ありがとう。今はただ安らかに」
 ■昭恵夫人「いつも私を守ってくれた」  12日午後8時すぎ、荼毘(だび)に付され、渋谷区の自宅に戻った安倍元総理。最後まで寄り添っていたのは、昭恵夫人でした。  安倍昭恵夫人(喪主あいさつ):「まだ、夢見ているようです。主人のおかげで、経験できない色々なことを経験できました。すごく感謝しています。いつも私のことを守ってくれました。(吉田松陰の文章で)10歳には10歳の春夏秋冬があり、20歳には20歳の春夏秋冬、50歳には50歳の春夏秋冬があります。父・晋太郎さんは、総理目前に倒れたが、67歳の春夏秋冬があったと思う。主人も、政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後、冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」
 (「グッド!モーニング」2022年7月13日放送分より)
 [テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
【安倍元首相】葬儀終え“最後の別れ”… 沿道では多くの人が見送り
昭恵夫人ら都内ホテルに移動 安倍元総理の「遺骨」胸に(2022年7月12日)
荼毘(だび)に付された安倍元総理の法要を終えた昭恵夫人は増上寺から東京都内のホテルに移動しました。  (政治部・原慎太郎記者報告)  
昭恵夫人ですが、およそ30分ほど前に到着し、安倍元総理の遺骨を抱えて会場に入りました。  
そして弟の岸防衛大臣、総理在任中の秘書官ら関係の近かった人たちが続々と集まっている状況です。  
一日取材をしていて印象深かったことが、安倍元総理は晴れ男ということです。  
葬儀を終えて車列が増上寺を出発するころには、午前中に降っていた雨がやんでいました。  
安倍元総理は世界屈指の晴れ男と知られていて、選挙の応援演説で安倍元総理が駆け付けると直前まで大雨が降っていても天気が持ちこたえることがよくありました。  安倍元総理自身も「私は晴れ男だ」と、自慢していたことが思い出されます。  
そして現在は非常に強い雨が降り、涙雨ではないかと悲しさを誘う雨になっています。  
食事会を終えると、一連の葬儀の日程がすべて完了となり、時間は未定ですが安倍元総理の遺骨は昭恵夫人と都内の自宅に帰られるということです。
 [テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
安倍昭恵さん“事件後初”山口入り 長門市長と面会(2022年8月2日)
うつむきがちに、市役所に入った安倍晋三元総理大臣の妻・昭恵さん。 
山口県を訪れるのは、安倍元総理の銃撃事件後、初めてです。  
昭恵さんは1日、安倍元総理の選挙地盤の一つである長門市を訪れて、江原市長と面会しました。  
安倍元総理への生前の支援に、感謝を伝えたものとみられます。  
関係者によりますと、昭恵さんは3日まで県内に滞在し、村岡知事や自民党の県議らとも面会する予定です。 
(「グッド!モーニング」2022年8月2日放送分より) 
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
 

突然の幕引き、安倍元首相 無言の帰宅 昭恵夫人とともに

2022-07-09
安倍晋三元首相の遺体は9日午前6時ごろ、奈良県内の病院を出発した
出発時の霊柩車(奈良ナンバー)は、リンカーンでした。
到着時の霊柩車(足立ナンバー)は、メルセデスでした。
午後1時半すぎ、昭恵夫人とともに東京都内の自宅に到着
2022年7月9日 13時36分 FNNプライムオンライン

安倍元総理大臣の遺体は、午前6時ごろ奈良県内の病院を出発し、午後1時半すぎ昭恵夫人とともに、東京都内の自宅に到着した。

自宅前では、高市政調会長や福田総務会長などが迎えた。

自宅には献花台を設けていないが、花を携えた近隣の住民の姿なども見られている。

岸田総理大臣は、弔問したい意向を示していて、きょう午後、自宅を訪れる見通し。

一方、関係者によると、同僚の国会議員を含め、基本的には弔問は受けないとしていて、通夜と告別式については近親者のみで執り行い、後日自民党と安倍家の合同葬儀を行う予定。

「安倍さんは、穏やかな顔をしていた」安倍元首相の自宅には弔問客が続々 小泉元首相や森元首相も
2022年7月9日 16時39分 FNNプライムオンライン

安倍元首相の自宅には続々と関係者が弔問に訪れている。午後4時半頃には小泉純一郎元首相が、午後5時頃には森喜朗元首相が弔問に訪れた。

安倍元首相の遺体が、昭恵夫人とともに無言の帰宅をしたのは午後1時半頃だが、その20分ほど後には、岸田首相が、街頭演説の合間を縫って弔問に訪れ、およそ10分間、滞在した。

その後、衆議院の細田議長、参議院の山東議長も弔問に訪れた。

午後4時半頃には安倍元首相を自民党幹事長や官房長官に抜てきした小泉純一郎元首相が姿を見せた。

そして、午後5時頃、安倍元首相とともに東京オリンピック・パラリンピックの開催に尽力した森喜朗元首相も弔問に訪れた。

また、弔問客の1人がFNNの取材に、安倍元首相の遺体に対面したところ、「安倍さんは、穏やかな顔をしていた」と邸内の様子について話してくれた。

安倍元首相の死を悼んでいるのは政界関係者に限らない。

自宅前には献花台が設けられなかったにもかかわらず、朝から花を携えた近隣の住民の姿などが数多く見られた。

通夜は、あさって近親者のみで執り行われる予定。

麻生氏、盟友の突然の死を悼む 「70歳まで」安倍氏の思いも明かす
2022年7月9日 18時53分 産経新聞

自民党の麻生太郎副総裁は9日、札幌市内で街頭演説を行い、参院選の応援演説中だった安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した事件について「われわれは起こり得ないことが起こるということを、改めて考えていかなければならない」と述べ、盟友の突然の死を悼んだ。

喪章をつけて演説に臨んだ麻生氏は「(安倍氏が)銃撃される痛ましい事件が起き、その後亡くなった。こういった状況下で街頭(演説)をしたことがなく、何から話したらいいのか悩む」と切り出し、安倍氏の昭恵夫人ら遺族にお悔やみの言葉を述べた。

麻生氏は、安倍氏が父の晋太郎元外相が67歳で死去したことなどから「ぜひ70(歳)までにはいきたい」と話していたことを明らかにし、「残念ながら暴漢によって暗殺、襲撃された。憲政史上では、少なくとも太平洋戦争が終わってこのかた、この種の話はない」と語った。

TOPへ戻る