終戦
闘いすんで 陽が暮れて・・・
国葬で政治的評価や「服喪」強制せず、休日措置取らず…弔問外交には活用
政府は、安倍晋三・元首相の「国葬(国葬儀)」について、国民への理解を広げることに注力する。多くの海外の首脳級要人の参列が見込まれるため、安倍氏の外交面でのレガシー(政治的遺産)の継承を内外に打ち出す「弔問外交」の舞台としても活用する考えだ。
松野官房長官は20日の記者会見で、安倍氏の国葬に対して一部の野党が「弔意の強制につながる」などと主張していることについて、「国民一人ひとりに政治的評価を強制するとの指摘は当たらない」と反論した。
政府は「国民に必ず喪に服してくださいと強制するものではない」(木原誠二官房副長官)との立場を丁寧に説明していく構えだ。
戦前の国葬の法的根拠だった「国葬令」(1947年に失効)には、「国民は喪に服す」と明記されていた。安倍氏の国葬は、1967年の吉田茂・元首相の国葬と同様に閣議決定に基づき行われる。国葬令に基づく国葬とは位置づけが異なるのに、「戦前の国葬と同一視するような誤解や批判が一部で生じている」(自民党閣僚経験者)と懸念の声も上がっていた。
89年の昭和天皇の「大喪の礼」では、その年に限り、開催当日(2月24日)を休日とする法律を成立させた。今回は、休日とする措置は取らない方針だ。
安倍晋三元首相「国葬」は9月下旬、日本武道館で 政府が調整
政府は参院選遊説中に銃撃されて亡くなった安倍晋三元首相の「国葬」を9月下旬に東京都千代田区の日本武道館で行う調整に入った。22日の閣議で決定する見通し。19日、複数の政府関係者が明らかにした。
戦後の国葬は1967年の吉田茂元首相以来2例目。岸田文雄首相が14日の記者会見で、内閣府設置法に基づいて閣議決定し、全額国費で執り行うと表明していた。
安倍元総理葬儀 麻生氏弔辞「かける言葉ない」
突然の幕引き、安倍元首相 無言の帰宅 昭恵夫人とともに
安倍元総理大臣の遺体は、午前6時ごろ奈良県内の病院を出発し、午後1時半すぎ昭恵夫人とともに、東京都内の自宅に到着した。
自宅前では、高市政調会長や福田総務会長などが迎えた。
自宅には献花台を設けていないが、花を携えた近隣の住民の姿なども見られている。
岸田総理大臣は、弔問したい意向を示していて、きょう午後、自宅を訪れる見通し。
一方、関係者によると、同僚の国会議員を含め、基本的には弔問は受けないとしていて、通夜と告別式については近親者のみで執り行い、後日自民党と安倍家の合同葬儀を行う予定。
安倍元首相の自宅には続々と関係者が弔問に訪れている。午後4時半頃には小泉純一郎元首相が、午後5時頃には森喜朗元首相が弔問に訪れた。
安倍元首相の遺体が、昭恵夫人とともに無言の帰宅をしたのは午後1時半頃だが、その20分ほど後には、岸田首相が、街頭演説の合間を縫って弔問に訪れ、およそ10分間、滞在した。
その後、衆議院の細田議長、参議院の山東議長も弔問に訪れた。
午後4時半頃には安倍元首相を自民党幹事長や官房長官に抜てきした小泉純一郎元首相が姿を見せた。
そして、午後5時頃、安倍元首相とともに東京オリンピック・パラリンピックの開催に尽力した森喜朗元首相も弔問に訪れた。
また、弔問客の1人がFNNの取材に、安倍元首相の遺体に対面したところ、「安倍さんは、穏やかな顔をしていた」と邸内の様子について話してくれた。
安倍元首相の死を悼んでいるのは政界関係者に限らない。
自宅前には献花台が設けられなかったにもかかわらず、朝から花を携えた近隣の住民の姿などが数多く見られた。
通夜は、あさって近親者のみで執り行われる予定。
自民党の麻生太郎副総裁は9日、札幌市内で街頭演説を行い、参院選の応援演説中だった安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した事件について「われわれは起こり得ないことが起こるということを、改めて考えていかなければならない」と述べ、盟友の突然の死を悼んだ。
喪章をつけて演説に臨んだ麻生氏は「(安倍氏が)銃撃される痛ましい事件が起き、その後亡くなった。こういった状況下で街頭(演説)をしたことがなく、何から話したらいいのか悩む」と切り出し、安倍氏の昭恵夫人ら遺族にお悔やみの言葉を述べた。
麻生氏は、安倍氏が父の晋太郎元外相が67歳で死去したことなどから「ぜひ70(歳)までにはいきたい」と話していたことを明らかにし、「残念ながら暴漢によって暗殺、襲撃された。憲政史上では、少なくとも太平洋戦争が終わってこのかた、この種の話はない」と語った。